21回目の出来事

妻高 あきひと

引き潮

 沖縄はもう夏の気配だ。

ワタシはおよそ七八年前から毎年、年に数回沖縄に来続けている。

もっぱら海が目当てで今回は一人でやって来た。

海ありダイビングあり素潜りあり観光ありの気ままな旅だ。

観光島沖縄も観光汚染されていないところは別格だ。


 民宿からさほど遠くないところに沖縄ガイド本には載ってない浜がある。

小さな浜辺で本土などからの観光客もたまにいるが、浜から一歩海に入れば主に枝サンゴの群落だから海水浴には向かない。

ダイバーや海水浴客が増えるとサンゴの群落もあっという間に崩壊してしまうので、それもあってか施設もなく、ここまで入ってくる道も整備されていない。


ワタシの場合は泳ぐのが目的だから民宿で自転車を借りてここまで来る。

シーズンを外して来ると誰もいない日がある。

こういうときは、完全にプライベートビーチだ。

今日は観光客らしき人はいるが、地元の人はいない。


地元の人は毎日見てるのに今さら、てなもんだ。

サンゴの浜も青い海も本土の人間にはキレイだろうが、地元の人にはどうってこともない。

顔見知りの地元の人も何人もいるが、こんなところ何が楽しいの? て聞かれるくらいだ。

湘南の人間が湘南の海に感動しないのと同じだ。


 最初にこの浜に来たのは三年前だ。

あれ以来、沖縄に来れば必ずここに通っている。

今年の正月にも三回続けて来た。

ノートを見ると、ここに来るのは今日で20回目だ。


20回、なんとなくキリがいい。

何か宝ものでも見つかるかな、と理由もなく思ってしまった。

いつにもなく心が躍るような気がするのはなぜか、わからない。


浜は円弧を描いて入江のようになり、沖は大きく口を開け、ちょうど三日月型のような形をしている。

三日月の内側が総てサンゴの群落だ。

海は透明で沖は緑がかった青、空も深い青でまさに沖縄の海の景色そのまんまだ。


木陰でバッグを開けて荷物を取り出す。

ウエットスーツ姿でブーツを履き、時計とナイフも着けて来た。

あとはフィンとメガネとシュノーケル、それにグローブだ。


海パンに素足素手では事故の元だ。

おまけに沖でサンゴ礁が切れているところから先は外海で流れが速く複雑で少し潜れば水温も低い。

とてもじゃないが、裸で泳げるようなところではない。


 ワタシはいつも潮に合わせて来る。

引き潮に乗って沖に出て、満ち潮に乗って戻ってくるのだ。

引き潮になった。

仰向け、うつ伏せを繰り返しながらサンゴの群落の上をゆっくりと沖に出ていく。

引き潮が沖に運んでくれる。


海は澄み切っている。

下をみると小魚の天国だ。

しばらく進んで水中から沖を見ると、サンゴの切れ目がぼんやりと見え始めた。

その向こうには青黒い海が広がっている。


サンゴの群落が切れたところは一気に深くなっている。

といってもおよそ10メートル前後くらいの深さで、素潜りで行ける程度だ。

底は砂だが、この砂もサンゴのかけらで出来ているので、底が白い。

本土では見られぬ景色だ。

そこから先は坂のように斜めに深く落ち込んでいる。

底の先は青黒く、どこまで落ちているのかわからない。


この辺りですでに流れが強い。

引き潮とは別の流れだ。

あまり流されては遭難してしまうので、適当に戻ってサンゴ礁の切れ目で遊ぶことにした。

ただ潜っては浮き、潜っては浮きだが、これが意外と面白い。


今日はいないようだが、ときたまでかいクエがサンゴ礁の中から出ては引っ込みを繰り返している。

それはこのサンゴ礁の主のクエだと地元の人がいっていた。

たまにボートできたダイバーがこのクエを狙って入るが、そのクエがダイバーがいるときは出てこない。


中にはボートで来て何度か鉄砲を持って入ったものの、影すら見えないと文句をいう者もいるらしい。

そんなもんだ。

ワタシは何度か見ている。

狙っている者には見つからないが、狙っていない者には何度も見えるてことは何であれ多い。


でも確かに狙いたくなるほど大きい。

鉄砲で撃っても引っ張られたら並みの男は抵抗できないだろう。

ワタシが見たときも、こっちに気づいて引っ込んだとき、底の砂がボワッと巻き上がったくらい大きい。

その穴も一度見たが、奥は真っ暗だ。

サンゴ礁の中はすき間と穴だらけで、人間が迷い込むと二度とは戻れない。


 潮が動かなくなった。

満ち引きの間の潮止まりだ。

この前後の時間は自由に遊べる。

とはいえ珍しいものが見えるわけでもなく、ただ海にいる、それだけだが。


 沖に出ぬように泳いでいると視界の隅で白いものが動いた。

見ると何もいない。

魚か、鮫はここにはいないはずだが、するとまた見えた。

今度は完全に見えた。

おお、これはでかそうだ・・・が・・


一瞬何かわからなかった。

魚と思ったが魚ではない、いや魚か、違うな人か、人だろう、いやそれも違う、なんだありゃ。

我が目を疑った。

人魚のようだ。


まさかそんなことあり得ない。

あり得ないよな、絶対に。

しかし人魚だろう、大きさはワタシより少し小さいくらいか。


顔もあるし胸もあるし髪は真っ黒い髪で動くたびに毛の一本一本が意志を持っているように揺れ、踊っているようにも見える。

そして腰から下は赤く魚になっている。

鯛の仲間のトガリエビスを思い出した。

ワタシはじっと見ていた。

身体が驚きと恐怖のような感覚で硬直したまま動かないのだ。


でも目と顔は動く。

人魚は深いところもまさに魚のように自由に動き回っている。

ときたま口から泡のようなものを吐き出している。

顔も上半身も磁器のように白くて艶がある。


胸のふくらみも身体に合わせてゆらりゆらりと怪しく揺れる。

小さく濃いピンク色をした乳首まではっきりわかる。

夢を見ているようだ。

これは夢だろう、夢だな実は。


 そう思ったときだ、人魚はワタシを見た。

大きな目に真っ黒い瞳がワタシを見た。

人魚はおどろきもしない。

ワタシはどうしたらいいのかわからない、シュノーケルから水がどっと入ってきた。


息苦しくなって水面に顔を出しシュノーケルから水を吹き出し、思いっきり空気を吸ってまた下を見た。

人魚は消えていた、と思ったら深みのほうで泳いでいるのが見えた。

青黒い深みの中で白い胸が躍っているのが見える。


上からの光りがスポットライトのように差し込み、人魚の身体をキラキラと輝かせている。

その周りを魚が何匹も何匹も泳ぎながら回っている。

まるでファンタジーアニメを見ているようだ。

身体の硬直は取れた。

少し入ってみよう。


四五メートル入ると人魚は上がってきた。

少し距離を置いてワタシを見ている。

顔は日本人と欧米人のハーフのような顔だ。

胸のふくらみが気になってしようがない。


こんな形のいい胸があるのか、ネットでどれほど画像を探してもこれほど美しい胸は見つからないだろう。

頭がクラクラしてきたが、人魚は胸を見られても平気なようだ。

それにワタシがいたことは最初から知っていたようにも思える。

ワタシはどうしていいか分からず、じっと人魚を見ている。


白い顔を黒い髪が覆ってはまた見せている。

すると人魚は少し笑った。

そして身体を反転させるとスッと深みに入ってふり返った。


何をするのかと思っていたら、右手の人差し指で深みを差して笑っている。

こっちへ行こう、とワタシを呼んでいる。

息苦しくなったので上がり、シュノーケルを水面に出しながら人魚を見た。

消えていた。


これは何だ、夢ではなさそうだが、なら幻想か、そうとしか思えない。

時計を見ると満ち潮に入る時間だ。

底を見るとやはり人魚はいなかった。

幻想だよな、幻想だ。


美しくてちょっと不気味な幻想だった。

誰に話しても誰も信じないだろう、なにせ幻想だものな。

帰ろうとして振り向くと、人魚はそこに顔の上半分を出していた。

濡れた真っ黒い髪が顔に垂れ、目はワタシを見て笑っている。

すると人魚はいきなりワタシの左手をつかんで引っ張った。


わわわ、シュ、シュノーケルが外れる、と思う間もなく水中に引っ張り込まれた。

ワタシの手をつかんだまま、どんどんと深みに入っていく。

冗談じゃない、息も吸ってないのに潜れるはずもない。

ワタシは必死で人魚の手をほどき上に上がった。


水を呑んだ、それもかなり呑んだ。

シュノーケルは何とか耳の下でとまっていた。

下をみると人魚はワタシを見上げながら何かいっている。


なんといっているのかわからない。

満ち潮に身体が流されていく。

なんといっているのか、必死で人魚の口元を見た。

「明日ね」といっている。


間違いない、たしかにあの口は

「明日ね」

といっていた。

サンゴ礁の中に戻った。

サンゴの群落を潮が流れていくのがはっきりとわかる。


もう人魚の姿は見えない。

潮に乗って浜に流されながら仰向けで空を見ていた。

雲が流れていく、幻想ではないぞ、これは。

何よりも人魚が引っ張った左の腕にはまだ感触が残っている。


あれは幻想ではなかった。

でも人魚だ、いるはずがない。

幻想と現実の狭間で揺れ動く。

結局、沖で潜ったり浮いたりを繰り返しているうちに軽い潜水病にかかって幻想を見たのではないかと思った。


でもあの言葉が忘れられない。

民宿でも思い出す。

「明日ね」

その夜は寝つけなかった。


               翌日


 ワタシは気づいたらその浜辺に立っていた。

ここに来るのは21回目になるわけだ。

でも海に入らなきゃ21回目にはならない、とわざわざそう思った。

泳ぐ支度もしてあるので入るか、でも21回目でワタシの人生は終わるのか、と思うと足が前に出ない。


もう引き潮の時間だ。

行けば底へ引きずりこまれ、生きて帰ってこれないかもしれない。

どうする、どうすればいい。


沖のほうから女の声が聞こえたような気がした。

「引き潮よ・・」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

21回目の出来事 妻高 あきひと @kuromame2010

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ