148話 私のゴールに飛び込みたい!




 レースがスタートして最初は予想どおりの展開になった。


 一番開いたときは予定どおり半周くらいの差もつけていた。


 でも当然のように後半になれば足の速い子が揃っている。千景ちゃんは本当は前半で遅れない程度の役目だったんだから、それをアンカーの私の前に持ってくる。練習無しで確実なバトンパスをするには確かにこの並びでしか組むことができない。


 1年生と2年生が頑張ってきたけど、正直厳しい展開になってしまいそう。


 でも、私の心の中では予想通りの展開だった。


「千景ちゃん、焦らないで!」


「うん」


 彼女が出れば最後の私。やっぱり終盤。3組との実力差を考えれば、あとは運勝負になりそうだと。


 予想どおり千景ちゃんが抜かれてしまうけど、彼女だって脚力は3年女子の中ではトップクラスだ。それは見ていたって分かる。3年男子に追い付かれるのは想定内。


 後ろ髪を前に持ってきて握っていた先生のハチマキを離して立ち上がる。……それなら私が決めるしかない。水色のハチマキが背中に当たって、あの手が背中を押してくれている気がした。


 そう、そのまま。そのまま焦らずに2位で来てくれればいい。



 彼女の負担を考えて、私はわざとリレーゾーンの一番後ろ側からスタートを切らずにいた。


「松本! 助走出ろ!」


「花菜ちゃん!」


「いいから、黙って見てろ。松本以外には出来ない大技だ。あのハチマキの編み込みは本気モードの証拠だ」


 何人かの声が聞こえる。最後は内田くん?


 分かってるじゃない。先まで行ったら千景ちゃんが持たないからね。


 リレーゾーンを使わない助走無しでのバトンパスは走る距離も長くなるし加速までのロスタイムもあるからルール上は良くても本来は禁じ手。でも、そのくらいのリカバーなら昔から何度もやってる。今の順位差と走る距離、メンバーから逆算して最下位からでも総合2位は固い。ただ目標はもうひとつ上!


「花菜っ!」


 手にバトンの感触があって、瞬時につかみ取ると後ろを見ることはしなかった。


 タイミングをずらしたことで、バトンパスの順位は4番目。でも二つ先の2位との差は1メートルそこそこ。そんなものはご挨拶程度だ。最初の直線でトップスピードまで立ち上げてアウトコース側から一気に二人を抜くのはわけない。


「すげぇ……」


「いいぞ、松本!」


 それでもトップとの差は2メートル。正直このままじゃ厳しい。


 内田くんや先生も最初のコーナーは落ち着いてと言われたけれど、こんなにピッタリ後ろにつけられたら内側に入ったところで接触する。


「もおっ……、そんなにくっつかないでっ!」


 考えるのをやめて体の直感に任せた。スピードを緩めずに、さらに内側に一人分のスペースを開けてコーナーに突っ込む。距離的にもコーナリングとしても圧倒的に不利なことは分かってる。でも……、転ばなければいいから……。


 バックストレートに入れば、得意の直線だから再び全力で飛ばして今度こそ3位以下を引き離す。


「マジか? 松本!? ウソだろ!?」


 前を走るのは予想どおり3組の丸山くん、夏まで陸上部のエースだったもんね。大歓声だけでなく予想もしないどよめきに思わず後ろを振り向くくらい焦っているみたいだけど、それでも速い。第3コーナーに入るときに、手を伸ばせば届くところまで来た。でもこれが精いっぱい。


 気力も体力だって間違いなくオーバーペースだ。


 『ごめん先生……、約束守れない……』


 そんな弱気が頭をかすったとき、左足に違和感が走った。また筋を痛める……。完走できるかさえ分からなくなる。


「花菜ぁっ! 顔を上げろ! 来いっ! 右に出ろ!」


 名前を呼ばれて顔を上げる。残り100メートル先で手を広げていてくれる。私のゴール……。


 あの人に恥をかかせるわけにはいかない!


 もういい。これで折れてもいい! 残っていた力を全て足に持って行った。


 言われたとおりにアウト側に出る。


 あとは何も考えてなかった。あれだけの歓声も聞こえなくなったし、丸山くんの姿が視界から消えたことも覚えていない。


 ただ、あの正面の腕の中に一刻も早く飛び込みたい。


 ただそれだけ……。


 最後、正直ほとんど何も見えていなかったと思う。


 ただまっすぐに無心で駆け抜け、ピンと張ったテープの感触を胸元に感じた瞬間、私の足から力が抜けた。


「花菜っ!」


 広げられた腕の中によろけながら飛び込んで、その人を押し倒しながらグラウンドに崩れ落ちた。


「ごめんなさい……わた…し……」


「よく頑張った。偉いぞ……」


「もう……いい……?」


「あぁ、もう休め……」


「うん……」


 起きあがることもできず、いろいろな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざったまま、私はその腕の中でただ泣きじゃくっていた。

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