幽霊と綿あめ 11


 騒がしい一団をやり過ごした後も、僕のシャツの端を掴んだままの糸と二人、屋台を冷やかしながら歩いていた。


 屋台を覗く糸の楽しそうな顔を見ると、あれからなんとなく、シャツから手を放し忘れているだけのような気がしないでもないが、まあ良いか。

 りんご飴でも買ってあげようか? と言おうとした時、忘れていた耳のワイヤレスイヤホンが着信を知らせた。

 糸の手がシャツから離れ、耳を押さえる。

 すぐ耳元で話しているような、宗田くんの声を拾った。どうやら宗田くんの方で何かあったらしい。


『あれ? どうしたの? 一人?』

『あ、この人アレじゃん。響介にガチ告白した人だよね?』

『あー。俺、知ってる。谷口さん? だっけ、名前。谷口……美紗都? さん、だったよな』

『もしかして、響介、待ち伏せされてんの? やっベーわ、ソレ』


 それに被せるようにギャハハと、笑う声が聞こえて来る。


「……なんだか、残酷ですね」

「うん」


 僕と糸が、宗田くん達が見える場所まで移動する間もイヤホンは、声のみならず衣擦れの音も、周囲の騒めきも、拾い続けていた。


『うっわ。汚ねーな、響介。ゴミその辺に捨てんなよ。この子、引いてんじゃん』


 ちょうど宗田くんが、地面にゴミを投げ捨てるところを見ることになった僕と糸は、顔を見合わせ頷く。


 ゴミをその辺に、だらしなく捨てる姿は見ていて気持ちの良いものではない。さらに宗田くんは、音高らかに地面に痰を吐き出して見せた。

 うげっ。

 誰だって顔を顰めてしまうその仕草もまた、美紗都が幻想を抱く宗田くんとは、かけ離れたものに違いなかった。


『……ところで、何なの?』

 

 そう言って首を傾げた宗田くんを含め、男が四人の女の子が一人の、このグループは側から見ていても仲の良さげな雰囲気は皆無であり、彼女一人が浮いてしまっているのは明白で、誰からも歓迎されていないその様子はその子がストーカーだと知っていても思わず同情してしまいそうになる。

 

『響介くん……今、誰とも付き合ってないって言ってたよね? お祭りも友達と行くからって。じゃあ……その女の人、誰?』

 見れば美紗都が、睨みつけているのは宗田くんの腕にしな垂れかかる幽霊だった。

 周りの友達は、といえば……。


『え? また新しいの見つけてんだ。どっかで待たせてんの? 可愛い子? 紹介しろよ』

『マジで? 響介、会わせろ』

 揃いもそろって大袈裟な仕草で、辺りを見回している。


『みんなで、あたしのことバカにしてるの? 響介くんの腕にくっついてるじゃん』


『やべ、ウケる』

『……つか、この子ダイジョウブ?』


 そう言いながら腹を抱えて笑う友人たちを、ぞっとするような冷たい目で見ている美紗都はやはり凄い迫力があるな、と思わず自分の身体を守るように腕を抱えると、隣にいる糸も同じ格好をしていた。


 宗田くんは、これ見よがしに鼻をほじっているけど、このタイミングで? もっと効果的な機会はなかったのかな? 美紗都が汚い物を見る目で宗田くんにちらと視線を泳がしたが、この時ばかりは、やはり怒りの方が強いみたいだった。


『何それ? 面白いと思ってるの? ねえ、アナタも響介くんに隠れていないで、顔を見せなさいよ!』


 その時、ゆっくりとした動作で下向き加減だった幽霊が顔を上げた――。


『……?!!!!』


 どこから出るというのか、ギャアアアーというもの凄い悲鳴は、なかなか止まず道をゆく人が皆振り返る。

 これは、マズイことになりそうだった。

 何ごとかと足を止め、遠巻きに見る人が、何人も出てきたからである。

 

「……男四人に、女の子一人はマズイね」

 僕が飛び出そうとした時、糸がまたシャツを引っ張ったので転びそうになる。


「うわッ。……え? 何?」

「もし……もし、これで助けたら、谷口さんが、シキさんのことを……」

「……え?」

「あ……わたし。わたし……何を考えているんでしょう」

 泣きそうな顔をした糸の、シャツを掴んていた手が、ぱたりと落ちた。


『やっべ。逃げるぞ!』

『響介、来いッ。おかしな女は、ほっとけ』

『アレ、マジきちってるわ』


 バタバタと足音も荒く、その場にしゃがみ込む谷口美紗都を残し、蜘蛛の子を散らすように宗田くん達は姿を消した。

 耳元で、いきなりぶつッと切れた電子音に、鼓膜の中が突然失った音を求めて、すうすうするような静寂が訪れる。


「大丈夫。もう、大丈夫そうだよ」


 ふらふらと立ち上がる美紗都に、不審そうな目を向けた人達もやがて、人波に紛れて歩き出した美紗都のことなどすぐに忘れてしまう。

 糸の顔を見ようとして、背けられた。


「……見ないでください。自分が、今どんな顔をしているか分からないんです」

「僕は……分かってるよ。大丈夫。ホラ、君はストーカーになりそうな人から僕を守ろうとしてくれただけだ……。それ以外の何でも無いよ。実際、君が思うように、あのタイミングで僕が現れたら今度は僕だったかもしれない、ね?」それにもちろん君が冷たい人間だとか、そんなことでもない。


 誰に向けてだろう、まるで何かを言い訳するように早口で捲し立てる僕と、俯く糸の間には、これまでには無かったぎこちない空間が広がりつつあった。

 そこに盆踊りの始まるアナウンスが響く。


「……さあ、僕たちも行かなくては」


 俯き黙り込んでしまった糸の、さっきまで僕のシャツを掴んでいた指のその手首を取ると、軽く握るようにして彼女の顔を見ることなく歩き出した――。

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