第44話 海鳴りのディアボロ その五



 団地の前で大勢の警官が道路を封鎖していた。


「ここから入っちゃいかん」

「さがって。さがって」


 なんて言っていたのに、神父が何やらスーツの上着をめくって裏を見せると、急に何人かは黙りこんだ。そして、おたがいでヒソヒソとナイショ話を始める。


「初めて見たけど……」

「でも、あれって……」

「たぶん、間違いない」

「どうする? 上の指示を仰いでみるか?」


 などと小声で相談しあう彼らに、神父が言いはなった。


「悪いが事態は急を要する。アレを見れば君たちにだってわかるだろう。私たちはアレの専門だ。通しなさい」


 警官たちが両側にわかれて、青蘭と神父の通りすぎるのを見守った。

 団地のフェンスのとぎれるところまで歩きながら、青蘭はたずねる。


「何を見せたの?」

「君のお父さんも持っていたものだよ」

「ふうん」

「まあ、警察組織に影響を与えることのできる国際的な免許みたいなものさ」

「ふうん」

「君たちも我々の組織に入れば携帯を認可されるよ」

「いらない」

「おやおや。便利なのにね」


 そんなことを話しているうちにも、団地の出入口についた。門はない。フェンスのとぎれたところから、駐車場に入る。そのとたん、化け物の巨躯きょくが視界全体を覆うように、とびこんできた。


「うわ。デカイ」

「三十メートルはあるな。いや、四十?」


 怪獣映画の怪獣のように巨大な化け物が、駐車場に鎮座ちんざしている。そのまわりに、あのいやらしいカタツムリみたいな目の人魚がウヨウヨと集まって、バカみたいに頭を地面にこすりつけて崇め奉っていた。


 駐車場は祭祀さいし場に早変わりしていた。

 吐き気のするような造形の化け物が、触手で次々と悪魔や人魚をつかみあげては喰っている。あたりじゅう、赤や緑の血や体液で汚れていた。


「クトゥルフ……」


 青蘭のつぶやきを、神父も肯定する。


「そのようだな。私は初めて見たよ」

「ボクは二度めだ」


 龍郎と会ってまもないころに遭遇した事件。外見はあのときと共通している。あまり正視できない。じっと見ていると、人間の正気を奪ってくる。


 全体は蛸に似て、丸い頭部の下から数えきれないほどの吸盤のある触手が生えていた。頭部には人間の手足や鼻や目玉、だらんとした生首などが、これも無数にたれさがっている。

 今度のやつにはノコギリザメの鼻先のようなギザギザの突起もいくつか体表から突きだしていた。


 だが、もっともグロテスクなのは、それらの下に巨大な女の首なしの体がくっついていることだ。乳房もあらわな、白くて、すべすべの美しい巨人の娘。

 つまり、不気味なクリーチャーの部分が女の頭になっている。女神のような裸体も、すだれ状の触手に覆われて、全体が見えるわけではない。


 女は駐車場のアスファルトの上に横座りして、触手を蠢かし、絶えず何かを喰っていた。それだけではない。触手で巻きつけて自由を奪った獲物と、自分の頭部の突起の部分をつなぎあわせている。


 クトゥルフは淫欲の悪魔だ。

 喰うのは、おそらく増えるためのエネルギー作りだ。自己増殖への欲望にのみ、つき動かされている。


 神父が口元を押さえていた。

 スマートな神父も、さすがに初めて見る邪神の宇宙的な醜悪さに、理性を保つのが難しいのだろう。


「龍郎さんを助けないと」


 青蘭は龍郎の姿を探して、あたりを見まわした。近くにはいない。しかし、この場のどこかにはいる。苦痛の玉の鼓動が聞こえる。


「龍郎さん!」


 叫びだそうとする青蘭の口を、神父が押さえてきた。


「大きな声を出すな。アレが襲ってきたら、どうする」

「じゃあ、あんたは帰れよ。ボクは一人でも行くから」


 神父はため息をついた。


「青蘭。君を一人で行かせられるなら、最初からついてこない。困らせないでくれ」


 青蘭は神父の手をふりはらって走りだした。すると、団地の建物があったあたりから手をふる者を見つけた。


 団地の建物は今や見事に瓦礫がれきと化している。その倒壊した建物の陰に隠れているのは、穂村だ。龍郎は穂村に呼びだされて出ていったのだ。そばにいるのかもしれない。


 青蘭が駆けていくと、穂村は青い顔で瓦礫を指さす。


「なかに、まだ本柳くんがいる。鉄柱に挟まれて、ぬけだせないんだ」


 青蘭は全身の血が凍るような気がした。


「龍郎さん。怪我してるの?」

「たぶん。声をかけても返事がない」

「まさか……死んじゃってはいないよね?」

「それは、わからん」


 大丈夫。大丈夫。

 たがいのなかにある賢者の石があるかぎり、万一のことがあれば、離れていても感じとることができる。

 もしも龍郎の命が失われるような一大事が起これば、呼応する玉の持ちぬしである青蘭がそれに気づかないはずはない。


 だから、大丈夫だと、青蘭は必死で自分に言い聞かせた。


「龍郎さんは、どこに?」

「建物が崩れてきたとき、この剣が輝いて守ってくれたみたいだった。そうでなければ、瓦礫のあいだに生き埋めになっていただろう」

「それで、龍郎さんはどこ?」

「この山のような残骸のてっぺんあたりだよ。私の力じゃ、ひっぱりだせなかった」


 青蘭は瓦礫の山を見あげた。

 そこに龍郎がいる。


「行かなくちゃ」


 だが、そのときだ。

 邪神が咆哮ほうこうをあげた。

 それは特別な獲物を見つけたときの歓喜の叫びだった。

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