第19話 幸薄少年泣く

 大里が教室から連れ出されていまだに沈黙が横たわっている教室の中で、いまだにどう動き出せばいいのか分からなくて波留君を見つめていた。


 波留君の指先が殴られていた頬に伸びる。そのまま、どうってことないように少し赤くなっている頬を撫でた。


「……波留君大丈夫!?」


 思い出したかのように言葉が喉から滑り出てくる。自分の言葉や感情が自分のものでは無いように感じるほど気は動転して、頭の中がぐちゃぐちゃだった。


 がたりと音を立てて椅子から立ち上がると、波留君は少し困ったようにこちらを見る。「俺は別に大丈夫」と一方的に言い放つと、そのまま静かに腰を下ろす。


 その視線はまっすぐ明人君を向いていた。


「………俺は、明人は弱くないと思う」


 どうってことないように言ったその言葉を皮切りに、明人君の瞼から静かに涙があふれ出る。


「ごめん、………ありがとう」


 いつの間にか医療キットを手に持って波留君のそばに立っていた涼香ちゃんとミナも立ち尽くしている。


 未だに頭の中が混乱していて、何をすればいいのか分からない。僕は特に関係ないことだったというのに涙が出てきそうだ。


「……とりあえずみんな落ち着こう」


 静かに波留君が言った。



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 少し腫れていた波留君の頬も、手早く冷やしたことが幸いしてかそれ以上酷いことにはならなかった。凄く心配だけど、波留君に聞いてみても「大丈夫」としか言われなかった。


「………なんでやり返したりしなかったの?」


 落ち着いてきたからか、今まで心のうちにしまい込んでいた問いが思わず口をついて出てしまった。自分の席に座っている波留君が僕の顔を見返してくる。


 好きな人が傷ついているのは見たくないし、できれば怪我はしたりしてほしくない。………明人君とかミナとか涼香ちゃんにもそうだけれど、特に波留君には。


「光瑠は、………俺がやり返したほうが良かったか?」


 読んでいた本を閉じて、波留君は優しく続ける。


「できれば人を傷つけることはしたくない。まあ、みんなに被害があるかもしれないときで、それを防ぐためだったら別」


「………そっか」


 納得は、いかない。でも確かに、僕が好きな波留君はそういう人だった。


 波留君の隣の席の涼香ちゃんがそんな僕たちを見て優しい顔を作る。前はもう少し淡白な人だと思っていたけど、人間関係が不器用なだけでいい人だった。


「今日みんなで遊びに行こうよ。あたしは放課後空いてるんだけど」


「あ、俺も空いてるー」


「私も空いてます」


 遊びに行こうという言葉に敏感に反応した明人君とミナがすかさず返事をした。僕も大丈夫だったのだけど………。


「………俺はやらなきゃいけないことがあるっちゃある」


 悲しそうな表情で波留君が言う。言葉は淡白で表情もないのに、雰囲気だけが底抜けに悲しそうだ。


「そっか、残念だけどあたしたちだけで──………」


「俺の家来る?」


 これまた悲しそうな表情を作っていた涼香ちゃんの言葉を遮って波留君が言った。波留君の家というワードに一瞬で合意しようとしてしまったのだけど。


「あー、その、芸能人とかの関係で行っちゃダメとかは大丈夫?」


 明人君の確認するような言葉で思い直した。そうだ、波留君のご両親の実家なんだから、僕たちが気軽に行けるような場所でもないかもしれない。


 とてもお邪魔してみたい気持ちはあるのだけど、実際に行ってみたときに迷惑をかけてしまうのは嫌だ。芸能人とは言えど波留君の両親なんだから僕に悪印象は持たれないように──……


 あれ、なんかめちゃくちゃ恥ずかしいこと考えてる気がしてきた。じんわりと頬が熱くなってくるのを遠くに感じながら、頑張って心臓を落ち着かせようとする。


 今から波留君のご両親というワードに深い意味を持たせようとしてはいけない。いつかは挨拶するかもしれないとかそういうことを考えてはいけない。妄想癖が酷いのは僕の悪いところなんだから。まだ付き合ったりしてすらいないのに。


「別に大丈夫だろ。仕事で居ないことも多いし、いたとしても『友人が出来たのね』って言って喜ぶだけだろうから」


 波留君のお母さんの宮本真子さんはほんわかしたイメージで、確かにそういうことを言っていそうだ。テレビに出ているときの性格そのまま波留君のお母さんをしていることを想像すると少し可笑しい。


「じゃあ、あたしたちでお邪魔させてもらおうかな。みんなもそれでいいよね?」


「俺はそれでいいかなー。場所分からないから案内してほしいけど」


「………家帰る前に我が家にくればいいのでは」


「着替えたいですから、いったん家には帰りたいですね」


 確かに波留君の家に行くというのであれば制服ではなく私服で行きたい。最近始めた化粧だってしていきたいし、できるだけおめかしを………。


「……じゃあ、駅に集合してもらえばそのまま我が家まで連れてくけど」


「それでお願いします。波留さんには負担掛かってしまいますが………」


「そのぐらいだったら別に大丈夫。俺もみんなと遊びたいし、駅と我が家の往復って言ってもあんま遠くないから」


 それにしても、改めて考え直すと波留君の家の家にいくのか。ミナとか友達の家に行くことは今まで何度かあったけど、男子の家に行くのは初めてかもしれない。しかもその相手が好きな人ともなれば少し自分が心配になるけど…………。何かしでかさないか不安でしかない。


 でもやっぱり、楽しみだった。

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