第八十話 潜入
第80話 潜入 その一
翌朝。
龍郎たちはカプセルホテルをチェックアウトした。
干物のようになった島崎の死体は、龍郎が浄化しておいた。どっちみち、すでに人ではなくなっていたから、警察を呼んでもややこしくなるばかりだ。島崎のためにも清めて転生の道へ送ったほうがいい。
だから、朝にはなんの騒ぎもなくホテルを出ることができた。が、島崎が失踪したとなれば、のちに警察から聞き取り調査が来るかもしれない。佐竹の代理人として、事務的なことでも不便がある。
「青蘭は寝てたから知らないだろうけど、夜中に大変だったんだ」
「そうなの? 朝ごはん、パンケーキがいいな」
「わかった。わかった」
「それに銀行に行って貸金庫から、マンションの鍵を出しとかないと。依頼が早めに終わるといいんだけどな」
そんなことを話しながら通りに出た。
黒川はまだ寝ると言って残ったので、今日も二人だ。神父はいったい、どこへ行ったのだろう?
「とりあえず、荷物は佐竹弁護士事務所に置いとこうか。島崎弁護士がいなくなったってことは、今、あそこの鍵を持ってるのは青蘭だけだ。ロッカーがわりに使える」
「そうですね。着替えもあそこでしようかな」
昨日からタクシーが大活躍だ。何度も行き来して、なんとなく車外の景色にも見覚えができてくる。
佐竹弁護士事務所で、青蘭は服を着替えた。袖とデコルテ部分がシフォンになったワンピースで、スカートにチュールが重なっている。ほんのりピンクグレーがかったヌーディなカラーが、青蘭の肌の白さをいやが上にも強調する。透けた胸元がとんでもなく悩ましい。
龍郎は自分の恋人を見て、ぼうっとしてしまった。
「龍郎さん。これでいい? 化粧品を買いに行くのに、すっぴんって変かな?」
「いや、いいんじゃない? 初めて化粧品を買うので何も知らないんですって言えば、くわしく説明してくれるだろうし、そのぶん社内をさぐれる」
「そうだね。事務所の鍵、龍郎さんが持っててくれる? バッグが小さいから、たくさんは入らない」
「いいけど」
美しい青蘭をつれて歩くと、出勤途中の人たちが、みんなふりかえっていく。人間の数が多いから注目度がものすごい。視線で押しつぶされそうだ。
そのせいか、予約もなしにとつぜん訪問してきた客だというのに、製薬会社ではえらく歓待された。
「化粧品ですね。ただいま、係の者が参ります。少々お待ちくださいませ」
受付の女性に愛想よく言われ、ロビーで待っていると、ものの数分で化粧品販売促進部の係長だという社員がやってきた。女だがビシッとパンツスーツを着こなしている。
ここへ来る前にネットで光矢製薬の評判を調べてみた。売り上げの良さにくらべて、どことなく、うさんくささがぬぐえなかった。ほんの一年前に設立された会社なのに、半年後には上場され、怖いほど急成長している。とくにベネフィットという商品名で売りだされた化粧品は、ネット販売にかぎられているのに、会社全体の七割近い業績だ。自社ビルもかなり大きい。一流の大企業なみだ。どれほど儲かっているというのか。その裏に何かあると直感した。
「まあ、なんて美しいお肌をしていらっしゃるんでしょう。どうぞ、こちらへいらっしゃいませ。サンプルをお持ちいたします」
係長は
茅野に案内され、エレベーターに乗って十階へとやってきた。大事な客を迎え入れるための応接室とおぼしき場所へつれられる。
ふだん化粧品は使っておられますか、
しかし、こっちは本気で化粧品を買いたいわけではないのだ。
「すみません。お手洗いを貸してもらってもいいですか?」
龍郎はそう言って立ちあがった。
青蘭が行ってほしくなさそうな顔をする。一瞬、龍郎はためらった。このまま、残していくのはかわいそうな気がする。だが、それでは潜入した意味がない。心を鬼にして、一人、廊下へと出ていった。
大きなビルの内側なので、窓がないせいか廊下は薄暗い。青白いLEDの照明だが、トーンが抑えられている。なんとなく病院のなかにいるような気分になった。
(社長を探せばいいのか? 社長がナイアルラトホテップかどうか見わければ? それとも怪しい化粧品のデータ? いや、データなんていくらでも改ざんできるしな。この会社が邪神、または少なくとも悪魔と関係している証拠を見つけないといけない)
ということは、ひそんでいる悪魔そのものをひっぱりだすのが最善だ。
龍郎はいつものように悪魔の匂いをたどっていくことにした。
この会社のなかにも悪魔の匂いはある。低級悪魔の匂いは感じられないところがない。
しかし、そのなかで少し毛色の違う匂いもあった。
(この匂い……)
これは、天使の匂いだ。
青蘭の甘い体臭にも似た、でも、それとも心なしか異なる芳香。
青蘭の香りは、満開に咲きほこる花の妖艶さをあたり一帯になげかけている。が、この香りは青りんごのような爽やかさと、どこか遠慮がちな清楚さをふくんでいる。まだツボミの香りだ。
つい最近、この香りをかいだことがある。
香りの漂うさきをたどっていった。
廊下にはいくつもドアがならんでいたが、都合よく一度も社員と出会わない。何かがおかしいと思うべきだった。だが、このときは香りの源を探すことに必死だった。
龍郎はそのことを長く後悔することになるのだが……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます