第7章 冬ひとつ目

一角獣とホワイトシチュー 1




 「……で? どうして事務所ココに、いるのかな? ……宗田くん?」


 あの場所で、稜が僕たちの前から姿を消して暫くが経つ。

 だが、近くに気配がないからといって気を抜くのは禁物だ。

 何故なら宗田くんによれば彼奴アイツは変わらず講師を続けているというのだから、近いうち再び現れるのは間違いない。

 擦れ違う前に稜が、僕が糸に駆け寄った時と同じ表情で『じゃあまた、な』と普段は取り澄ましている顔を歪ませ笑ったことからも、それは確実である。

 なぶるための新しいオモチャを見つけた、その愉しそうな顔で……。


 それなのに……。


「何ってそりゃあ、社会見学ってやつ? だよね〜? 高桜たかざくらさん」


「……ふーん?」

 久しぶりの糸は僕の眼に、何処か違って映るのだった。

 そして僕の姿を映す糸の、以前よりも大人びたその眼に、否応なく惹きつけられる。

 あの日の別れ際の鮮烈な笑顔を思い出し、糸の手首を掴んだ掌が甘く痛んだ。


 じっと見過ぎてしまったようで、僕から目を逸らしながら糸は、宗田くんの方へ助けを求めるように言った。

階下したで……宗田くんにバッタリ会って、そしたら……」残りを宗田くんが引き取って「折角だから、二人で顔でも出そうかなって思ったんだよねー?」


 ……怪しい。

 何か企んでない?


 とはいえ稜と顔を合わせてしまった今となっては、糸を自分から離しておく理由も無くなったのだから以前のように糸が自由に出入りする分には、構わないのではないだろうか……いや、やはりそうは言っても……まあ、良いか。

 

「そういえば、アレからどうなったの?」

 すっかり聞くのを忘れていた。宗田くんと知り合うきっかけになった幽霊さんでは無い方のストーカーは……。


「ああ、学校を辞めたみたい? つか、それって……まさかオレのせいとか言わないよね?」


「あー、うん? そう……なんだ」


「幽霊さんは、何をしたんですかね?」


「うーん」何を見たのだろう?

 しかし、よほど怖い思いをしたのだろうな……あの、悲鳴は。

 などと考えていたら宗田くんが、ニヤニヤと僕を見て「寂しかった?」と聞くものだから、言わなくても良い余計なことを口走ってしまうのだ。


「一人で、せいせいとしていたよ。もともと自分ひとりで始めた事務所に助手なんていたのは、ほんの僅かな間だったし」元に戻って、ほっとしたと言うか……。


「ハイハイそっかそっか、うん。よーくよく分かったよ。高桜さん、四季さんは寂しかったってさ」

 えぇ。そんなこと言ってないよ……ね?


 そう言って僕のことを軽くなしながらおもむろに鞄の中からお菓子を取り出すと、応接セットのセンターテーブルの上に次々と置いてゆく。


「ち、ちょっと……何? 何してるの?」

「えー? 分っかんないかなぁ? オヤツ食べながら課題やんの。四季さんは、そこで本でも読んでて? あ、階下したから飲み物買って来てくれたらスゲー嬉しいかも」


「……」


 糸までが同じように、いそいそと鞄の中身を取り出すのを横目に見ながら、僕は宗田くんに言われた通りにソファに寝転ぶと、飲み物はだけは買いに行くものかと、読みかけの本の頁を捲ることにしたのだった。



 冬に人恋しくなるのは、何故だろう。


 ちっとも本に集中出来ない僕が、仰向けのまま胸の中で呟いた言葉は、どうやら口に出てしまっていたようである。


「イベントが、控えているからじゃないっすかね?」

「……んー宗田くん。それ、それ言ったらダメなやつじゃないかな。それにイベントにはまだ少し早くない?」

「え〜四季さん、ナイわソレ。遅すぎるくらいだって」

「そう言う宗田くんは、どうなの?」

「……え? オレ? あー。つか今はチョット……別にいいかなってゆーの?」

 ちらりと視線が動いた先に、糸が居たのは気のせいではないかもしれない。

 その糸は、といえば……。


「君はまた、ずいぶん甘そうなチョコレートを食べてるんだね?」


 部屋の中に甘い香りが漂っている。

 お菓子チョコレートの香りだけではない、その甘さの元は糸に違いなかった。


「肌寒くなると、無性に甘い物が恋しくなるんです」

 

 肌寒くなると人肌が恋しくなるんだけどね、と糸の白い手首や、髪を耳に掛けるその仕草、露わになっている綺麗な横顔を見ながら思う。……思って、ひとり赤くなる。


 いや、我ながらコレは流石に拙いだろう。

 

 本で顔を隠すようにして再び読み始めるも、少しも内容が頭に入ってこない。

 再び気づけば、糸の姿をじっと見つめている自分に呆れるも、そんなにも目が離せないのは久しぶりの糸を目の前に感情のたがが外れてしまった所為だと知っていた。


「……さん……四季さん! 電話」


 宗田くんに言われるまで、事務所に鳴り響いていたその酷い音が耳に入らなかったことに驚く。


「あーやんなる。オレ、これどうすんの? つか、なんなん?」

 ぶつぶつと呟いている宗田くんを無視してソファから立ち上がると、暴力的な音を出し続ける電話に歩み寄り受話器を持ち上げた。


「……あーっと……はい。ええ、こちらは北村ふしぎ探偵事務所です」

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