36話 その呼び名で呼ばれたら
「暑いな……」
先生はひとりごとを言いながらカーテンを閉めて強い日差しを遮った。
「悪いが、少し昔話に付き合ってもらえるか。あと、他に誰もいないなら、松本にはもうこっちの言葉づかいでいいだろうな」
突然、先生は口調を変えた。そう、あの懐かしい話し方に変わったんだ。
「はい」
「いや、この本を読んだ時の感想と言ってもいい。こんな近くにいた作者を前にしては失礼かもしれないが」
「いえ。読んでくださった方の感想は、作者には何よりもの宝ものですから」
「そうか」
先生は笑った。
再びページに視線を落として続けた。
「俺は初めてこの本を読んだときに、自分の昔のことを重ねたんだ……。昔、一緒にいた年下の女の子のことだ。親父さんを亡くして寂しかったはずなのに、その子はいつも我慢していて。静かに本を読んでいた。それが好きなのかと思ったら、本当は外に遊びに行きたい。でもそんな当たり前の事も出来ない」
「はい……」
「この作品のタイトルを見たときにはっと思い出した。その子は『自分は泣き虫だから、空はどんどん青くなってしまうのか』と問いかけてきた。だから、『泣かずに笑っていられるようになろうよ』と答えたことを今でも覚えている」
「はい……」
ずっと探してきた答えがとうとう出たよ……。やっぱり、あの言葉をかけてくれたのはこの人だったんだ……。
「その子に笑って欲しくて公園やプールにも出かけた。一緒に買い物にも行った。はじめの頃は近所の女の子の面倒を見ているような感覚だった。でも、それがいつしか変わっていったんだ」
本を閉じて私を見る。
「この本の中の子は、なくしてしまったと思っていた自分の宝ものをもう一度見つけることが出来たんだろう?」
「……はい」
そう。本の中の彼女は大切なものを見つけ出した。それは形ある「物」ではない。
「松本は……、どうだ?」
沈黙の中、先生が私に聞いた。
「私は……。分かりません……。自分でもまだ答えがでません……」
だめ……、これ以上は私がもう我慢を抑えられない……。超えられない一線になるから。
堪えていたけれど、涙がひとつ、つうっと頬に線を引く。
先生が本を机に置いて、私の前に立ち止まった。
「ずっと……一人で頑張ってきてくれたんだね。……花菜ちゃん……」
「お兄ちゃん……!!」
小声で囁かれて、次の瞬間にはその人の胸の中に飛び込んでいた。背中から両腕でギュッと抱きしめられる。
「辛い思いをさせて、ごめんな」
「ううん……、私こそごめんね……。おかえりなさい……」
「よかった……。ずっと……、その言葉が聞きたかった……」
「うん……」
いつぶりに頭を撫でられたんだろう。私は最後に言葉を交わした中1終わりの春に戻っていた。
午後から、いつものように図書館の仕事に向かった。
あのあと、すぐに元に戻った私たち。さすがに部室の中でいつまでも向かい合って抱きついているわけにはいかない。
夏休みだって誰かに見られてしまうこともある。
「ちょっと、あまりにも突然すぎです先生!」
「仕方ありません。他に場所とタイミングがなかったんです」
「私がああなっちゃうかもって、想像ついていたんですよね? というか、絶対わざとですよね!?」
調子を戻すように、わざと軽口を叩くようにして会話をしていった。
「さぁ、どうでしょうか」
「まったくもぉ……。私がどんな気持ちで1学期を過ごしていたか想像できますか?」
「それは悪かったって。でも、ちゃんと今日認めただろ?」
どんな受け答えをしたって、もう時計の針を再び止めることは出来ないし、したくない。
私たちは自ら認めてしまったのだから。
そう、私たちは再会を約束しあった仲で、その時は既に訪れていたのだと。
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