第79話 棺おけホテル その二



 LEDの青白い光にその人は照らされていた。うしろ姿だ。白いワンピースのようなものを着ている。真っ白な髪が長く背を覆っていた。


(女……?)


 でも、背丈は低くない。少なくとも百七十センチ近くはありそうだ。正確に言えば、百六十六、七センチ。

 ちょうど、青蘭と同じくらい。


 なんだろうか。

 この香り。

 青蘭がとなりにいるからか?

 鼻腔をくすぐる花のような……。


 もっとよく見たいと思い、龍郎は身をのりだした。せまいカプセルのなかに二人も入っているから、少し体の向きを変えただけで足や肘が壁にあたる。コトンと床をけった音が、女にも届いたようだ。ゆっくりとふりかえる。


 その顔を見て、龍郎は息を呑んだ。

 これは昼間の幻影の続きなのだろうか?

 ナイアルラトホテップが見せた死人の青蘭。


 そこにいるのは、青蘭だ。

 そのおもては二つとないはずの美貌。

 だが、どこか違う。


(目の色だ)


 青蘭の瞳は黒い。光に透けると、切子ガラスのような瑠璃色に変わる。

 でも、この女の瞳は片方がグリーン、もう一方は淡いブルーだ。


「アスモデウス……か?」


 いや、アスモデウスにしては幼い。十五、六の少女だ。それにアスモデウスは巻き毛だったが、少女の髪はストレートだ。


 戸惑っていると、アスモデウスのような少女は、すべるような歩調で近づいてきた。龍郎のいるカプセルは上から二段めだ。目の前に来ると、少女の目線がピッタリ前に来る。


 目と目があって、龍郎はゾッとした。

 少女の目には感情がない。

 まるで死人だ。

 やはり、これは夢の続きだろうか?


 アスモデウスの顔をした死人の少女。

 龍郎が凍りついていると、今度は別の足音がした。廊下を歩いている。カプセルはここだけではなく、いくつかのフロアにわかれて設置されているようだから、そっちの泊まり客に違いない。


 だが、その足音はしだいに近づいてくる。何か変だ。まだかすかだが、この匂いは……。


 やがて廊下の角をまがり、男が現れた。スーツを着ている。いやに背が高い。枯れ木のように影が長く伸びる。


 おどろいたことに龍郎の知っている人物だ。フロアに入ってきたのは、島崎弁護士だった。

 島崎は東京在住のはず。

 なぜ、この時間にこんなところを歩いているのだろう。残業でもしたのだろうか。

 それに、鼻をヒクヒクさせながら近づいてくるようすは、正気とは思えない。犬のような動作で床をかぎまわっている。


「ああ……こっちだ。あの匂いがする。美しいあの……」


 つぶやきながら、島崎はイヒヒと笑った。昼間に見た真面目で堅物そうな印象は、もはやどこにも残っていない。


(悪魔化しかけてる)


 目つきが正常ではなかった。

 島崎は四つ足で走りながら、直前まで来て、ようやくアスモデウスに酷似こくじした美少女に気づいた。困惑ぎみの顔をする。


「あの人……? 匂いが……でも、違う?」


 そのつぶやきで悟った。

 島崎が探してるのは青蘭だ。

 昼間、青蘭と出会ったとき、彼のなかに悪魔の種がまかれたのだ。

 青蘭にひとめ惚れして、欲望を抑えきれなくなって、ここへ来た……。


 今なら、まだまにあうだろうか?

 島崎はもうほとんど悪魔になりつつあるが、完全に悪魔と化しているわけではない。浄化すれば正気に戻るかもしれない。


 龍郎は急いで、カプセルの外へ出ようとした。が、青蘭が抱きついてきて離してくれない。


「青蘭。起きて。マズイよ。島崎弁護士が悪魔になりかけてる」


 青蘭は「うーん」とうなって、寝ぼけたことをつぶやいた。ほら、飛べるよ、とかなんとか。スカイツリーの夢を見てるようだ。楽しい思い出になったようで、それは嬉しいのだが、今は困る。


「青蘭。起きて。大変なんだ」

「龍郎さん……」


 カプセルのすぐ外では、少女と島崎が対峙している。

 島崎は自分の探している青蘭に似た少女の出現に戸惑っている。

 急にニヤリと笑った。その口が異様につりあがる。


 ダメだ。あのまま裂けて、悪魔になる。

 少女が何者なのかわからないが、このままでは島崎に襲われる。


 龍郎は青蘭の手をふりほどき、カプセルからとびおりた。

 しかし、そのときにはもう遅かった。

 島崎が少女に抱きつくような格好でとびかかっていく。

 感情のない無反応の少女だ。このまま島崎に食われてしまう。いや、島崎は匂いから言って、淫欲の悪魔のようだ。無防備な少女が悪魔の餌食えじきになってしまう。


 そう思ったのに——


 次の瞬間、信じられないことが起こった。

 獣じみた跳躍ちょうやく力でとびつく島崎の前に、少女はサッと片手をあげた。少女の人差し指が島崎のひたいのまんなかにあたる。

 まるで電線がショートしたように、島崎の体は奇妙な光に包まれ、数瞬間、宙に浮いた。


 龍郎はエネルギーの流れを感じた。

 島崎の体から、少女の指先へ、生命の力が流れこんでいくのを。


 やがて、島崎は消し炭のようになって床に落ちた。生命エネルギーのすべてを吸いつくされている。


(この子。人の……悪魔化しかけていたとは言え、人間のを食った)


 それは青蘭が快楽の玉のなかに、退治した悪魔の魔力を吸収するのに似ている。


「……君は、何者なんだ?」


 龍郎の問いに答えはなかった。

 そのとき、どこかから口笛が聞こえた。少女はその音に反応して、とつぜんすばやい動きで駆けさっていったから。


(悪魔を分解して、吸収する力。まるで……)


 龍郎は無人の廊下に立ちつくした。

 自分の知らないところで何かが始まろうとしているような、不穏な心地が重くのしかかってきた。




 了

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