第57話 麗しき死体 その三



 アンドロマリウスは我を忘れている。

 いつも皮肉で、龍郎を見くだしていた魔神が、完全に冷静さを失っていた。


「きさまごとき怪物が、にふれるなッ!」


 叫んでヘカトンケイルに向かっていこうとするので、龍郎はあわてた。


「よせよ! 青蘭の体なんだぞ」


 腕をつかんでひきとめる。

 しかし、もう遅い。

 ヘカトンケイルが、その声に気づいた。


 ヘカトンケイルにとって人間は小さすぎる。人間が十センチの人形を見るサイズ感だ。

 しばらくキョロキョロとあたりに目を泳がせていた。

 ようやく、もみあう龍郎とアンドロマリウスを見つけると、ビックリしたようすで近づいてくる。


「ウウ……ウウ……?」


 ヘカトンケイルの知能はあまり高くないのか、あるいは長年、孤独な牢番を続けていたために言語機能が低下しているのか。うなりながら首をひねっている。大きな手を伸ばし、龍郎たちを捕まえようとする。


 いや、狙いはアンドロマリウスだ。


 龍郎は気づいた。

 アスモデウスと青蘭は体毛や瞳の色は違うが、顔立ちは瓜二つだ。

 自分の大切な人形とそっくり色違いな生き物を見て、おどろいているのだ。

 あるいは、ならべて飾っておきたいと。


 誤算だったのは、ヘカトンケイルの動きが意外に素早かったことだ。ウジャウジャ生えた腕を上手に使いこなして、一本の手がつかみそこなっても、次々と別の腕を伸ばしてくる。


 あっというまに、龍郎とアンドロマリウスはヘカトンケイルに捕まった。

 なるほど。地獄の牢番にふさわしい。

 これなら、どんなに小さな囚人でも逃がすことはない。


 ヘカトンケイルは三つある首の三対の目で、しつように龍郎とアンドロマリウスを吟味した。どうやら、龍郎のことは『いらない』と思ったらしく、無造作に地面になげすてられた。


 三十メートルの高さから放りなげられるのだから、地面に激突すれば、ただじゃすまない。


 龍郎は右手に意思をこめ、あの剣を形にした。たれさがる鍾乳石に剣を食いこませる。

 なんとか落下はまぬがれた。剣をにぎったまま、片手で鍾乳石にぶらさがる。高さは二十メートルほど。これでも、落ちれば無傷ではすまない。

 しかし、自分はまだいい。

 アンドロマリウスは捕まったまま、どうなったのだろうか?


 見ると、ヘカトンケイルはそれだけで人間の背丈と同じくらいある巨大な指で、青蘭の頭をなで、ニタニタと喜んでいる。


 アンドロマリウスは口汚く罵っていたが、体格差がありすぎて、どうにも抵抗できない。にぎりこまれたこぶしから出た両足をバタバタさせるものの、それだけだ。


 やがて、ヘカトンケイルはアンドロマリウスのあやつる青蘭の体を、アスモデウスのとなりに置いた。

 その仕草はとても大切な宝物をあつかうかのようだ。


 恐らく、ヘカトンケイルにとって、それは本当に宝物なのだろう。

 この薄暗い地の底で、淡々とすぎゆく永劫の歳月を耐えしのぐのは、まともな精神の持ちぬしには拷問に等しい。

 牢番にとっても、ここは地獄なのだ。

 ゆいいつの心のよりどころが、彼のなのだ。美しく愛らしいものを愛でたいと思うのは、知的高等生物に共通の本能なのかもしれない。そうすることで心の平安を得られるからだ。


 壁に張りつけの岩棚のような椅子の上で、アンドロマリウスがアスモデウスの体を抱きしめている。

 それはアンドロマリウスにとっても、至高の宝だ。


 龍郎自身は、アスモデウスの肉体は放置して行けばいいと思う。だが、アンドロマリウスは絶対にその意見には納得しないだろう。


(ヘカトンケイルもアレを手放しはしないだろうから、奪っていくとなると、戦わざるを得ないよな)


 ため息をつきながら、龍郎は下を見おろした。ななめ下に飛びおりられそうな石筍がある。二メートル近い距離があるが、あそこなら大怪我にはならない。せいぜい、ねんざていど。

 狙いをつけて、体を振り子のようにして前後に弾みをつける。

 思いきって手を離すと、ころがるようにして、石筍のさきの少し平らになったところに降りたつ。

 足がしびれたが、ひねったような感覚はなかった。


(ここまでは、なんとか……でも、あのアンドロマリウスたちのところまで行くには、どうしたらいい?)


 かなりの高さだ。

 近づいていこうにも、大きな鍾乳石が数本、天井からさがっているだけだ。ほかに足がかりになりそうなものはない。


 アンドロマリウスと目があった。

 彼の目は『絶対にアスモデウスをつれていく』と語っている。

 青蘭の顔なのに、頑固そうな表情は、いかにもアンドロマリウスらしい。


 龍郎が石筍の上にあぐらをかいて、困りはてていたときだ。

 アンドロマリウスの抱きしめているアスモデウスのまぶたが、そっとあがった——ように見えた。


(えっ? まさか?)


 アスモデウスは器だ。

 その魂は体からぬけだして、青蘭として生きている。

 要するに死体だ。腐りこそしないが、二度と動きだすことはない。

 目をあけるはずなどないのだが?

 見まちがいだったのだろうか?


 龍郎はだまって、それを見つめた。


 まるで美しい双子のようによりそいあう青蘭とアスモデウス。

 あるいは、魂と器。

 生者と死者。


 もしも、アスモデウスの肉体が動くのだとしたら、そのなかに魂が蘇ったということになりはしないだろうか?


 その兆候が見られないかと、龍郎は待った。

 そのときだ。

 イヤな匂いがした。

 猛毒の匂い。悪魔の匂い。


 どこからか一本の矢が空間を走る。


 レラジェだ。

 龍郎たちに追いついてきたのだ。

 放たれた矢は、まっすぐに青蘭に向かっていく——

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