第50話 蔵のなか その六



 そこで、龍郎の幻視は覚めた。

 六郎の首も見えない。

 両手で持っているのは、ただの桐の箱だ。


「どうかしましたか?」


 不思議そうな顔をする庄屋の子孫に頭をさげて、龍郎は大急ぎで稲葉家を退去した。


 今のは六郎の記憶だ。

 やはり落武者たちを殺害したのは六路村の村人だ。六郎もそのときに殺されていた。


 でも、それなら、なぜ、六郎の首が今、こんな茶碗になんてなっているのか?

 川原でさまよっている首なし死体は六郎ではなかったのか?


 わからないことだらけだ。

 何よりも、青蘭はどこへ行ってしまったのか。

 龍郎が目を離したのは数分だ。そんなに遠くまで行く時間はなかったはずだ。


(だとしたら、まだ近くだ。そんなに遠くに行ってはいない)


 誰かが青蘭をさらったのだとしても、昼間は人目がある。見晴らしのいい田んぼのまんなかの一軒家から、人ひとり運びだすのは、いかに人口が少ない片田舎でも目立つ。


 門を出たところで、神父がやってきた。穂村と清美は足が遅いので、高屋敷家で自転車を借りてくるという。


「青蘭は見つかったか?」

「いいえ」

「手がかりは?」

「まったく」


 龍郎はさっき自分が見た幻影が何か関係しているのかと考えた。

 あれは六郎の魂が見せたものだ。

 青蘭は落武者たちに六郎と間違われていたから、そのことが関係してはいないかと。


「落武者がさらっていったわけじゃないですよね?」

「青蘭がいなくなったのは、まだ日が高いうちだろ? やつらは夜になってからしか現れない」

「そうですね」


 でも、それじゃ、いったいどうして、どこへ行ってしまったというのか。


「それはなんだ?」

 龍郎の手にした箱をさして、神父が問いかけてくる。


「六郎の首です。なぜか、茶碗なんですが。六郎の魂がここに封じられている。でも、おかしいんだ。六郎は体ごと井戸に打ちすてられたから、首だけ分離してるはずないんだ」


 さっき見た幻影について、手短かに語った。


「待て。六花という少年は六郎の魂の生まれ変わりだったろう?」

「ああ」


 そうだった。六郎は一度は六花として、この世に転生している。六郎の首が斬首されていなかったことに矛盾はないのだ。

 そう。つまり、茶碗になったのは、六郎の首ではなく——


「六花さんか! この茶碗に封じられてるのは、六郎ではなく、六花さんの魂なんだ」


 そうだ。清美はまちがっていなかったのだ。最初に言っていたとおり、蔵のなかにあったのは六郎ではなく、六花の首だった。勘違いしたのは、むしろ龍郎たちのほう。


 そこまで考えて、龍郎はゾッとした。

 もしそうなら、時代があわない。

 稲葉や光司はこの茶碗を初代陶吉の作だと言ったが、六花は昭和生まれの人だ。江戸時代の陶工には、どうやってもその魂を茶碗に閉じこめることなんてできない。


「まさか、これを作ったのは陶吉ではなく……」


 そうだ。たしかに両者の作風は似ていた。もしも、鷲尾がこっそり自分の作品と陶吉の茶碗をすりかえたなら……。


「鷲尾さんだ! あの人、霊が見えるみたいだし、六郎に執着してた。青蘭をさらったのも、あの人かもしれない」

「行ってみよう」

「稲葉さんの家の裏手に住まいがあるって」


 龍郎は神父と競うように走りだした。

 昼間には見えていた煙が今はもう見えない。龍郎は煙があがっていたとおぼしきあたりに見当をつける。


「このへんだったと思うんだけど。あの人、かまに火を入れてたんだ」


 広い田んぼを挟んで、かなり離れたあたりに、一軒の家があった。家というより小屋だ。裏手は山になっていて、その近くに窯がある。ピザ窯には見えないから、ここが陶芸家の住まいだろうか? だが、小屋に灯りはついていなかった。


「留守だな」と、神父。


 小屋には小さな換気用の窓があった。

 そこから、なかを覗く。が、住居のようではない。壁にそって棚が作られ、たくさんの陶器が並んでいる。そして、中央に陶芸用の轆轤ろくろがあった。どうやら、ここは鷲尾のアトリエだ。


「いない。住居に帰ったんだ」

「彼の住居は?」

「さあ」


 光司は祖父が鷲尾の芸術活動の援助のために、裏の持ち家を貸したと言った。が、それがこのアトリエのことだとしたら、寝食をするための家屋がどこにあるのかは聞いていない。


 神父がため息をついたので、龍郎は責められている気分になった。たしかに、青蘭から片時でも目を離した自分がバカだったのだ。


「高屋敷家の人にでも聞いてみるか?」

 神父が言うので、

「いや、それなら、稲葉家のほうが近いし、仕事上のパートナーだから知らないはずはない」


 せめてもの反論をする。


「オッケー。じゃあ、そこへ行こう」


 ムカムカしながら、もと来た道を折り返していく。

 ところが、稲葉家の裏口まで来たときだ。裏木戸のあたりで人が話している。よく見ると、千雪だ。なぜ、こんな時間に外を出歩いているのだろう。


(あっ、そうか。おれたちが戻らないから心配したのかな?)


 龍郎は声をかけようとして、近づいていった。別に足音を立てないようにしていたわけではないが、話すことに没頭していて、千雪は龍郎と神父がそばにまで来ていることに気づいていないようだった。


「おまえの言うとおりにしたよ。千雪。だから、結婚してくれるだろ?」


 そういう男の声は光司のようだ。

 プロポーズしていたから、返事を聞いているのか。それにしても、言うとおりにしたとは、なんのことだろう。


「……そう。ありがとう。どうしたの?」

「蔵に閉じこめてある。でも、あのままにはしとけないぜ?」

「いいの。ちょっと意地悪したかっただけだから。明日にでも出してあげて」

「ふうん」


 龍郎はカッとなった。

 事情が飲みこめたのだ。


 光司がどうやってか龍郎がいないうちに青蘭を座敷蔵からつれだし、土蔵のほうに閉じこめたのだ。土蔵は龍郎たちが見物したあと、光司が鍵を閉めた。だから、青蘭が自分からそこに入ることは物理的に不可能だと思い、龍郎は調べなかった。土蔵は壁が厚いから、青蘭がちょっとくらい大きな声を出しても外まで聞こえない。スマホも圏外になってしまう。


 龍郎はひそひそ話している千雪と光司に駆けよった。


「青蘭をさらったのは、あんたたちか! 今すぐ土蔵から出してくれ。じゃないと、警察を呼ぶぞ」


 茶碗の入った箱を神父の手に押しつけておいて、龍郎は光司の胸ぐらをつかむ。


 光司は暴力に訴えるべきか一瞬、考えるふうだったが、龍郎のうしろにいるフレデリック神父を見てあきらめた。二対一ではかなわないと悟ったようだ。


「わかったよ。悪かった。でも、手荒なまねはしてないぞ。ウソじゃない」


 千雪は急に泣きだして、走り去っていった。


「あッ、ちいちゃん!」と、追いかけようとする光司の肩をつかんで引きとめる。


「待った。あんたは今すぐ、土蔵の鍵をあけるんだ」

「ああ、はいはい。わかった。わかった」


 光司をおどして、土蔵の鍵をあけさせた。しかし——


「青蘭! 青蘭? どこにいるんだ?」


 青蘭の姿は土蔵のなかから消えていた。




 了

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