道化師と林檎パイ 5


 「はぁ〜マジか……となると、やっべぇわ。これマジで」


 語彙をどこかに置いてきてしまった宗田くんを見れば、どれほどまずい状況にあるのかが分かる。


「……稜は、近くに居るんだね?」

 

 僕を見て、しっかりと頷いた宗田くんは「いますよ」と声に出して言った。


 ――オレの塾の講師です。


「それも、結構な人気で……教え方もかなり上手いけど、何より色気がスゲーって? その人が居るのオレの通ってる校舎じゃないけど、こっちにもたまに出張授業あって実はオレも授業受けたことあるんだよね。講習会になると塾生以外でもこの人目当てで来る人いるし……この人オンラインでは授業しないのが逆にウリっつーか。だから講習会は凄いことになってんだよなー」

「いつから……いつからだろう?」

「……さあ、知らね? でもそれは調べたら分かンじゃない? そんで今、ウチの学校の生徒会が何かどっかの塾の講師呼んで、放課後希望者だけでも講習会をやろうとか言い出してんだよね……タイムリーすぎね? これ」


 今の名前は、飯田いいだ りょうというそうだ。


「結婚……でもしたのかな? いや、そうとも限らないか……」

「ぃやぁー? 妻帯者? すんげー遊んでるっぽいけど……? 知ってるだけで生徒も何人か……だけどそのうち居なくな……あー、そうか。そういうことか……うん。まぁ、あの人ヤバいよね」


 ……ヤバい?


「あの人の周りに及ぼす求心力が……怖い。あの人、捕食者の眼っていうか……何考えてんのか分かんなくて、目の奥が冷たくてゾッとすんだよね。いつも笑顔だけど、みんな表面に騙されてんだなって……バカじゃね? って……マジであれヤバいやつだと思うよ? そいつに騙されちゃった子は多分、精神やられちゃってんじゃね? オレなんか見られたくない頭の中まで覗き込まれそうで、個人的には近寄りたくないもん」


 まあ、そうだろう。

 昔から稜はそんな奴だった。

 自分に興味を持ち、近づいてくる他人を受け入れた振りをして精神的になぶるのが好きなのだ。

 彼女と居る時は違うように見えたから変わったんだ……と思ってしまったのだ。稜は彼女に出会って変わることが出来たんだ、それで良いんだ良かったんだと二人から目を背けて……。

 

「四季さんがその人と似てるってのが、分かんないなぁ? あ、でも分かんなくもないか。ちょっと見は似てるのかもね。四季さんも笑顔で拒否してるもんね。ん〜……世界を? いや、自分を? 四季さんって本当は他人なんかどうでも良いデショ? ぶっちゃけ嫌いだよね? だから敢えてこんな仕事してんだろうなってオレ思ってたんだよね。違う? オレは笑顔で、それこそ全力で自分を作ってるけど、それは他人に好かれたいからで拒否してるわけじゃないから……そう考えると四季さんって面倒くせーよね?」


「え、なんか……僕、言われ放題だね?」


「あの人は、さ……他人ひとをヒトとして見ていないんだよ。四季さんは、違うよ? ……うん」

 そう言って手に持っていたフォークを咥えて、すこし上目遣いになった宗田くんは、あざと可愛さを狙っているようにしか見えないがよく見れば本気で照れているのが分かる。


「や、なんか……ありがとう」


 そんな僕と宗田くんのやりとりを、満面の笑みを浮かべて見ているマスターの視線が痛い。

「早くに両親を亡くしたせいで、四季くんは不器用なだけだよ」

 更にそんなことを言われると、何て返したら良いのか前を向くことが出来ずに、思わずそっぽを向いてしまう。


「……そう考えると、特別なんだ?」

 フォークを咥えたまま、にやにやと笑った宗田くんの言わんとすることは分かるけど分からない振りをするくらいは許して欲しい。


「まあ、任せといてよ。高桜たかざくらさんの登下校中は気をつけるよ。っても、これオレ得じゃね? あーもしかしたら高桜さん、オレに惚れちゃうかもね?」


 そのあと最後のひと口残っていた林檎アップルパイを頬張ると僕に向かって、いひひと悪戯そうに笑う宗田くんを見ながら、こんな風に単純で素直に優しい人を糸は好きになれば良いのかもしれない、と思う。

 思うのに、その側からそれは嫌だと思う自分勝手な感情に翻弄される。


「……まあ、頼んだから。よろしくね」

 僕は宗田くんから顔を背けるように、滑らかなコーヒーカップに唇をつけた。

 

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