道化師と林檎パイ 3



 

 あの頃を振り返ってみれば、僕が誰にも興味がないのと稜が自分自身にしか興味がないのは実に良く似ていて、彼奴アイツが僕たちを『似た者同士』だと言ったのは良く分かる。


 稜は魅力的な笑顔を振り撒きながらも周囲の人間を巧妙なやり方で、時には強引な方法で自分のコントロール下に置くのを愉しみ、僕はといえば、興味の無いことに揺れる感情なんてものはなく、流されるままに人と付き合うものだから、お互い自身の周囲にトラブルは事欠かなかった。

 そして違うようで同じ僕たちは、そのことについて同じく何も、感じていなかったのだ。


 稜の言うように『上手くやるため』なのだろう。高校に在学中は、どれだけ近くに居てもあの日以来、稜が僕に関心を寄せることはなかった。違うようで実は同じ二人だったから多分、稜は僕に興味がなかったのだ。

 卒業後の僕たちは、自然と離れていった。


  

 そんな僕の心が動き始めたのは、大学生になって暫くしてからだ。

 久しぶりにマスターに会いに喫茶店を尋ねた時、そこでバイトをしていた彼女と出会ったのがきっかけだった。


 祖父を亡くしてからこの日まで、マスターと疎遠だった日々を埋めるように、まるで祖父に連れられて来ていた幼い頃みたいに頻繁に喫茶店に通うようになったのは、そこに彼女が居るからだと気づくまで大した時間は掛からなかった。


 明るい笑顔、真っ直ぐな視線、無邪気に遠慮なくズカズカと僕の領域に踏み込む大胆なところがあるくせに、時には少し臆病で。

 彼女は、眩しいほど輝いて見えた。

 

 そんな彼女に僕の心が再び動き始めた矢先、まるで図ったように稜が現れた。

 高校を卒業してから連絡ひとつ寄越さないおかしな僕の親友だと言う稜を、彼女は持ち前の優しさで、すんなりと受け入れる。

 それはそうだろう。彼女は闇があれば、照らさずにはいられない。

 なぜなら、光だから。

 彼女の名前と同じ。


 短くも幸せな日々は、確かにあった。


 あの頃は彼女を中心に、僕と稜はそれこそ親友と呼べるくらい近くにお互いを感じるようになっていた。

 それも全部、稜の芝居だったのだろうか。

  

 

 僕と稜の関係は、共通重心を持った軌道を描く惑星のようだと思うことがある。

 

 僕たちの惑星は、すぐ傍で並ぶことはあっても、当たり前に決してぶつかることはない。いっそのこと衝突してしまえば、どちらか一方が、あるいは両方が消滅するのにと思うことがある。もしかしたら、稜もまたそう思っているのかもしれない。

 だが皮肉なことに、逃れようとしても逃れられないその道は、僕たちの運命のようだ。

 近づいてはまた、離れてゆくを繰り返す。

 その目に見えない共通重心は、僕たちの中に穿つ暗い闇なのだろう。


 こうして今、すぐ側に彼奴アイツの気配を感じるのは、つまりはそういうことだ。


 ぐるりと周り、再び近づく。

 その時が来たのだ。


 この送られて来た写真を見れば、稜は僕の近くに居るのは間違いない。

 そしてそれは同時に、糸の近くにも居るのだということになる。


 ……糸。


 次の『コマドリ』となるのは糸だと、彼奴アイツが僕に告げたのは、つまりはそういうことだ。

 崖から落ちた彼女は、一人だった。


 ……独り、だったんだ。

 

 その真実は、僕を打ちのめす。

 あの時、僕の中に芽生えた感情の全てが瞬時に霧散するほどの衝撃と共に。

 僕に嫉妬と安堵という、一見したら相反するその奇妙な感情をもたらした彼奴アイツと彼女の心中は、虚構だった。彼女は稜によって孤独に追いやられ、分かり合える人なんて誰一人存在しなかったのだ、と知らされたのだ。

 

 あの最後の電話で、稜が僕に言った言葉。


『残念だよ。おまえは、少しも彼女のことを分かっていない』とは、稜が彼女を誰よりも理解しているという意味ではなかった。彼女をそそのかすのは、実に簡単だったよ、と言う報告だったのだ。

 つまり稜は『彼女はこんなにも簡単に闇に呑まれる。おまえは少しも分かっていなかったな』と、言いたかったのだ。

 

 ソファから身体を起こすと、少し考えてから携帯スマホに表示された曜日と時間を確認する。

 履歴を検索し、一つの電話番号を見つけ出してから指がその番号をタップするまでに一瞬の躊躇があったのは、否めない。

 呼び出し音の後、聞き慣れた声が耳に届いた。


 僕は覚悟を決めて話し出す。



「……あ、突然ごめん。今、大丈夫かな? ……そう。ちょっと頼まれて欲しいんだ……」



 

 

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