第86話 スリーピー・ホローの怪異 その四



 人間が食肉として切り刻まれている——


 そう思い、カッとなった。が、よく見れば違う。切断されたパーツの一つずつは人のそれだが、そこには青黒い鱗が生えていた。指のあいだには水かきもある。


(人間の形をした……鱗のあるもの……)


 人魚だ。

 クトゥルフの奉仕種族であり、邪神の食用でもある。


(まさか、ここは奉仕種族の牧場……)


 アルバートの造る彼の奉仕種族に似てはいるが、これはより半魚人に近い。以前に見たクトゥルフの奉仕種族に酷似している。

 ということは、この工場にひそんでいるのは、クトゥルフ……あるいは、ご本尊ではないまでも、邪神側の何か——


 すると、とつぜん耳元でささやき声が聞こえてきた。となりにいるのは青蘭のはずだが、もっと低いしわがれ声だ。


「龍郎。アルバートが“ヤツ”と手を組んだ」


 ふりかえると、青蘭が皮肉な笑みを口辺に刻んでいる。


「アンドロマリウス」

「ああ」

「おまえ、そんなことわかるのか?」

「わかる。アルバートはおれの細胞で造られた蛇神。言わば、おれのなくした体だ。だから、あいつの前に立つと、おれの魂は深い眠りにつく。そうしなければ、魂をあいつの体に持っていかれるからな。共鳴してるんだよ」


 アンドロマリウスは青蘭を生む実験のために自分の身体を捧げ、今は魂だけの存在となっている。魂は自身の肉体があれば、そこへ帰ろうとする。その作用に抵抗しようとして眠りにつくということらしい。


「なるほど」


 それはアンドロマリウスの力を借りて戦う青蘭が、アルバートの前では無力ということだ。


「ということは、ここに邪神がひそんでいるってことだな?」

「そう。あれは邪神の奉仕種族。それに、かすかに残るアルバートの残留思念が……気をつけろ。龍郎」


 言うだけ言って、アンドロマリウスは去った。急に目を閉じ、青蘭が倒れてくる。龍郎は急いで抱きとめた。


 アンドロマリウスは残留思念と言った。であれば、すでにここにアルバートはいないということか。

 しかし、神父を助けないわけにはいかない。


 しばらくして、青蘭は意識をとりもどした。龍郎はさきほどのアンドロマリウスの言葉をそのまま伝えた。


「それで前にボクがアルバートを倒そうとしたとき、急にいなくなったんだ」

「ここにはもうアルバートはいないみたいだけど、気をつけたほうがいいね」

「うん。行くの?」

「まずはフレデリックさんを助けてからじゃないとなぁ。人質にでもとられたら身動きとれなくなるし」


 話していたときだ。とうとつに背後から、ポンと肩を叩かれた。龍郎は大声をあげそうになったが、かろうじて歯をくいしばった。


「やあ。来てくれたのか」


 なんと、神父が立っている。


「フレデリックさん?」

「悪かった。心配かけたようだな」

「いや、でも、アイツらに襲われたんじゃないですか?」

「ああ、おかげで携帯は壊れたが、どうにか逃げきった」

「そうですか」


 まあ、無事だったならいい。


「ここにはもうアルバートはいないらしいです。アンドロマリウスが言ってました」

「そうか。だが、逆に言えば、アルバートが関連しているとハッキリしたわけだな? 従業員が何か知っているかもしれないぞ?」


 龍郎は嘆息した。

 やっぱり、青蘭が言うようにほっとけばよかっただろうか?

 話していると、妙に腹立たしい。いっそ、青蘭はあなたよりスイーツのほうが大事なんですよと言ってやりたい。

 とは言え、正論だ。


「わかりました。じゃあ、行きましょう」

「ああ」


 あとはもう特攻をかけるのみだ。

 邪神がいるかもしれないが、どうせ戦わなくてはならない。


 それぞれの目を見かわし、龍郎たちは鉄の扉をあけはなった。コンクリ打ちっぱなしの工場へかけこむ。


 白い作業服を着た集団がサッといっせいにかえりみる。その顔を見て、なかば予想はしていたものの驚いた。全員、人魚だったのだ。前身に鱗が生え、目玉はカタツムリのようにとびだしている。人魚が人魚を食用肉にするために解体していたのである。


 龍郎は右手をかざそうとして、途中でやめた。このていどの奉仕種族は苦痛の玉が放つ光を浴びただけで浄化されてしまう。ボスの居場所を聞きだせないと思ったのだ。


 キイキイと奇声を発して人魚たちは逃げまどう。仲間の肉を缶詰にするくらいの知能は残っているはずなのだが、まるで何かに恐れおののいているかのようだ。いつもの反応と異なる。


(なんだろう? 今まではこっちがどれだけ仲間を殺しても平気でつっこんできたくせに)


 バラバラにされた肉が載ったままの台をとびこえ、最後尾をモタモタ逃げまどう作業服を着た人魚に追いすがる。左手で肩をつかみ、ひきよせると、人魚は爬虫類のような声で鳴いた。奉仕種族は人間から作られることが多いが、彼が人でなくなってから、かなり長いのだ。


「おい、邪神はどこだ? ここにいるんだろ?」


 言葉が伝わっただろうか?

 そもそも奉仕種族は何語を話すんだろう? 日本語でいいのか?


 龍郎は思わず場違いな心配をしてしまった。が、ちゃんと日本語が通じたらしい。というより、彼らにはテレパシーのような何かがあるのかもしれない。


 人魚は妙につぶれた声で何事かをわめいたあと、そろそろと指をあげた。水かきのある手がさしているのは……フレデリック神父だ。

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