第41話 美人は一歩踏み出す

 最近夜中によく一人で泣くようになった。


 おかしいとは自分でも思う。波留さんと出会ってから、情緒不安定な自分をどうも隠せなくなってきてしまっている。


 波留さんのせいにしたいわけではない。波留さんと出会えて私は本当によかったと思ってる。波留さんのお陰で変われたとも思っている。


 でも、どうしても、何もかもが足早に過ぎて行ってしまって、私だけを取り残しているように感じてしまうのだった。


 朝、電車に揺られながら窓の外の景色を眺める。私の家は光瑠ちゃんたちよりも遠いところにあって、少し早めに家を出発している。


『次はー、高ヶ谷駅ー。次はー、高ヶ谷駅ー』


 駅について、人の多さに辟易としながら電車を出た。


 そして遠くに、波留さんが見える。


 思わず足の動きが一段と早くなった。好きな人が向こうにいるというだけで、私の身体は急いてしまう。


 どうしてこんなにも心が躍るのだろうか。


 自分の想いを伝えたいのだと、不意に思った。



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 最近は一日の流れが早く感じる。


 前よりも楽しい一日を過ごしているからだろうか。朝起きて学校に来て、そこまでは長いのに、学校に来てから帰るまでは一瞬で過ぎ去ってしまう。


 一日前のことなのに人生で一番大切な思い出のように感じられたり、二か月も前のころのことを昨日のことのように感じたり。


 波留さんと出会ってから狂ってしまったことの一つだと思う。それを怖いとは思わない。自分も変わったのだと思うだけだ。


 そんな、帰り道。


「………どうした、美波」


 私が波留さんを凝視していることに気が付いたのか、首を傾げた波留さんがこちらを真直ぐと見た。


 そういえば久しく化粧していない姿を見ていない気がした。いつも遊ぶときであっても、最近はずっとこの波留さんだ。………私にとっての波留さんは、どちらの姿でもないと思っていた。最近は、こちらの波留さんの方が私にとっての波留さんの姿だったりする。


「いや、最近波留さんの素顔見ていないなって思いまして」


「確かに、みんなの前に化粧撮ったりはしてないな。……あー、少しは素顔で接してくれた方が嬉しいとかある?」


「………少しはありますけれど、私にとっては波留さんはその姿でこそですから。正直どちらでもいいような気がします」


 私の言葉に、波留さんは安堵の表情を作った。


「俺ばっかりみんなの素顔見てるってのも狡い気がするけどな。………まあ、そう言ってくれてありがとう」


「どういたしまして」


 こういう時に律義にお礼を言う波留さんは真面目なんだろう。そういう姿を見ると、どうしても微笑ましくて頬がにやけてしまう。


 そんな私の顔を見て何を考えているのか悟ったのか、波留さんは拗ねたように顔を背けた。こういう少し子供っぽい姿が似合うのは波留さんだからゆえだと思う。


「………明日、二人でどこかに行きませんか?」


 なるべく何も気にかけていない風に、さりげなく言った。金曜日の放課後。


 私にとっては大きな一歩。もしかしたら、波留さんからしたら小さな一歩。


「ああ、そうだな。みんなで遊びに行くことはあっても、二人ぐらいで行くことはあんまりなかったな」


「はい、だから行きたいと思いまして。あんまり場所とかは考えてないんですけど」


「………なんか不思議な感じ。まあ、無難に買い物とかでいいんじゃないか?」


「………水族館とか、行ってみたいって言ったら笑いますか?」


「いや、いいと思う」


 そういう波留さんは、小さく肩を震わせていた。


 思わずその肩を優しく小突く。そんな私の動きに反応した波留さんは、髪を少しかきあげて、その楽しそうな笑顔を見せてくれた。


「ごめんって」


 幸せそうな、楽しそうな波留さんの笑顔。


 波留さんに触れた部分が熱い。何もかもがおかしい。


「……水族館、長らく行ってなかったな」


「そうですよね。私も最近では行った記憶がないです」


 子供のころは良く親に駄々をこねて連れて言った気がするけれど、小学校高学年になってからそういうことがめっきり減ってしまった。


 久しく、そういった娯楽施設自体に行っていないような気もした。そして、久しぶりに行く機会が波留さんとできたことが嬉しかった。


「……水族館だったら、お土産とかも買えるか」


「そう、ですね」


 みんなのためにお土産とか、そういうのもいいけれど。私はせっかく二人で行きたいと思っていたのに。


 ちょっと不安になる。


 別に光瑠ちゃんたちが嫌いなわけでもなく、彼女たちに波留さんが取られることが怖いわけでもなく、良く分からない得体も知れない不安感。


「……二人でお揃いのものが買いたいとか言ったら、重いですか」


 意図せずして消え入りそうな声になる。


 もっと声を張ればいいのに。堂々としていればいいのに。


「いいじゃん。別に重くない」


「ありがとうございます」


 純粋に、やってみたかっただけだった。好きな人とお揃いのものを買って、二人で大事に持っているということを。


 波留さんが私のことをどう思っているかは、いまだに定かではない。それでも、私の想いが波留さんへと届いていたことの証が何か欲しかった。


「……楽しみ」


 そう言う波留さんの顔はいつにも増して、愛しかった。



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 一人だけ抜け駆けするのは良くないと思って、三人のグループにメッセージを送った。『波留さんを水族館に誘いました』と、ただ一言だけを。ピリピリとした分気分になりたくなくて、スタンプも付け足して。


 そのままスマホで水族館を調べる。


 最近では水族館側もいろいろなことをしているらしい。イルカショーでびしょぬれになるとかそういう定番も、今では少なくなっているのだという。


 恋愛って楽しいのだと、今更ながらに思う。初めのころはずっと思っていたことなのに、最近では忘れてしまっていた。


 楽しいだけが恋愛じゃない。それは分かっている。でも、できるなら楽しい恋愛で楽しい結末がいい。甘ったれたことを言っているのも分かっている。でも、それでも。




 翌朝、スタンプには既読だけがついていた。

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