それはまるで陽だまりの…

小鳥遊 蒼

君は、桜と言うよりも

「お花見行きたい!」


 帰国して早々に悠陽はるひがそう口にした。

 長旅で疲れているだろうと思い、一旦睡眠を取るか、もしくは水分補給か。それならば、日本茶、紅茶、コーヒー諸々何がいいだろうか、と訊ねようとしていた雅臣まさおみが目を見開いたまま固まっていた。


「僕はいいよ」


 困ったように眉を下げ、笑顔を浮かべる雅臣に対し、悠陽は口を膨らませた。


「去年もそう言ってた! で、去年『来年こそは一緒に行こうね!』って言ってたのに! それを楽しみに帰国したのに!」


 まるでシマリスが頬袋に食べ物を蓄えているかのように、ぷくぷくと膨らむその頬を指で突きたくなる雅臣だったが、さすがに自重する。そんなことをすれば、悠陽の血管が切れてしまう。

 とは言え、ご立腹な悠陽に何を言っても火に油を注ぐような気がして、雅臣は頭をかいた。


「あ、そうだ」


「……なに?」


なら何でもいい?」


「?」


 雅臣の言葉に、悠陽の眉間にシワを寄る。

“花見” とは、確かに『花』見というが、一般的に『桜』を示す言葉として使われているため、悠陽が訝しげな表情を浮かべるのも頷ける。

 けれど、そんな悠陽の反応に対し、雅臣は笑みを崩さない。


「僕、一緒に行きたいがあるんだ」


 悠陽の元まで近寄り、目線が合うようにしゃがみ込むと、「行かない?」と優しい口調で囁く。

 雅臣の笑顔に、まだ悠陽だったが、再度首を傾げる雅臣に根負けしたかのように「……行く」と小さな声で呟いた。


「じゃあ、今度のお休みのお出かけ場所は決定だね」


 嬉しそうに微笑んだ雅臣が、悠陽の頭に手を置き、軽く数回撫でた。

 そしてその手を放すと、鼻歌まじりに台所の方へと足を向けた。




 ***




 その日は珍しく雅臣が車を走らせていた。

 行き先は聞いても教えてくれない。悠陽はただ隣に座って、見覚えのない景色を眺めていた。


「ついたよ」と声がかけられ、そこでやっと車が止まっていることに気がつく。

 知らないうちに眠ってしまったのだろうか、と思いながらも、促されるまま車を降りる。


 いつものように右手が差し出され、自然と左手がそこへと向かう。

 海外を転々としている悠陽が、こうしてのんびり過ごす時間は少ないのだが、それでももう幾度となく繋いできたその動作は体が覚えているのだった。


 そんな雅臣の手に引かれながら、あとを追う。

 運転中と同じく、雅臣はただニコニコと笑顔を浮かべているだけで、喋る気配はない。とは言え、元々口数が多い方ではないので、その点に関しては特に気にすることでもないのだが。


 と、階段を登り終えたところで、雅臣の足が止まる。変な急斜の階段に苦戦していたため、突然停止する足に対応できず、雅臣の背中に激突した。


「臣くん、ごめん…」


「僕は大丈夫だけど……悠陽こそ大丈夫?」


「う、うん……って、」


 おでこをさすりながら、顔をあげた悠陽の目に黄色い光が飛び込む。

 悠陽は、その一面を吸い込むように目を見開いた。


「すごい! すごいよ、臣くん!」


「タンポポ畑なんだ」


「珍しいでしょ」と声を弾ませる雅臣に、もっと近くで見たいと言わんばかりに、悠陽が手を引く。

 その嬉しそうな表情に、雅臣が気づかれないように一つ息を吐き、今度は悠陽に導かれるままに足を動かした。




「うわー! 近くで見ると、白い品種も混ざっててまた違って見えるね!」


 楽しそうにはしゃぐ悠陽に、手招きをし、しゃがむように促す。悠陽が雅臣の肩に触れる位置にかがむと、雅臣の説明が始まる。

 指をさしながら、ニホンタンポポやセイヨウタンポポなどの種類について説明する。その見分け方についても。

 ついでに、食べられるのだということも伝えると、「食べてみたい!」と声を弾ませながら聞いていた。




「気に入ってもらえたかな?」


「すごく!」


「それはよかった」


 一通り満喫した二人だったが、雅臣はまだ連れて行きたいところが残っているのだと、再び悠陽の手を取った。

 その進路は車の方ではない。歩いて行けるところ、ということだろうか。

 行き先も気になる悠陽だったが、それよりも聞きたいことがあった。


「ねぇ、どうして桜を見に行くのは頑なに断るの?」


「桜に何か因縁でも?」と真顔で問いかける悠陽。

 そんな悠陽に対し、雅臣の表情は変わらない。


「どうしてだろうね? 夏目漱石に感化されてるのかも」


「夏目漱石?」


 どうしてここでかの有名な文豪が登場するのか。

 悠陽の頭には疑問符が浮かぶ。


「そういう一節が出てくるんだよ。“大勢が見向きするようなものに、目がいかなくなった” とかそういう意味合いじゃなかったかな?」


「ふーん」


「それに、タンポポを見てると悠陽を思い出すんだ」


 これまた、悠陽の頭に同じマークが浮かぶ。どうしてここで自分が? と、表情がそう語っていた。


「悠陽はタンポポみたいなんだよね。僕にとっては」


「どういう意味? 踏まれてもへこたれないってこと? それとも綿毛になって飛んでいくみたいに、いろんな国を転々としてるってこと?」


 どちらにしても納得できない、とでも言うように、悠陽の表情が曇る。

 そんな彼女に、雅臣は困ったような表情で笑った。


「こういうとき、君はちょっと曲がった見方をするよね」


「可愛げがなくてごめんなさいね」


 その言い方もまるで可愛げのかけらもないが、口を尖らせる悠陽に、雅臣は笑みを浮かべる。

 そして、握った手を、愛おしそうに包み込むように握り直した。


「悠陽の言うことも一理あるんだけど。タンポポってさ、綿毛になって飛んで行って、新しい場所でまた新しい花を咲かせるよね。それがどんな場所でも関係ない。そんな強さを君にも感じるんだ。君もどこででも生きていけるような気がするからね」


 急に声のトーンが落とされ、語られる言葉が不穏な空気を纏って悠陽に届く。

 心が忙しなく騒ぎ立てる。その理由はわからない悠陽だったが、その答えはわからない方がいいのだと頭が思考を閉ざす。


「それに桜もすぐに消えちゃうし」


「でも……タンポポだって1週間くらいしか咲いてないんでしょ? 臣くん、さっきそう言ってたよね? そのあとは綿毛になって飛んで行っちゃうよ? いいの?」


 自分でも何を言っているのかわからないままに、悠陽の口は雅臣の次の言葉を閉ざすように動き続ける。

 それでも、震える声が、それ以上の喉の振動を許さない。


「よくないね」


「え……」


 雅臣の足が止まり、それにつられるように悠陽も立ち止まる。

 辿り着いたのは丘の上。太陽が夕陽へと名前を変え、その輝きの色がより一層幻想的に大地を照らす。

 そのまま悠陽を振り返った雅臣に顔を上げられ、目線が合う。目線は合っているはずなのに、視界はぼやけていて、その表情をはっきりと見ることができない。


 いっそ逃げ出してしまえたら、なんてない考えが脳裏によぎるが、腕を雅臣に掴まれているため、逃げようにも逃げられない。


「よくないから、は繫ぎ止めておこうと思うよ」


 そんな言葉が聞こえたかと思うと、左手に雅臣の手ではないの感触を感じた。

 というよりは、指に……


「僕と結婚してください」


「え……」


「もちろん、これだけで繋ぎ止められるとは思ってはいないけど。君の居場所になれたらいいなって、ずっと考えていたんだ。帰って来たいと思える場所に、心の底から安心して笑っていられる場所に」


 その言葉に、悠陽の瞳からとうとう涙がこぼれ落ちる。

 一度溢れた雫は、止まることを知らない。

 久しぶりに見た悠陽の涙に、困惑した色を見せながらも、指先で一つ一つ拭っていく。


「……私でいいの?」


 辿々しく言葉が紡がれる。

 口から出た言葉には、「こんなマイペースな自分でいいの?」とか、「1年を通してほんの少ししか会えない、恋人として落第点な自分でいいの?」とか、たくさんの意味が含まれていた。そのすべてを口にできないのは、今の悠陽にはその余裕がないから。

 その言葉も震えていて、とても小さく、それでもしっかりと雅臣のもとまで届いていた。


「悠陽が、いいんだよ」


 まだ止まない涙を、袖を伸ばし、強引に拭い去ると悠陽は笑顔を浮かべた。

 そのまま雅臣に抱きつき、彼もそれに応えるように悠陽の背中へと腕を回した。


「これからも、僕の隣で笑っていてくれませんか?」


 雅臣からの言葉プロポーズ

 答えはもちろん決まっている。

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