第46話 六路村 その六



 高屋敷家に帰ってきた。

 バラバラに散っていたメンバーも、みんな帰っていた。フレデリック神父は成果があったのかどうかわからないが、穂村は何やら話したくてならないようすで、うずうずしている。


「どうだったね? 本柳くん。何か情報はあるかい?」と、聞いてはくるものの、目の奥がキラキラして、「いえ、先生は?」と聞いてほしいのだと、ひとめで見てとれた。学問に対する純粋さだけは、まるで子どもだ。


「いえ……大したことは。それより、先生たちはどうだったんですか?」


 龍郎は学生として百点満点の回答をしたと思う。

 穂村の目がますます光る。


「まあ、さほどのことはないんだがね。このていどのことは私には朝飯前だよ。この村には面白い伝承がある」

「落武者の?」

「いや、それじゃない」

「じゃあ、なんですか? 教えてください」


 さらにサービスで持ちあげると、穂村は爛々らんらんと目を輝かせて語りだした。


「伝承はいくつかある。一つは例の落武者だな。だが、落武者については、あとで説明しよう。二番めによく聞いたのは、人喰い熊だ」


 龍郎は青蘭と視線をかわす。


「たしかに熊は出ました。幸い、あっちから逃げていきましたが。けっこうデカかった気がします」

「うん。老人たちが、いやに口をそろえて『このへんには昔っから人喰い熊が出るんだ。気をつけなされ』と言うんだ。『いつごろからですか?』と聞くと、『さあなぁ。わしが子どものころ、じいさんから聞いた』とか『じいさんのじいさんが熊に襲われかけたことがある』と言うんだ。変だと思わんかね?」


 それは、もちろん、おかしい。

 八十歳の老人が子どものころに祖父から聞いたと仮定するなら、その話は少なくとも七十年前には村で噂になっていたことになる。祖父の祖父の話題となれば、プラス二十年から六十年だ。熊が何年生きるのか龍郎は知らないが、百三十年も生きるとは思えない。


「同じ個体ではないですよね? 人の肉の味を知った熊は好んで襲ってくるようになると聞いたことがあります。もしかしたら、親が子熊にその味を教えてるんでしょうか? 人喰い熊の子は人喰い熊になるって状態ですよね」


 穂村は考えこむ。


「まあ、それも可能性がないわけではないな。ちなみに熊の寿命は種類を問わず、二十年から四十年くらいだ。パンダは三十年」

「へえ。そうなんですか」

「だが、ふつう、人を襲う熊は危険だから射殺される。九州地方のツキノワグマは近年、目撃されなくなり絶滅したと考えられている。人間のせいなんだろうな。環境破壊や餌場の減少。射殺」

「へえ」


 さすが学者だ。どうでもいい知識には事欠かない。スマホで検索する手間が省けるようになったことだけは、穂村と親しくなったことの利点だと思う。


 穂村は続ける。


「危険な熊を、なぜ、この村の人間は放置しとくんだろうな? 猟友会を呼んで、さっさと退治してもらうに越したことはないじゃないか?」

「まあ、そうですね」

「この熊はじつは退治できないんじゃないか、という一つの仮説が立てられる」

「どういうことですか?」

「熊じたいが存在しないなら、退治はできない」


 龍郎は木陰の薄闇に仁王立ちしていた獣を思い浮かべる。


「いや、でも、いましたよ」

「君たちの見たのは、たまたま通りかかっただけの本物の熊だったのかもしれん。私は思うんだ。熊はこの村で起こる神隠しのほんとの原因の隠れみのにすぎないんじゃなかろうかと」

「ほんとの原因?」


 話しているところに、千雪と豊子が昼食を運んできた。昼飯は蕎麦だった。これも、美味しくいただく。


「足りなければ、おっしゃってください。おかわりありますので」と言って、千雪と豊子は去っていこうとする。


 龍郎は呼びとめた。


「待ってください。千雪さん、さっき答えてもらえなかったんですが、いいですか? なんで、この村では男の子の姿を見かけないんですか?」


 千雪は困ったような顔をして、沈黙のまま母親と目を見かわしている。

 そのうち、豊子がごまかすように言った。


「今、学校に行ってるからじゃないですか?」

「いや、でも、学校に行く前の年齢の子どもだって村にはいますよね? 女の子はそのへんを走りまわってるのを見るんですよ。でも、男の子は見ない。ちょっと変じゃないですか?」


 すると、なぜか穂村が「ハッハッハッ」と笑い声をあげる。穂村のおかげで清美がおとなしく見える。


「それだよ。それ。この村の面白い伝承その三。神隠し伝説だ」

「神隠しですか」


 これだけ山深い土地柄だ。大昔には野山で獣に襲われたり、谷底に落ちたり、川で溺れたりなどして、行方不明になる子どもは多かっただろう。そういう不幸な事件が神隠しと言われたに違いない。


「奥さん。あなたは朝の説明で、そのことにはふれませんでしたね。落武者の言い伝えは、じつは神隠し伝説の一端にすぎないと」

「…………」


 豊子は黙りこんでいる。

 だが、龍郎は思いだした。


「そういえば、千雪さん、言ってましたね。叔父さんが神隠しにあったんだって。あれ、けっきょく、どういうことか聞いてなかったですね」


 あきらめたようすで、豊子がため息を吐きだした。


「六花さんのことですね。わかりました。知っていることを話します」


 龍郎は息を飲んで、豊子の言葉を待った。




 了

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