第60話 無限階段 その五



 共鳴する。

 苦痛の玉と快楽の玉が。

 二人の体が一体になったように、感覚が溶けあう。


 亡者たちは二人にふれると同時にくずれた。浄化の光に焼かれて消える。


 いくばくかの浮遊感ののち、龍郎たちは無限階段の上に立っていた。

 亡者はまだいたが、数は明らかに減っていた。姿も影のように薄い。


 クラゲのように漂う亡者のあいだを、何かが近づいてきた。

 蛇、だろうか?

 ひじょうに長細い影。

 全長は長すぎて見えない。


 すべるように空間を泳ぎ、それはまたたくまに迫った。カッとひらいた口中に真っ黒な牙がギザギザにならんでいた。


 なのに、その頭は人間だ。

 でも、体は竜だ。

 手足がついている。

 東洋的な竜に人の頭がくっついている。もちろん、その頭部だけでも数メートルはあるが。

 大きな人の頭のうしろに、小さな犬とわしの頭もついていた。頭を三つ持っている。


「魔王ブネだ」と、青蘭が言った。

「ブネ?」

「悪霊をあやつるドラゴンはブネだ」

「こいつが亡者をあやつってたのか」


 魔王ブネは巨体をしなやかにくねらせ、ものすごいスピードでつっこんでくる。人の頭だが口は耳まで裂けている。その大きな口をいっぱいにひらいて、龍郎と青蘭をひと飲みにしようとしている。


「危ない! 青蘭!」


 龍郎は青蘭を抱いて、あやうく壁ぎわによけた。ブネは階段の幅ギリギリだ。かわすと長い胴体が目の前を特急列車のように通りすぎる。


 すぐに天井の高さを利用して、ブネは反転してきた。

 向こうは空中を自在に移動できるが、こっちは徒歩。それも、溶解しかけた亡者たちが邪魔になって、水中のようにしか動けない。


 もどかしい思いで、胴体と壁のわずかのすきまを横這いに歩いた。

 とにかく、戦おうにもこれでは身動きとれない。胴体の高さが龍郎の肩まであるのだ。腕一本を出すことすらできない。


 長い巨体はまだ半分ていどしか通りすぎていないのに、すでに頭部が帰ってきた。


「青蘭! 急いで下へ。この胴体がなくなるとこまで行くんだ」

「まだ三十メートルはあるよ」

「急げ!」


 走っていくが、亡者をかきわける抵抗感と、邪魔な胴体のせいで全速で走ることができない。

 みるみるうちにブネの首が手の届きそうな位置にまで来た。牙の数までハッキリ数えられる。


 徒歩で特急電車から逃れるなんて、やっぱりムリな話だ。

 もうダメだと思ったとき、龍郎たちとブネの顔のあいだに何かが入ってきた。ブネの顔面に激しく体当たりする。


 狼だ。自分だけでこの無限地獄から脱出しようと思えばできたはず。

 なのに、彼はひきかえしてきた。

 青蘭を救うために。


(青蘭と彼のあいだに何があったんだろう? アスモデウスが神に任されたという密命。それにかかわったアスモデウスは堕天し、同行した彼も地獄に堕とされた……)


 きっとその神の密命というのが原因だ。

 どんな任務だったのだろう?

 アスモデウスも狼も、そのせいで天上の楽園から追放されたのだと確信する。


 ブネは妨害が入ったことでいきり立った。どす黒いほど紅潮し、長い胴体を狼の体に巻きつけた。骨のきしむ嫌な音がする。狼は自由のきく口をつきだして、ブネのとがった鼻に噛みつく。ダラダラと大量の血が流れた。

 魔王のものか、狼のものか、どちらかもわからない咆哮が、あたりをゆるがした。


 おかげで、ブネにすきができた。

 階段をふさいでいた胴体もとだえる。


 龍郎は右手に力をこめ剣を呼びだした。

 狼とからみあっているブネの背後からかけより、ザクリと胴体に一刀を叩きこむ。いっきに下まで胴体が輪切りになる。

 体を真っ二つに切断されて、ブネは悶え苦しむ。


 反撃をあたえず、龍郎は剣を水平に持ちなおし、輪切りになった胴体の端に横から刃をつきとおした。魚の背骨をひらくように、胴体にそって走り、そのまま剣をすべらせていく。


 ブネは雄叫びをあげながら、くだけた。光の粒になり、青蘭の口に吸いこまれる。

 青蘭が下腹を押さえ、階段に両ひざをついた。


「青蘭!」


 あわてて、かけもどる。


「青蘭、大丈夫か?」


 龍郎が抱きとめると、青蘭はうめきながらズルズルとよりかかってきた。

 でも、苦痛のせいではない。快楽のためだ。吸収される魔力が強くなるたびに、快楽の玉は抗いがたい愉悦を青蘭にあたえる。その力が着実に強くなっている。


「満ちる……脈動を感じる。まもなく……」


 つぶやく青蘭がなんだか自分の知らない誰かにすりかわったようで、龍郎はゾクリとした。


「青蘭……」


 両腕を強くにぎってゆさぶる。

 共鳴を通して、龍郎にも快楽の玉の脈動が感じられた。喜悦だ。快楽の玉は新たな命を育む力が着々とたくわえられていくことに歓喜している。

 玉から生まれる新たな命そのものが、誕生を目前にして喜んでいるのかもしれない。まだ形にもならない、だが、たしかにそこにいる天使が。


 しばらくして、快楽の玉は急速におとなしくなった。青蘭のなかで眠りについたようだ。


(悪魔を倒さなければいいのか? それとも、そうだ。苦痛の玉は欠けている。この玉が完全にならなければ、快楽の玉と一つになることもない。残りのカケラを探さなければ……)


 かるいうなり声で我に返った。

 狼が血を流しながら、こっちを見ている。乗れと言っているのだ。


「青蘭。行こう」

「うん……でも、龍郎さんといっしょでなきゃ、イヤだ」


 龍郎は嘆息した。

 青蘭だけでも生かしたいと思った。

 でも、それは青蘭だって同じ。

 自分のせいで龍郎が犠牲になるのなら、助かりたくはないのだ。


「……ごめん」

「うん」


 龍郎と青蘭、二人を乗せて飛ぶことが、戦いで傷を負った狼にできるだろうか?


 龍郎の疑念を感じとったように、狼は牙をむいた。いいから乗れとうながすように、何度も首を背中に向ける。


 龍郎は青蘭の手をとって、再度、狼の背を借りた。

 狼は翼を羽ばたかせながら階段をかけあがる。空気の抵抗で、さっきより高く浮きあがった。足枷の重さも感じない。みるみる天井近くまで舞いあがり、あの赤いガス雲に近づいていく。


 今度は行けそうだ。

 ときおりふらつくが、羽ばたきに力がある。


 ガス雲のなかへ狼は突入した。

 暗闇のなかに、ぼんやりと明るい円形の窓のようなものが見えた。

 窓の向こうに別の空間が見える。

 あとわずかだ。

 あの窓を越えさえすれば……。


 高まる期待。

 龍郎は青蘭の手を強くにぎりしめる。

 青蘭も同じほど強く、にぎりかえしてくる。


 だが、その直前、狼は力つきた。

 やはり、深手を負っていたのだ。

 空中を横すべりに体勢がくずれる。


 それでもいい。

 ここまで、よくがんばってくれた。


 龍郎は不思議と静謐な心地で、青蘭を抱きしめた。

 たとえ無限の地獄でも、青蘭と二人でならいい。

 永劫のような時の止まった世界で、誰にも邪魔されずに。


 妙にロマンチックな気分にひたっていたときだ。


 とつぜん、空間が割れた。

 視界を奪うほどの熱い白光が、ひずんだ窓の向こうからさしこんだ。空中にヒビ割れができ、一瞬で粉砕された。


「何をしている。手を出せ。早く!」


 黒くシルエットになった人物が、手をさしのべてきた。





 了

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