第63話 ラボへの道 その二



 あけはなった扉の向こうには、青空がひろがっていた。

 空以外のものが何もない。

 空間に大地が存在しない世界のようだ。


「ここ、落下しないかな?」

「するだろうね」と、青蘭。

「あら、衝突するものがないなら、落ちても問題ないのではなくて?」


 グレモリーに言われて、龍郎は足をふみだす。もちろん、青蘭の手をにぎってだ。当然、二人の体は一直線に落下していった。


 周囲には鳥の影が遠く見える。

 鳥、または竜か。

 正体はわからないが、空を飛ぶものだ。


 風を切り、どこまでも落ちていく。

 パラシュートなしでスカイダイビングしているようなものだ。

 でももう魔界ではいろいろなことがありすぎて、あまり恐怖も感じない。妙に爽快だったりする。


「龍郎さん」

「何?」

「悪くないんだけど、ずっとこのままかな?」

「景色、変わらないなぁ」

「ちょっと飽きてきた」

「えーと……」

「しりとりの続きしよ?」

「いや、それはちょっと。マダムもいるし」


 龍郎たちの少し上をグレモリーも落ちてくる。話し声は風にあおられて、マダムのところまで筒抜けのはずだ。


「あなたたち、油断してはダメ。ごらんなさい。次の結界への道が見えてきたわ。あれにうまく入れないと、この結界から出られなくてよ」


 マダムに言われて、あわてて下を見る。

 そう言われれば、雲のあいだに小さな長方形が見えた。黒い点のようだが、よく見れば扉だ。


「えッ? あれですか?」

「あれよ。チャンスは一度ですからね。失敗しないで」


 急にそんなことを言われるとあせる。

 それでなくても、こっちは空中をただ猛スピードで落ちているだけだ。

 扉が迫ってきたら、すかさずつかまるしか方法はない。あるいは、ドアの上に乗るか。


 そんな話をしているうちにも、刻々と近づいてくる。

 まさしく扉だ。

 空に黒い扉が浮かんでいる。

 初めに見えたときは点でしかなかったが、そばまで来ると、かなりの大きさだ。短いほうの一辺でも四、五メートルはある。長いほうなら、ゆうに十メートル。


 目標物が大きいから、あれなら素通りすることはないだろう。

 そう思ったのも、つかのま。


「龍郎さん。位置、ズレてない?」

「うん。ズレてるな……」

「このままだと、あそこに乗っかれないよ?」

「乗っかれないな」


 自分たちの落下していく経路と扉の現在地を目測すると、二、三メートル横にそれている。手を伸ばして届くという距離ではない。


(どうする? 今から方向転換するような足がかりは何もない。おれや青蘭にあそこまで飛んでいくことは……)


 マダムが魔法でなんとかしてくれないかと思い、チラリとあおぎみた。が、おもしろそうに笑っているだけで、手助けしてくれるようすはない。

 マダム自身はいつのまにか片手に日傘を持っていて、その空気抵抗で落下速度をゆるめていた。


(そうか。何か道具を使えば……)


 たとえばロープのようなものでもあれば、すれちがいざまにドアノブにロープを投げてひっかけることもできる。


 だが、ここにはロープも、その代用になるものもなかった。

 龍郎が使える道具と言えば、退魔の剣くらい。


(退魔の剣。さっき、おれの手からこぼれそうになっても離れなかった。おれの右手とひきあってる?)


 考えるうちにも扉が迫る。

 落下速度は感覚的に時速百キロには達している。すれちがうのは一瞬である。

 間近まで来ると、予想していたよりさらに大きい。これなら的としては外しようがない。


 龍郎は覚悟を決めた。

 右手に意思を集中し、退魔の剣を呼びだす。


 もう一刻の猶予ゆうよもない。

 まだ扉が自分たちより下にあるうちに、剣をなげつけた。退魔の剣は万有引力の法則で勢いを増し、黒い扉に深々とつきささった。


 次の瞬間には、龍郎たちの体は扉の脇をすりぬけていた。またたくうちに遠くなる。


(ダメか……)


 体は落ち続ける。

 龍郎があきらめかけたとき——

 急に、グンッと何かに手をひっぱられた。見えないロープが右手にからまっているかのようだ。


 降下が止まった。

 それから、じょじょに、ふわふわと体が上昇していく。バンジージャンプの紐が収縮していくときのように、右手にからむ見えない何かが縮まって、龍郎と青蘭をひきあげている。


 数分後、龍郎は黒い扉の端に手をかけていた。

 見ると、退魔の剣は扉の枠のギリギリの位置に刺さっている。あとほんの十数センチズレていたら、この方法でもアウトだった。


「青蘭。さすがに片手では上がれない。ちょっと、この端につかまっててくれる?」

「うん」


 青蘭が手を伸ばして枠につかまる。そのあいだになんとか上に——と思ったのだが、青蘭のほうが早かった。なんなく自力で扉の上に這いあがる。さらには、龍郎の手をつかんでひきあげてくれた。


「……お姫様に、ヒョイっと、かつがれたナイトの気分」

「え? どうして?」

「いや、いいんだけど」


 なんにせよ、助かった。

 肩で息をしていると、上からフワリとタンポポの綿毛のように、優雅にグレモリーが降りてくる。


「案外、しぶといのねぇ。助けてあげるつもりだったのに」


 嘘だ——と、龍郎は頭のなかで思った。声には出さなかったが、マダムには心が読めるようだから聞かれたかもしれない。


「さあ、では次の結界へ行きましょ?」

「……はい」


 アリスの迷いこんだ不思議の国の産物のように、とてつもなく巨大な扉のドアノブを全身の力をかけてまわした。

 ドアがひらくと同時に、その上に乗っていた龍郎たちは落下する。


 次の世界へ——

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