02 悪魔と聖女と善行
聖女になった俺はたった数時間でぐったりと疲弊していた。聖女の代わりとしてその役目を任されたからだ。
なぜ悪魔の自分が聖女の役目など、と反抗したがここで『戒めのティアラ』が発動した。役目を放棄することは悪と認識されたらしい。
役目を果たしさえすればいいんです、という聖女に連れられやって来たのは教会の隣にある孤児院だった。本日はここで孤児院の子供達や周辺の住民によるバザーが開かれているらしい。
聖女に連れられて顔を出せば、すれ違う人が皆穏やかな笑顔を向けてくるし子供達はじゃれついてくる。中身は悪魔の俺だが見た目は聖女なので「聖女様がいらした!」と言って歓迎してくれるのだ。
「俺は悪魔だ!聖女じゃねぇ!」と振り払おうとするがその度に『戒めのティアラ』が発動し不本意ながら寄ってくる人間達の相手をするしかなかった。
ちなみに俺の姿をした聖女は、中身が聖女であるがゆえにあっさりと人間たちに受け入れられていた。
自分の体が和やかに人間と挨拶しているのを見ると不快感が増して仕方がない。
ちなみに悪魔の体というのは総じて色黒ではあるが、悪魔らしい角や翼がついているわけではない。魔力さえ使わなければただの一般男性だ。とはいえ、見た目は女性を堕落させるために美形に出来ている。
その為、バザーを訪れた女性からは熱い視線を送られていた。中身の聖女はそんな視線に気付きもしていないようだが。
「まーじでやってらんねぇ……何が楽しくて人間共と愉快に過ごさなきゃなんねぇんだよ……」
やっと一息ついた頃、俺は教会の裏手にあるベンチに足を投げ出して座りぼやいていた。辺りには誰もいない。
空はすっかりオレンジ色に染まり客達は帰ってしまった。
バザーの最中に俺は盗みや暴力という悪事を働こうとしたり、そうするように人間を唆そうとする度に頭が締め付けられ痛みに襲われた。聖女の姿で人を騙しやすいと思ったがそんなにうまくはいかないようだ。
不思議だったのはどんなに俺が顔をしかめても罵詈雑言を吐こうとも、回りの人にはいつもの変わらぬ聖女の姿に見え彼女の柔らかい口調と言葉に聞こえているらしい事だ。それにより残念ながら俺が聖女を直接貶めようとすることは出来なかった。
聖女いわく、これも『神様の加護』だそうだ。
そんな都合のいい加護は発動するってのに、なんで神は元に戻すための加護を発動させない?
俺は悪魔だから神様の考えとやらは全く理解できない。聖女は『これも試練ですから乗り越えなくては』なんて異常なほどあっさり受け入れていたが悪魔としては「はいそうですか」と簡単に受け入れられるようなものではない。
……昔の俺なら、聖女のように考えたかもしれないがな
ふと昔の自分を思い出しかけた時、かさりと草の擦れる音がして聖女が姿を現した。
「ようやく見つけましたよ悪魔さん。お役目お疲れ様でした」
そう言いながら木でできたマグカップを差し出してくる。
中にはホカホカと湯気を立てる野菜スープが入っていた。
「……俺は悪魔だぞ、そんな貧乏くさいスープなんか飲むわけ」
ないだろう、と続けるより早くきゅるると体が空腹を訴えた。その音に今は人間の体だったと思い出し渋々とカップを受け取った。
悪魔の体であれば長期間飲み食いしなくとも空腹を感じることはなかったというのに、聖女の体は少し動いただけで空腹になるらしい。何とも面倒だ。
仕方なくスープを口にすると口一杯に野菜の旨味が広がった。意外と悪くない、愚かで脆弱な人間だが、料理が出来るという事だけは褒めてやってもいいかもしれない。
そんなこと思いながらスープを飲む俺の隣に聖女はちょこんと腰を下ろす。手にはもうひとつ同じカップを持っていた。
「一仕事終えたあとのスープは格別ですねぇ」
ふうふうと冷ましながらスープを啜る姿に俺はふん、と鼻を鳴らす。
「元の体に戻ったらお前ごとこの協会もぶっ壊してやるから覚悟しとけよ」
「悪魔さん、そんな悪い事をしたら皆が困りますし神様が悲しまれますよ?」
「何回言わせるんだよ、俺は悪魔なの!人間を困らせたり悲しませたりする為に存在してる生き物なの!教会で『悪魔は悪い生き物です』って教わらなかったのか!?」
聖女からしてみれば俺達悪魔は敵対する存在だ。それを真面目に諭そうとしてどうする。
訳がわからないと吐き捨てるが聖女は穏やかに笑って見せるだけだ。
「悪魔さんが人々を困らせたり悲しませたりする存在だとしても、きっと解り合えると思うんです。悪魔さんが心から己の行いを反省し、悔い改めればきっと神様は許してくださいますよ」
「だーっ!鳥肌が立つ!そんなこと望んでねぇんだよ、バーカ!!」
一瞬だけ神様の前に祈りを捧げる自分の姿を想像してししまい、ぞわりと鳥肌が立った腕を片手で擦る。そして一気にスープを飲み干しカップを聖女に押し付けようとしてふと気が付いた。
聖女……もとい聖女の入っている自分の体が変化している気がする。色黒だった肌がほんの少しだけ白くなっている気がするのだ。
「……嘘だろ」
「悪魔さん?どうしました?」
「動くな!」
「ふにゅっ!?」
顔を上げた聖女の頬を片手で乱暴に掴み、ぐいっと引き寄せる。まじまじと自分の顔を見つめてみると血のように真っ赤だった瞳が濃いピンクになっていた。
「おい聖女、お前バザーの間に誰かに感謝されたり誰かを助けるような事したか!?」
頬を掴んでいた手を離そうと奮闘している聖女に尋ねるときょとんとした後、彼女は頷く。
「もちろん、聖女ですから。困っている方を助けるのは当然ですよ?」
その返答に眉間に皺が寄る。
マジか、あり得ねぇ……。
「……具体的に何をした?」
「えっと……シスターに頼まれて重たい荷物を運んだり、迷子になった女の子の親御さんを見つけてあげたり、足の悪いお婆さんがいらしていたので歩きやすいように手を貸したりしていました。あ、あと孤児院の子供達の喧嘩を仲裁したりもしましたね」
なんだその人助けのオンパレードは。
「はぁ!?マジかよ、あり得ねぇ馬鹿じゃねえの!悪魔が人の手助けしてどうすんだよ!」
「今は悪魔さんの体をお借りしてますが、私は聖女ですから当然のことをしたまでですよ?」
俺の言葉がよくわからないと言うように聖女は首を傾ける。
彼女にとって人助けなど日常茶飯事なのだろう。困ってる人がいれば手を貸すのは当然で、なぜ俺が怒っているのかは理解できないようだ。
「いいかよく聞け!悪魔は悪事を働く為に存在してるんだ。良い事をしたらその分、清められて最後には浄化されちまうんだよ!!」
俺達悪魔とは文字通り悪しき者である。
悪事を重ねれば重ねるほど、その瞳は赤く染まり悪魔らしい風貌になっていく。だが悪魔が善行を行えば逆に目の色素は薄くなり赤からピンク、紫、そして青に変化していく。肌も白くなり、段々と体が浄化され最後にはその存在が消えてしまうのだ。
人間に情が移り消えていった愚かな同類を俺は何人も見てきた。
そんなやつらと同じ様には絶対にならないと決めていたのに、今俺の体は浄化され始めている。これでは元の姿に戻る前に体だけ先に清められて消えてしまうかもしれない。
そんなのは真っ平ごめんだ。
「俺の体が浄化されて消えたら俺は帰る体を無くすし、お前の魂だってどうなるかわからない。俺は一生聖女の体で生きるなんてごめんだ!元の体に戻るまで人助けはするな!!いいな!?」
言い聞かせるように告げた俺に、聖女は数回目を瞬かせるとぽっと頬を染めた。
「……まぁ、悪魔さんが私の心配を……!」
どこをどうしてそうなった!?
「してねぇよ!?」
「分かりました。私を心配してくださる悪魔さんの為に、人助けは我慢しますね」
「人の話を聞け!お前のためじゃないんだからな、俺のためだ!」
「なるほど、これが噂に聞く『ツンデレ』ですね」
「なんでそんな言葉知ってんだ聖女の癖に!」
突っ込むことに疲れゼイゼイと肩を上下させている。
こいつと言葉を交わす事が疲れて仕方ない。
「大丈夫ですよ。私、ちゃんと元に戻れるように頑張りますから!」
大丈夫だと思える要素がどこにも無いんだが……。
俺は力なく項垂れると勘弁してくれよ、と小さな声で呟いた。
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