第39話 美人は嫉妬する

 図書室は静かだった。


 私はこういう環境が好きで、何をするでもなく図書館に準ずる場所を利用することがある。時折騒がしい人がいなくもないが、基本的には静かだから。


 そして今日の私には、違う楽しみがある。


 目の前で本をぱらぱらとめくる、少し長い髪を耳に掛けながら本に没頭する波留さん。昨日はバレーがあったらしく、『服を褒められた』と涼香ちゃんが楽しそうに話していた。少し羨ましかった。


 でも今は、真剣な表情の波留さんを見ていられるから嫉妬心とかはない。今の私は、これだけで幸せなのだから。


「………美波、本は?」


「今は波留さんを眺める時間なので」


「………読みなさい」


「…………わかりました」


 図書館だということで二人とも声を抑えて会話をする。波留さんに言われてしまえば、断ることなど出来ない。仕方なく座っていた席を立ち、適当な本を見繕うために図書室を見回る。


 最近はまりつつある恋愛小説をいくつか手に取って、自分の席に戻った。波留さんは先ほどと変わらない姿勢でまた本に集中している。


 波留さんの前で本を開いて読み始めてみるものの、いつの間にか視線は本から外れている。前髪で隠れた奥にある真直ぐな瞳、長いまつげ、読書に集中しすぎているのか、んーと力が入っている口元。


 結局、私は本に集中することが出来なかった。



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「波留さん、そろそろ帰りますよ」


「………ん、あと一ページ」


「ダメです。もう閉じられちゃいますから」


 結局、どうにかして集中せざるを得ないということで、私は勉強する羽目になっていた。ちらりちらりと波留さんの方を伺うのはやめられなかったけれど。


 駄々をこねる波留さんを立ち上がらせて、荷物をもって図書室を出る。駐輪場に向かうまでの道はもうほとんど人がいなくて、部活動をしている人たちもとっくに帰ってしまったようだ。


「夜なのに暑いですね」


「そうだな。……もうちょっと涼しくしてくれるとバレーがやりやすいんだけどな」


「そうですよね、運動しているとどうしても体温上がってきてしまいますよね」


「ああ、ちょっと暑いだけでも体感温度的には半端なく差が出てくるからなるべく涼しいほうがいいんだよな」


 日も落ち切って、西の方に微かな明るさが認められるだけ。最近は慣れてきたけれど、ローファーの感触が足には固かった。


 隣を歩く波留さんはポケットの中に右手を入れていて、左手は所在なさげに揺らされていた。その手を握る勇気なんてないものの、いつかは。


 そんなふうに、私に都合のいい幸せな妄想だけを重ねて。


「波留さんは結構読書好きですよね」


「……そうだな。………美波も嫌いじゃないと思ってた」


 足元の小石を蹴り飛ばした波留さんは、少し寂し気に顔をうつむかせて言った。私も嫌いではないけれど、波留さんの方がよく読むのだろう。


 私の趣味が波留さんと同じであればよかったのに、と心の中で独り言ちる。光瑠ちゃんや、涼香ちゃんみたいに。自分の好きなことで、好きな人と盛り上がって。どんなに幸せなことだろうか。


 波留さんがしていたように、私も石を蹴り飛ばしてみる。左に逸れて行って、排水溝の底に乾いた音だけを残して見えなくなった。


 ………私服を褒められた涼香ちゃんのこと羨ましくないと、さっきは言ったけれど、本当は嘘だ。羨ましくて仕方がない。私には何があるんだろうか。涼香ちゃんみたいなひたむきさもなければ、光瑠ちゃんみたいな明るさもない。少しいいだけの顔を除いたら、私には何が残っているんだろうか。


 そう思って努力した波留さんと、努力しなかった私。隣を歩く資格かけらもないことは心のどこかでは分かってる。波留さんの優しさに甘えているだけで、本当はとっくに諦めていたはずなのに。


「……美波」


「なんですか?」


 いつの間にか地面を見つめていた視線を波留さんの方へと持ち上げる。先ほどの寂しそうな表情と同じように、何かを心配するような表情をする波留さんがそこにいた。


「無理してたりしないか?」


「……え?」


 無理をしている、だろうか。………私が?


 無理はしてない。そう言い切れるわけではないけれど、波留さんから見てすぐにわかるほどに大変な『無理』はしていないと思う。


「………どうしてですか?」


「すこし辛そうに見えたから」


「そうですか?」


「…………いつもはもっと、笑った顔が楽しそうな気がして。今日の笑ってるときは顔は寂しそうだった」


 そうだっただろうか。もしかしたら、いつの間にか自分でも知らないうちにストレスを感じていたのかもしれない。


 ───涼香ちゃんや波留さんへの嫉妬を、無理やりにでも隠そうとして。


 私たちは『仲がいい』から、嫉妬なんてしない。私たちは『友達』であって『ライバル』ではないんだから、いがみ合うわけがないし、ましてや恨むなんてことはあり得ないはず。


 そんな思考に、知らず知らずのうちに縛れていたのかもしれない。唯一の強み、私のアイデンティティですらあった容姿をも、波留さんという存在が無に帰してしまったから。劣等感と、焦燥感と。


「………涼香ちゃんに、いいことがあったみたいで。それが羨ましくて。でも、そんなこと言えなかったんです」


「…………そうか」


「それで少し、気分が落ち込んでいたかもしれないですね」


 なんとなく波留さんに心配されるのは心苦しくて、唇の端を上げて微笑みを作る。それを見た波留さんはより一層悲しそうな瞳をした。選択肢を間違ったのかもしれない。


「俺は………」


 ふっと視線を逸らして、波留さんは言葉をつづけた。


「美波は笑ってる顔がかわいいと思う」


 その言葉は、擦り切れていた心に優しく染み渡った。

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