何度春がやって来ても、俺に青春はやって来ない

片桐ショーゴ

#01

「おにぃ!おにぃ!ねぇおにぃってばぁ」


 下腹部かふくぶにかかる負担とかれこれ数十分は続いているさわがしいまでの目覚ましに耐えかね、目蓋まぶたをゆっくりと開いていく。


(……ねむい)


 別に夜更よふかしをしていたわけでもない。むしろ21時から就寝しゅうしんしているのは「超健康ちょうけんこう」と言えるまでもある。


 ベットに置かれる時計をちらりと見て今の時間を把握はあくする。もうすぐ8時を迎えようかという所。ざっと11時間の睡眠をしている事になる。一日の約半分を睡眠すいみんついやしていると考えると少しばかりおそろしくなる。


 しかし、そんな事は関係ない。今重要なのは「眠い」という事実だけだ。


「んもう、おにぃ、朝やで」


 下腹部に乗っている皐月さつきいまだに俺を起こす事をあきらめようとはしない。


「……もうちょい寝させてくれ。せっかくの休みなんだぞ」

「ついに今日からやねん!|東京ってどんな感じなんやろ」


 期待に胸踊らせ、目を輝かせる皐月をぼーっと眺めていると、またすぐに目蓋まぶたが落ちてくる。


「っておにぃ!起きてって」


 どうやら「もうちょい寝させてくれ」という俺の希望きぼうは通してくれないらしい。


 服を掴まれ、上下に体をさぶられる。


「分かった分かった、起きてるから」

「まだぇ閉じとるで!」

残念ざんねんながら目蓋が開きたがってない」

「それただおにぃが起きたくないだけやん」


 即興そっきょうで作ったわけあきれ顔の皐月にすぐに正論せいろんで返される。しかし「睡眠欲すいみんよく」の前で一歩も引く気はない。


「そうとも言うな。ってことで俺に睡眠時間を提供ていきょうしてくれ」

「もう8時やで」


 どうやら皐月の方も一歩も引く気はないらしい。


「考えようによっちゃあまだ8時とも言う」

「おじさんがもうお仕事行くって」

「まぁそんな時間だな」

「今日からまたはなれるんだから挨拶あいさつくらいせなあかんで」

「…………」


 そこをつかれると何も反論はんろんが出来ない。


 一人らしで身の回りの事は自分でこなしているとは言え親父おやじかあさんには色々な面からフォローしてもらっている。金銭きんせん面がいい例だろう。学費がくひ食費しょくひ、一人暮らしをするための費用ひようだってはらってもらっている。たまにしか帰って来ない息子のためにこうやって部屋をそのまま残してくれているのだって親心おやごころってやつだろう。それ以外にもしてもらっている事をあげればキリがない。


 そんな相手に対して誠意せいいを見せないのは「おんあだで返す」ってやつだろう。


「おにぃ、起きてって」

「っ分ぁったから。とりあえず早く俺の上からりてくれ。このままだとなんも出来できねぇ」


 皐月は俺の指示しじしたがいすぐにむくっと立ち上がり、それに続いて身体からだを起こしベットに座る。そしてすぐ横に皐月が座る。


 「ふぅぁー」というあくびとともにびをする。いくら起きる理由りゆうをつけてもまだ眠いという事には変わりがない。


 となりで床につかない足をぶらんぶらんと揺らしている皐月に目をやると、首元くびもと隙間すきまからふくよかな胸が目に入りかけ、俺はすかさず目をらす。


(……ガードうすすぎだろ)


 皐月の無防備むぼうびな姿は 16歳思春期の俺には少々…いや大分だいぶ刺激しげきの強い物となってしまう。別に他意たいがあるわけではない。そこは全力ぜんりょく否定ひていさせてもらおう。これは思春期ししゅんきの男子としては正常せいじょう反応はんのうだろう。うん、正常な反応だ。間違まちいない。


 そのせいで俺は皐月の座る方とぎゃくを見るしか無くなってしまった。


(ここ俺の部屋だよな……)


「どうしたん?おにぃなんか変やで」


 そんな気を知るはずもない皐月は違和感いわかんを感じ、さらに距離きょりめ、俺の見る方向を見つめる。もちろんそこに何があるわけでもないので皐月は「意味がわからない」という風に首をひねる。その表情ひょうじょうみょう可愛かわいさをまとうため俺をさらに困らせる。


「…… 一応いちおう言っておくが俺も思春期の男だぞ」

「うん。……それが?」


 皐月はまたしても意味がわからないという風に首を捻る。流石さすがにそのくらいの事は分かってくれると思っていたが、皐月は純粋無垢じゅんすいむくな目で俺の顔をのぞき込むだけだった。


 俺は「はぁーっ」と深いため息をついてから補足ほそくに入る。


「あのな?まず普通ふつう付き合ってもない男子の部屋に入るもんじゃないんだよ」

「へ〜。……なんで?」


 ここまで説明せつめいをしても皐月は首を捻るだけだ。


「なんでって……そりゃなんか間違いが起こっちゃまずいからだろ」

「えっと……え、おにぃ、うちになんかするん?」


 どうやら「間違い」というのが何を指すのかは流石に分かってくれたらしい。


 皐月は自分の体をいて俺から少し距離をとる。さっきまでは距離を詰められ困っていたが、いざこうやってけられるときずつくものだ。


「俺は別に皐月をどうこうしねぇよ」


 誤解ごかいされて避けられたままだとこれからの生活でかなり居心地いごこちが悪いため、しっかりと補足を入れておく。


「なら問題もんだいナッシングやね」


 皐月はスッともとの位置に戻る。


(いや、ちけぇ)


 一度あたまの中の煩悩ぼんのうを消しるためにも「んっんー」と軽く咳払せきばらいをする。


「とは言え今日から親もとを離れるわけだし、お前ももう高校生こうこうせいになるんだし、そういう事、あんましないほうがいいと思うぞ」

「えー、ただのスキンシップやん」

「だからそのスキンシップを控えろって言ってんだよ」


 どうやら皐月には俺の言いたい事が伝わりきってはいないようだ。


 それから少しの間むずしい顔をしていた皐月が思い付いたかのように言う。


「……あ、もしかしておにぃうちの事心配しんぱいしとんの?」

「してねぇ……こともねぇけど……」


 実際じっさいこれからの生活での皐月の身をあんじての発言はつげんではあるものの、直接ちょくせつ口で「心配しているのか?」なんて聞かれるとなんだかむずかゆい。


「大丈夫やで。こんなことすんのはおにぃにだけやし」

「その「おにぃ」にもしなくていいんですけどな」

「そら無理やで。兄妹きょうだいのスキンシップは愛情表現あいじょうひょうげんの一つなんやからな。どの家庭かていでもこのくらいはしとるやろ」


 強めの指摘してきに入ったがパッパラパーな皐月の理屈りくつけられる。


「いや、普通しないだろ」

「えぇ、さよそうかなぁ?」

「というか、そもそも俺らは兄妹じゃねぇ」


 そう、俺と皐月はだんじて兄妹ではない。兄妹であれば皐月の無防備な姿を見るだけで狼狽うろたえたりはしない。兄妹でないからこそほんの少し、本当に少しだけ異性いせいとしての「意識いしき」をしてしまうのだ。


「ただのおとなりさんだろ」


 しっかりと核心かくしんをつく発言を皐月に向かってする。皐月は漫画まんがの「ガーン」というき出しがよく似合にあう顔で一瞬いっしゅんフリーズする。


「そんなぁ。おにぃとうちの仲やんか!うちが生まれてからずっ〜〜〜と一緒いっしょなんやから兄妹って言っても過言かごんやないと思うで」

「過言だ過言。親も違うし、別れて再婚さいこんした訳でもないんだから義理ぎりもクソもなしでただのお隣さんじゃねぇか」

「血はつながってなくても兄妹やねんっ!血じゃないなんかもっとすごいので繋がってるんやで!」

「ほうほう。……というと?」


 しばらくなやんだ後に皐月が口を開く。


「ぶるーとぅーす……とか?」


 こりゃあまた突拍子とっぴょうしも無いことを……。普段ふだん女子中学生JC、まぁもう女子高校生JKになったわけだが、その名称めいしょうにしっかりハマった言動げんどうをする皐月であるが、時々ときどきこのようなよくわからない発言をする。


「どこのハイテク機械だよ。俺の体内たいないにはそんな機能きのうついてねぇよ」

「うちにもついてないねん」

「ついてたら怖いわ」


 全くもって終わりの見えない会話をしていると部屋のドアをノックする音がひびき「入っていいか?」という声が外から聞こえる。声からして親父である事は間違いない。どうやら自分から出向でむこうと思っていた所、先に来てもらってしまったらしい。俺はすぐに「うん」と答え、ほどなくしてドアがひらかれる。


「今日の 14時にじ新幹線しんかんせんだよな?」


 親父はネクタイをしめながら部屋の外から話しかけてくる。思春期の高校生ということもあってあまり部屋には入らないように気をつかってもらっているのだろう。


「あ、うん」

「母さん達がくるまで送ってくれるらしいぞ」


 学校に戻る時には大体親父か母さんのどちらかに新大阪しんおおさかの駅まで送ってもらっている。「母さん達」という事は皐月のお母さんも見送みおくりに来るという事だろう。


 その母さんはというと夜勤やきんから帰ってきて今は寝室しんしつでぐっすりだ。大体昼前には起きてきて昼食ちゅうしょくを一緒にとる。


準備じゅんびはできてるのか?」

「ほとんどマンションに置いてあるからこれだけ」


 視線しせんを荷物の方へ移動させ指し示すと親父の視線もそこに向かう。


「そうか。皐月ちゃんの荷物も持ってやれよ」

「そのつもり」

「皐月ちゃんももう準備出来てる?」

「バッチリや」


 皐月は親父に向かって親指おやゆびを立て、元気に返事をする。


「なんかあったらじん頼ればいいからあんまり緊張きんちょうせずに楽しんで行きな」

「はい!」

「じゃあ、俺は仕事行くから。また次は夏休なつやすみとか帰ってくるのか?」


 ここでゴールデンウィークでの帰宅きたくを求めて来ないあたり親父の良さが出ている。


「あっと……まだ分からないけど帰って帰れる時に帰るよ。連絡れんらくするから」

「そうか。無理はしなくていいからな。2人とも健康けんこうには気をつけて」

「うん」

「はい!」

「じゃあ」


 そう言って親父は部屋のドアを閉めようとする。


「親父」


 ドアが閉まりきらないうちに声をかける。親父はそれに反応してドアをひらなおし「ん?」と聞いてくる。


「仕事頑張がんばって」


 息子から改めてそう言われたのがくさかったのか親父は少しフリーズしてから「おう」と笑ってこたえ、今度こそ部屋のドアを閉めて下の階の玄関げんかんまで向かって行く。


 「ありがとう」と直接ちょくせつ伝えるのはまだハードルが高いがこのくらいの言葉はきちんと素直すなおに出せるようになってきた。


 親父のいなくなった沈黙ちんもくを埋めるように皐月の方に話題をふる。


「というかお前ホントに準備出来てるんだよな?」

「そんなんたりまえやろ」

「……その「当たり前」は「当たり前に出来てる」ってことでいいんだよな?」

「うちの「当たり前」は「当たり前に出来てない」の「当たり前」に決まっとるやろ」


 皐月はにっこりと笑いながら「えへん」とでも言いたげな顔をしている。もう当日とうじつだという時に荷物を用意できていない状況じょうきょうでよくそんなそぶりが出来るもんだ。


「……今すぐ用意してこい」


 俺はあきれて左手で頭をかかえながらも右手でドアを指差し、皐月に命令をくだす。


「えーおにぃも手伝ってよぉ。そのためもあって呼びに来たんやで」


 どうやら起こしにきた理由りゆうはこれらしい。


必要ひつような物ならリストにして送っただろ」

「でもぉ、普通にじゃんめんどくさいし」


(めんどくさいって……)


 こういう時に理由をでっちあげずにストレートまっすぐに答えるのは皐月の良い所でもあるのだろう。まぁもちろん「めんどくさいから後回あとまわし」ってのは完全に悪い所なんだが……


「自分の事くらい自分でやれ。一人暮らしするんだろ?」

「それは一人暮らししてから頑張がんばるからぁ」


 皐月は俺のうでを取り甘えてくる。可愛いくない…事もないがここで甘やかしてはいけない。


「とにかく俺はしなきゃいけない事があるから無理むりだ」

「おにぃ、準備終わっとるんやろ?おじさんもなんかあったらおにぃをたよれって言ってたし、ええやろ?」

「それはあっちに着いてからの話だろ」

「おにぃ、そんな冷たいこと言わんで手伝ってや」


 「上目遣うわめづかい」と「甘えた声」のダブルコンボに「っ分ぁったよ、手伝ってやるから早く荷物準備すんぞ」というセリフを吐きそうになるのをギリギリのところでこらえ、これ以上は耐え切れないことをさっし最後の切り札を使う。


「皐月、今からでもここからかよえる高校探すか?」

「荷造りしてきます」


 皐月は最後の切り札としてとっておいたセリフを聞くと足早あしばやに部屋を去っていく。どうやら効果は絶大ぜつだいだったようだ。


「ふぅ〜」


 思わず大きなため息が出る。


(危なかった)


 後少しで完全に皐月の手駒てごまにされるところだった。あれを天然てんねん、ノー計算けいさんでしてくるもんだからおそろしいったらありゃしない。


 皐月が出ていくと部屋には沈黙ちんもく平和へいわがやってくる。皐月や親父とのやり取りで眠気ねむけもだいぶ覚めたし、顔洗って荷物の最終さいしゅうチェックでもするか。

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