第44話 海鳴りのディアボロ その四

 *


 夜になっても、龍郎は家に帰ってこなかった。


 案じながら待っていた青蘭は、清美がつけたテレビのニュースで、その事件を知った。女性アナウンサーが少し興奮したような口調で早口に述べる。


「たったいま入ってきたニュースです。S県M市の団地で倒壊事故があったようです。少なくとも一棟が全壊。道路も崩落し、現在、周辺は警察と自衛隊により封鎖されているもようです。死傷者の有無は現段階ではわかっていません。ただいま現場付近にいる田中記者に中継がつながっています」


 テレビ局のセットから現場へと、画面が切りかわる。その景色は、青蘭も知っていた。あの団地の近くだ。たったいま、龍郎がそこにいるはずの……。


「龍郎さん……」


 全身がふるえるのを感じた。

 はたして龍郎は無事なのだろうか?

 倒れた建物の下敷きになっていないだろうか?


 すると、そのとき、画面の奥で何かが動いた。以前、団地の建物があったあたりで、黒い影が盛りあがってきた。みるみる巨大にふくらみ、夜空に奇妙な形のシルエットを作る。


 清美が手にしていたテレビのリモコンを、ボトリと座卓の上に落とした。


「な……なんですか? アレ」


 それは小山のようなもので、黒い影になっている今でさえ、無数の触手がうごめいているのが見てとれた。触手以外にも、なんだかいろいろ妙な突起物がついているようだ。


 それは、とつぜん、雄叫びをあげた。

 風景にヒビが入り、激しいラップ音を響かせて画面が消えた。すぐに、しばらくお待ちくださいの文字が浮かぶ。おそらく、中継していたカメラが破損したのだ。


「クトゥルフだ……」


「クトゥルフ、ですか?」

「以前、ボクがやっつけたんだけど、たぶん本体じゃなかったんだろうな。クトゥルフは深海の巨大生物に憑依する特技がある。憑依された生物は、そのままクトゥルフになるんだ。本体はルルイエで深い眠りについている」


「じゃあ、あれは?」

「あれも分身の一つだろう。でも、そのへんの低級悪魔なんか比にならないほど強い」


「そうなんですね。あんなの、テレビに映っちゃっていいんですか?」

「問題、そこ?」


 清美と話していてもらちがあかない。青蘭は吐息をついた。


「もういいよ。行ってくる」

「ダメですよ。青蘭さん、今、戦えないんでしょ?」

「そうだけど、龍郎さんがあそこにいるんだ。行かないと」


 龍郎が死んでしまったんじゃないかと思うと、それだけで涙がこみあげてくる。いてもたってもいられない。


「ボクたちは死ぬときも生きるときも一つなんだ。ボクは行くよ」

「わかりました……」


 清美が微笑して、青蘭の手の上にある物を載せてきた。


「はい。これ、役に立つと思います」

「こんな物が?」

「はいです」


 話しているところに、呼び鈴が鳴った。玄関の戸が外から叩かれる。


「青蘭。龍郎くん。帰ってるんだろ? まったく君たちは勝手なんだから。あけてくれ。さっき、テレビ番組で大変なニュースが——」


 フレデリック神父の声だ。

 青蘭は玄関の引戸をひらいた。


「知ってるよ。ボクらも見た」

「おや、龍郎くんは?」

「龍郎さんは……今、あの場所にいる」

「そうか。では急がないとな」


 神父は青蘭を止めなかった。

 彼自身がエクソシストだから、行かないという選択肢はなかったのかもしれない。青蘭にとっては渡りに船だ。


「グッドタイミングだ。運転手が確保できたな」

「しかたない。私の後ろに乗りなさい」


 神父が指したのは、450CCのバイクだった。こういう事態を想定していたのか、フルフェイスのヘルメットを二人分用意している。


「じゃあ、清美。行ってくる」

「ご無事のお帰りをお待ちしてますねぇ」


 神父の愛車に乗り、闇を切り裂く。夜の街はひどく、ざわついていた。いつもなら無人のように静かなのに。

 誰もが不安におびえているのだろう。


 街の中心部をすぎると交通規制が敷かれていた。しかし、神父は意外にM市の抜け道に精通していた。うまく検問をさけて、歩いていけるくらいの距離まで近づくことができた。


 団地まで数百メートルだろうか?

 この距離で、すでにクトゥルフの巨体を目視できる。


「なんてことだ。こんな事態、初めてだ。こんなにおおっぴらに邪神が人前に現れるなんて」


 フレデリック神父が無意識のように舌打ちをついた。


 青蘭はヘルメットを外すと、それを神父に放りなげ、そくざに走りだす。

 快楽の玉。苦痛の玉。

 二つの玉が共鳴するからだろうか。

 龍郎がピンチに陥っていることがわかる。下腹にズキズキと鈍い痛みが走った。


(龍郎さん。どっか、怪我してる? それとも……)


 不安がいっきに背筋をかけのぼる。


「青蘭! 待て。一人で行くのは危険だ」


 背後から神父が追ってきた。


「危険? ボクはこれまでずっと、たった一人で悪魔退治これをやってきたんだ」

「でも、今、君は戦えない」

「…………」


 それでも、行かなければいけない。

 ここは青蘭の戦場だ。

 たとえ剣をなくしても、そこへ向かうのは戦士のさがだ。


 青蘭はまっすぐ、団地をめざした。

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