Windows Have Eyes

天川降雪

1 城郭都市ラクスフェルドの

 城郭都市ラクスフェルドの込み入った住宅街で、白昼の追走劇が演じられている。

 メイラーは先をゆく相手に追いつこうと、細い路地を懸命に走る。向こうはおそろしくすばやい奴だ。と、急にそいつがほとんど速度を落とさずに路地の角を曲がり、視界から消え去った。メイラーも遅れまいとそれにつづく。だが彼のほうは玉石の石畳に足を滑らせ、大きく体勢を崩してしまった。

 舌を打って自身の不注意に悪態をついたものの、すぐメイラーの顔には笑みが浮かんだ。しめた、この先は袋小路だ。

 逃走者がどん詰まりの壁にゆく手を阻まれ、止まった。

「さあ、もう終わりにしよう」

 メイラーは乱れた呼吸を整えつつ、余裕の足取りで相手へと歩み寄る。そしてあるていど距離を詰めてから、彼は身を屈ませると両腕を拡げ、慎重に近づいた。すると背中の毛を逆立てた白猫が、しゃーっと鳴いてメイラーを威嚇した。

 機を見計らったメイラーが追い込んだ相手へと跳びかかる。ところが、白猫は彼の脇をあっさりすり抜け、横手の石壁に爪を立てると塀の上に身を躍らせた。そのままメイラーを尻目に、ふたたび逃走する。

 メイラーはしばし唖然としていたが、袋小路の奥にあった木箱に足をかけると自分も塀を登った。苦労して身体を押しあげ、そして塀の上を渡って軽やかに逃げ去る猫の後ろ姿へ、憎々しげな視線を送る。

 塀の裏は隘路だった。メイラーはそこに自分の従騎士であるウォレスの姿を見つけた。

「ウォレス、そっちへいったぞ!」

 若い従騎士がメイラーの声に気づいて、きょろきょろとあたりを見回す。

「どこです?」

「おまえの頭の上だ!」

 ウォレスは自分のすぐ横、塀の上を通り過ぎようとする白猫を見つけて手をのばしたが、わずかに届かない。猫はそこからしばらく進み、塀の向こう側へ降りて姿を消した。

「逃げられました!」

「見えてたよ」

 塀の上からメイラーの苛立った声。渋面でちらりと部下を見おろした彼は、幅の狭い足場で身体の均衡を保ちつつ、あぶなっかしく猫を追う。

 猫が降りた先には一段さがってまた別の塀があった。メイラーはしゃがみ込むと、自分がいまいる塀と垂直に交差するその上へ、慎重にブーツのつま先を乗せた。なんとか無事に降り立ち、正面を見る。すると猫は少し離れたところで立ち往生していた。よく繁った木の枝が塀の上に張り出しているため、それが邪魔で先へ進めないのだ。塀の左側は下りの階段となっており、地上までかなりの落差がある。右側は誰かの家の裏庭。

 腰を曲げたメイラーは追い詰めた白猫へゆっくりと近づいた。猫がこの状況から逃れるには、右側の庭へ降りるしかあるまい。足踏みをくり返し、方々へ首をめぐらせる猫が小さくにゃあと鳴いた。そして、メイラーと目が合った。

 白猫が裏庭へ跳び降りたのと、メイラーが後先を考えず跳躍したのは、ほとんど同時だった。空中で猫を捕まえた彼は、そのまま肩から地面とぶつかった。

 やわららかい土の上に横たわったメイラーの腕のなかでは、当然ながら猫が激しく暴れる。

「おいばか、よせ、ひっかくな!」

 メイラーはそこいら中に爪を立てる猫に、通じないとわかっていながら話しかけた。鋭い痛みに耐えながら、しかし毛皮はしっかり摑んで離さない。ここまできて逃げられてたまるか。

 そのうちウォレスがメイラーのもとへと駆けつけてきた。

「メイラー卿、ご無事ですか!?」

 ウォレスは言って、メイラーの指をかじっていた猫を彼から引き剥がす。

「ああ、なんとか──」

 身を起こし立ちあがろうとしたメイラーは、右足に違和感をおぼえてすぐまた横になった。なんだ、これは。そういえば地面とぶつかる寸前、庭に置いてあった大きな鉢植えに足をぶつけたような気はしたが。

 仰向けに寝転んだまま右足を上にあげて、見てみた。すると脛の中ほどから先が、だらりと妙な具合に垂れさがっている。あきらかにおかしい。関節でないところが、不自然に曲がっているのだ。

 ぞくりとしたあとに、激痛がきた。

「んなああああああああっ!!」

 けだるい昼下がりの街中に、メイラーの悲鳴が響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る