聖女が悪魔で悪魔が聖女~入れ替わった二人~
枝豆@敦騎
01 悪魔と聖女と入れ替わり
白い壁、キラキラとと輝くステンドグラス、整理整頓された小さな礼拝堂。
外で遊ぶ子供たちの声が反響して聞こえてくる穏やかなその空間に祈りを捧げる少女が一人。
彼女は聖女だ。
産まれた時から不思議な力を持ち、人々に尽くす存在として教会で育てられてきた。
聖女として生きることを定められた彼女は、使命を全うするべく他の人間と区別するための名前を与えられなかった。
もはや『聖女』という肩書が名前のようなものだ。
そして聖女としての暮らしは決して贅沢で優雅なものではない。
手厚く保護して王族よりも贅沢な暮らしを与えてくれる国もあるが彼女の産まれた国はそれに該当していない。この国では聖女として生まれた人間は教会の管理のもと、清いまま一生を終えるべきだと考えられていた。
過去には押し付けのようなその考えを不満に思い、国を飛び出した聖女も居たが今代の聖女はそれを感謝して受け入れているらしい。
……俺はそれが酷く腹立たしい。
なにが感謝だ、なぜ他の者より強い力を持っているのに自分の為に使わない?
教会に囚われているともいえる人生を送る聖女。
自分を犠牲にして他の為に尽くすというその考えは全く理解できない。
他の国の聖女はもっと豪華な暮らしをしている。見目麗しい男や女を侍らせたり、華美な装飾品をこれでもかと収集したり。
他の聖女の様に好き勝手に生きればいいものを、この国の聖女は自分の欲などない様に他人のために尽くしていた。
俺にとってその生き方は不愉快だ。
だから不愉快な聖女に絶望を与え始末しようと考えた。
祈りを捧げ終えた聖女が祭壇に一礼してその場を去ろうとした時、俺は黒い鳥の姿で祭壇と聖女の間に降り立った。
羽音のひとつも立てずに現れた存在に驚いた彼女は目を見開く。俺はそんな聖女を目に映すとニタリと笑い一瞬にして鳥から色黒の青年へと変えた。
この体の肌は黒めで髪は漆黒、瞳だけが血のように赤い。そして顔は多くの人間、特に女性が好む程に整っている。
その方が人間を堕落させるには好都合なのだ。
俺は悪魔、人間を誘惑し堕落させる存在。
この聖女の事も堕落させて絶望させ最後は殺してやる。
そうすればこの聖女から感じる不快感も消えてなくなるだろう。
しかし俺を目にした聖女は嬉しそうに目を輝かせる。
「鳥が人になるなんて不思議ですね!もしやあなたは天使?私、天使を見たのは初めてです!」
「いやどう見ても悪魔だろ!?」
突然現れた悪魔に怯えるどころか天使と間違えるなんてありえない。
反射的にツッコんでしまい眉間に皺を寄せる。
……こいつは本当に聖女か?
「悪魔も初めて見ました!思ったより男前なのですね!」
「いや能天気か!」
初めて見ました、なんて俺は珍獣か!
もっと恐れ震えるのが悪魔と対峙した時の正しい反応だろう!?
予想外の反応に出鼻をくじかれたが改めて聖女に聖女に視線を向ける。
「まあ聖女が能天気だろうと阿保だろうと関係ない。お前は今から俺に殺されるんだ、神に最後の祈りでも捧げるんだな!」
ビシッと宣言することができた。
「でしたら半日ほど頂けますか?今日一日分のお祈りしかしてないので、この国に次の聖女が現れるまでの分をお祈りしておかないと……でも次の聖女がいつ現れるかは司教様しかお分かりにならないから、まず司教様にお会いしてそこから日数を教えていただいて……やっぱり二日くらいは待って頂かないと」
俺の宣言を聞いていたにも関わらず、聖女は夕飯の献立に悩む主婦の様に頬に手を当て考え込んでいる。
違う!そうじゃない!そこは殺さないで下さいとか、助けてくださいとか命乞いするところだろう!?
「俺の話聞いてたか!?今から殺すって言ってるのにそんなに待つわけないだろうが!」
「あら、最後のお祈りをさせてくれるのでしょう?あ、その前に!悪魔さん、殺すなんて怖いことを人に言ってはダメですよ?神様が悲しまれます」
「いや知らねぇよ!?俺、悪魔!悪いことするのが仕事!何なんだお前……もういい、今すぐその口聞けなくしてやる!」
いまいち嚙み合わない聖女のテンポに痺れを切らし、俺は手のひらに魔力を集中させる。
この魔力の塊をぶつければ人の命など簡単に奪うことができる。聖女相手に試したことはないが無傷では済まないだろう。
「死ね聖女!」
手を振りかざし魔力の塊を聖女に放とうとしたその時。
「悪魔さん、上!」
「は!?」
バリバリッという音と共に室内だというのに頭上から雷が落ちてきた。先に気が付いた聖女が俺を庇うように突進してくる。
ぶつかった衝撃で魔力の塊は消えてしまい、俺はそのまま聖女と床に倒れこんだ。
雷は避けられたようだが一瞬意識は飛んでいたようだ。
気が付くと床が黒く焦げているのが目に入った。
「ち、くしょうっ……なんだ今の、ふざけやがって……は……?」
悪態をつきながら起き上がれば目の前に自分が倒れていた。
驚いて手を伸ばせばその手は色黒の見慣れた手ではなく真っ白な肌の小さな手だ。
「なん、だ……これ……」
気のせいだと思いたいが口からこぼれる声もやたら高い。
「んん……」
困惑していると小さく唸りながら目の前の自分が目を覚ました。
「吃驚しましたねぇ……悪魔さん、大丈夫ですか?」
低い声でそう告げる自分に背筋がぞわりと泡立つ。
もしかして、と一つの仮説が頭を過る。
それはとても信じられないものだ、しかしこの状況を見る限り理解するしかないのだろう。これは紛れもない現実なのだから。
「……大丈夫なもんか。おい聖女、俺とお前。今ので体が入れ替わったみたいだぞ」
「あらまあ……不思議なこともあるんですねぇ」
聖女は他人事のように呟く。いや、正しくは俺の体に入った聖女が、だ。
「俺の声でその口調やめろ、気持ち悪い!!」
聖女が自分の口から呑気な言葉を紡ぐ度に背筋がゾワゾワして落ち着かない。
入れ替わってしまったというのにどうしてそんなに呑気でいられるのか。
「悪魔さんは身長が高いですね!視界が広くて面白いです。手も大きいですし荷物がたくさん運べますね!足腰もしっかりしているから子供たちを乗せてもびくともしなそうです!」
俺の言葉などまるで聞かず、きゃっきゃとはしゃぐ自分の体から目を思いきり反らし片手で顔を覆い隠すと同時にため息をついた。
この女、今の状況を分かっているのだろうか。
「悪魔と聖女が入れ替わるなんて七百年生きてきて一度も聞いたことないぞ……」
思わず零れた言葉に俺の体……いや聖女が顔を上げる。
「ご長寿ですねぇ、長生きの秘訣はなんでしょう。あ、毎朝お散歩なさって健康維持に努めているのですか?」
「んなわけあるか!人間基準で考えんな、どこの世界に健康維持で毎朝散歩するような悪魔がいるんだよ!」
「あら気持ちいいですよ、朝のお散歩。今度ご一緒にいかがです?」
にこにこしながら顔を覗き込んでくる聖女に俺は拳を握り振り上げかけて、やめた。この能天気を一発殴ってやりたいと思うが体は自分のものだ。
中の聖女はどうでもいいが自分の体を痛めつけたくない。いくら悪魔といえど痛いものは痛いのだ。
そもそも今の俺はか弱い聖女の姿をしているから、頑丈な自分の体に傷をつけることなど到底できないだろう。
「おい聖女、とぼけた事言ってないでお前も元に戻る方法を考えろ」
脅すつもりで声を低くし告げるが、その声すら小鳥のさえずりの様で怒気すら感じられない。
「元に戻る方法……ですか。これも神様からの試練ですね、わかりました。考えてみます」
聖女は素直に頷き、真剣な顔で指先を口元にあて考え始める。そしてすぐにパッと顔を上げた。
「さっきみたいに私が悪魔さんにぶつかってみるのはどうでしょう?またぶつかれば元に戻るかもしれませんし」
「……試してみるか」
ぶつかるだけで中身が入れ替わるなんて馬鹿な話あり得ないと笑い飛ばしてやりたいところだか実際にそれで俺は聖女は入れ替わっているのだから仕方ない。渋々聖女の言葉に頷く。
「ほら、ぶつかってこい」
腕を広げるが聖女は首を横に振る。
「ぶつかっていったのは私ですが今は私の体に悪魔さんが入っています。ですから悪魔さんがこちらにぶつかった方が再現できるかと」
「……ったく、めんどくせぇ」
ぼやきながら聖女から少し離れる。
助走をつけて思いきり自分の体に体当たりをするがびくとも動かない。
「……悪魔さん、本気でぶつかっていいんですよ?」
気を遣われたと聖女が勘違いするほどだ。
「本気だったぞ!?お前の体が弱いせいだろ!」
「そんなことありませんよ?私、健康優良児ですから!」
「そこじゃねぇ!」
心外だと言うようにぷくっと頬を膨らませる聖女。本来の姿であれば可愛らしいのだろうが、その仕草も俺の体でされると腹立たしいだけだ。
図体のでかい男が頬を膨らませ、拗ねて見せたところで誰の得にもならないだろう。
その鬱憤を晴らすように悪魔は思いきり自分の体めがけ突進する。
先程よりも思いきりぶつかってみるがやはり変化はない。
「何も起きねぇじゃねぇか!」
「もしかしてぶつかるだけでなく、雷が必要なのでは?」
「雷……」
頭上を見上げてみるが雷の気配などまるでない。そもそも先程のあれはなんだったのかと呟く俺に聖女が「神様の加護ですよ」と答えた。
「聖女は清く強い力を持っているので危険な目に会う事もあるのです。そんな時はさっきの雷のように自然の力を借りて神様が私達聖女を守ってくださるんですよ」
そんな話は聞いたことが無い。
もし聞いたことがあったならば単身で聖女を襲おうとはしなかったはずだ。
俺は苛立ちながら祈るように指を組んで微笑む聖女にびしっと指を突き付ける。
「だったらその神様とやらに頼んでまた雷起こしてもらえ!そんでさっさと元に戻るぞ!」
「それは無理です」
「はあ!?」
きっぱりとした聖女の拒絶に声を荒げる。
「頼んだからと言って神様の加護は発動しません。それこそ私に危険が迫ったりしない限りは」
「なら話は簡単だ、お前を痛めつけて無理にでも発動させてやる」
自分の体は無傷で取り戻したかったが仕方ない、ある程度の怪我は我慢しよう。
そう考えて魔力で攻撃しようとしたが聖女の体に魔力はない、魔力の塊を作り出そうとしても何も起こらない。
「っくそが!」
発動しない魔力に悪態をつきながら他に武器になるものはないかと辺りを見回す。すると礼拝堂の椅子の上に、誰かの忘れ物らしき分厚い聖書を見つけた。
分厚い本の角は意外と凶器になる、これで聖女を殴ってやろうと聖書を手に持ち振り上げた瞬間。
「……っぐ、あぁ!?頭が痛ぇ!?なんだこれ!」
頭が締め付けられるように痛み出した。
思わず聖書を投げ捨て頭を押さえる。何もなかったはずの頭部に輪のようなものが嵌められた感触があった。
痛みに苦しんでいると聖女が悲しそうに口を開く。
「悪魔さん、今何か悪いことをしようとしましたね?……その痛みは聖女が悪事を行わないように、司祭様が取り付けてくださる『戒めのティアラ』によるものです。謝罪して、もうしないと宣言するまで痛みは消えませんよ?」
「ふっ、ざけんな!!こんなのっ……ぐぅっ……!!」
輪を外そうとすればするほど激しくなる締め付けに呻くしかできない。そ暫く格闘していたが、俺はとうとう痛みに耐えきれず謝罪の言葉を口にした。その途端、ぴたりと締め付けが止まり確かに
あった輪の感触が消える。
「……なんなんだよこれ。こんなの聖女を操るための拷問器具じゃねぇか、お前よくこんなのつけて正気で生きていられるな」
やっと痛みから解放されどさりと床に座り込む。
聖女が悪事を行わないように、というのは正しい道を歩ませる為かもしれないがこれを悪用すれば聖女を教会の言いなりにさせることもできてしまうだろう。
人間とは何て恐ろしいことをするのか、悪魔より悪魔らしいのかもしれない。
「拷問だなんて……そんな恐ろしいことをしようとする悪い人は教会にはいませんよ。私達聖女の事を思えばこそ、使われるものですから」
俺の心中など知らず聖女はそんなことを口にする。
「馬鹿じゃねぇの。教会にいるからって全員が善人とは限らないだろ……つかこれじゃお前を痛めつけて雷を起こさせることも出来ねぇじゃねぇか!」
怒りを露わに手足をじたばたさせるが駄々をこねているようにしか見えない。
そんな俺に微笑みを向けながら聖女はこう言った。
「では悪魔さん、体が戻るまで私と一緒に聖女の役目を果たしましょうか!」
…………は?
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