21回目の呼び出し音

一帆

第1話



 トゥルルル トゥルルル トゥルルル……

 

  電話の呼び出し音を聞きながら、僕は自分が座っている椅子の上で伸びをする。1回、2回、3回……、呼び出し音を心の中で数える。大抵の場合は、留守電電話に切り替わるけれど、呼び出し音が続く。

 

 ―― いないのかなぁ?


 僕は受付入り口の扉にでかでかと貼られた予定表に目をやる。僕は口を尖らせながら、『PM7時 二階堂面談』と書いてある日付を確認する。

 今日は進路相談の最期の面談だから絶対に来るように言ったのに、約束の時間を1時間過ぎても来ない。塾も来なかった。


トゥルルル トゥルルル トゥルルル……


 7回、8回、9回、僕は心の中で呼び出し音を数え続ける。肩をぽきぽきと鳴らして首を動かす。

 僕は、相手が出ない場合、20回呼び出し音を鳴らそうと決めている。1コールが約3秒だとして、60秒。短いようで長い待ち時間。受話器を持ちながら出来ることは限られている。のびをしたり肩をまわしたり、ちょっとだけストレッチをする。

 向かい側の机に座っているアルバイト講師の雨宮さんが、「でないんですかぁ?」と声をかけてくる。


 トゥルルル トゥルルル トゥルルル……


「出かけてるのかなぁ? 用事が出来たら、電話くれればよかったのに」

「ですよねー」


 トゥルルル トゥルルル トゥルルル……


 呼び出し音は続く。14回、15回、16回、僕は数えながら、手元にある二階堂の個人情報をみる。母親もフルタイムで勤務か。こりゃ、いないな。


 トゥルルル トゥルルル トゥルルル……


 20回目のコール音を聞き終えた僕は、耳から受話器を外しておおげさに両手をひろげた。途端、21回目の呼び出し音が受話器から聞こえてきた。


 ―― 21回も呼び出してでないなら、留守だな。


 僕は雨宮さんに聞こえるようにわざと大きなため息をついて、受話器を耳から離した。その時だった。ブチっと電話がつながる音がして、『……もしもし』とくぐもった声が聞こえてきた。僕は慌てて、受話器を持ち直して耳にあてる。雨宮さんに、ぐーっと親指をたててみせた。

 

『もしもし、二階堂一美様のお宅ですか?』

『……はい……』


 すこし間が開いて返事が返ってくる。


『いつもお世話になっております。私、cancanゼミナールの脇谷わきやと申します。二階堂一美様は御在宅でしょうか?』

『……私です』

『おお。なんだ、二階堂か。どうした? 元気のない声をだして……。風邪でもひいたか? 体調悪いのか?』

『……いえ』

『今日は、面談だったろう?』

『……はい』

『どうして来なかった?』

『……。あの……、今日はちょっと行けません……』


 二階堂にしては歯切れが悪い。こんなに愛想の悪いやつだったろうか? 塾にいる時は明るくてはきはきしたイメージだったのに、と思ってしまう。


『そっか。わかった。じゃあ、……』


 明日なと言って電話を切ろうとしたら、二階堂の縋りつくような声が聞こえてきた。


『脇谷先生、理科の中谷宇吉郎先生に質問があるので伝言をお願いします』

『?』

『昨日の化学の小テストですが、21番目のカルシウムもしくは酸素と硫黄の反応と、22番目のアルゴンから電子を奪うとなぜルテニウムになるか、反応式の立て方もわからないのです。よろしくお願いします』


 二階堂はそう早口に言うと、電話を一方的に切ってしまった。


 僕は二階堂が何を言いたいのかわからなかった。この塾に中谷宇吉郎という名の理科の講師はいない。その人物は、昨日、国語の時に解説したエッセイの作者だ。僕が頭に手をあててうなっていると、雨宮さんが声をかけてきた。


「繋がってよかったですね。二階堂さん、なんて?」

「それが、さっぱりわからないんだ。『中谷宇吉郎先生に質問がある』といってね……」

「中谷宇吉郎って、あの氷の学者ですか? でもどうして?」

「昨日、中谷宇吉郎の『硝子を破る者』っていうエッセイを扱ったからかなぁ。若い子は感化されやすい」

「どうでしょう? ちなみに『硝子を破る者』ってどういう内容なんですか?」

「戦争に負けたからということに異をとなえ,今の困難は自分達自身がもたらしたものであると話だな。ニセコの山頂の観測所が泥棒に入られて散々な思いをしたとか、電話が通じなかったとか、まあ、戦後大変だったんだろうな……」

「塾長……、それって……」


 雨宮さんの顔色が真っ青になっていく。がたりと後ろに椅子が倒れる。


「塾長!! 今すぐ警察に電話してください。二階堂さんの家に泥棒がはいっていて、彼女、脅されていることだけは間違いありません!」


 雨宮さんの剣幕に押されて、僕は思わずうなずいてしまった。


「わ、わかった。……でも、中谷宇吉郎と泥棒を結び付けるのは短絡的だなぁ」

「塾長! 昨日行った化学の小テストは20問までしかないんです。21番目以降の問題なんてないんです。だから、ぜったい21番目と22番目の反応式が彼女のメッセージです!!」


 僕は半信半疑のまま、知り合いの伊藤刑事に来てもらうことにした。警察には、塾経営にあたり、通産省がだした「学習塾に通う子どもの安全確保ガイドライン」のことで相談に行ったことがある。それ以来、伊藤刑事には、何かと相談に乗ってもらっている。


 雨宮さんは腕を組んで考え込んでいる。


「さっき、二階堂さんは、カリウムもしくは酸素と硫黄の反応っていいましたよね?」


 状況のつかめていない僕は、二階堂が話したメモを手に取り頷いた。


「カリウムはK 酸素はO 硫黄はS……これじゃあ意味がわからないわ。そもそも反応に『もしくは』なんて言葉はない。でも、二階堂さんわざと使ったに違いない。それにアルゴンは安定だからアルゴンから電子をとるのは難しいのに、それがルテニウムに変わることはないわ。アルゴンはAr ルテニウムRU」



そう言って、僕のメモの上に原子記号を書いていく。


21 カリウム もしくは 酸素 と 硫黄

    K        O    S


22 アルゴン 電子 ルテニウム

    Ar  e   RU



「もしくはって……orってことかしら……」


 すぐに、伊藤刑事がやってきた。僕はかいつまんで話をする。伊藤刑事はうむうむと頷いている。


「一応、課のものを現場に向かわせている。親に連絡をとりたいので、脇谷さん、連絡していただけますか? 相手がでたら代わりますので……。それで、暗号は解けそうか?」

「今、もしくはのところにはorをいれようか悩んでいます」


 伊藤刑事は、雨宮さんが書いているメモを見た。そしておもむろに、もしくはのところにORを書き入れる。


「こりゃ 当たりか」


 伊藤刑事がうむむと唸っている。


「きっと、『KOROSARERU』つまり『殺される』と言いたかったんだろう。それを咄嗟に考えつく中学生も大したもんだ」








 その後、二階堂は無事に保護された。よかったとしか言えない。

 



 いつもなら、20回目の呼び出し音できってしまうところを、21回目の呼び出し音まで鳴らしたことで、事件を見つけることができた。世の中、何があるかわからない。呼び出し音の60秒も63秒も変わらないだろう。僕は、これからは呼び出し音は21回まで聞くことにしようと心に誓った。



                             おしまい






 

 









スカンジウム



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