第32話 瑠璃夢 その三



「やめろ! 瑠璃さんッ!」


 龍郎は長いテーブルを乗りこえ、瑠璃のもとへとびついた。

 抜き身をにぎりしめて、とどめる。

 手のひらに痛みが走った。


「やめてくれ。頼むから。今の君は青蘭でもあるんだ。青蘭を君の絶望の夢から解放してやってくれないか」


「ほらね。わたしのことなんて、ほんとはどうでもいいんでしょ? みんな、そうなのよ。みんな、わたしをほんとに愛してくれる人なんていない」


 なぜ、彼女と青蘭の記憶が混同したのか、わかったような気がした。

 似ているからだ。

 二人の受けた汚辱や苦痛は、とても似ている。

 だから、共感するのだろう。


「瑠璃さん。君のことも同情するよ。かわいそうな人だと思う。でも、おれにとって重要なのは、青蘭が笑ってることなんだ。君の悲しみに、青蘭をまきこまないでくれ。青蘭はもう充分に苦しんだ」


「ほかの人の話なんてしないでよ!」


「頼む。青蘭、帰ってきてくれ! そこにいるんだろ? おれのところへ帰ってこいよ!」


 その瞬間に窓外から月光が差した。

 青い光がくっきりと瑠璃を照らす。

 ふだんは着ない女らしいワンピースをまとう青蘭の姿。

 だが今は青蘭を透かして、別の容貌もかすかに見える。

 まるで水面に反射する像と、その下にある別人の肉体のように、二重にゆらいで見える。


 青蘭が瑠璃から分離しかけているのだ。


「青蘭! おれはここだよ。おいで。青蘭——」



 ——たつろ……さん。



「おまえはもう過去を乗りこえた。苦しいことも悲しいことも、これからはずっと、おれといっしょだろ?」



 ——ずっと、いっしょ……。



 突風が吹き荒れた。

 どこから入りこむ風なのかわからない。瑠璃の体を包むように、つむじ風が巻き、偽りの姿を吹きちらしていく。


 すべての虚構をそぎおとし、風がやむと、そこには青蘭が立っていた。前髪だけ長めのショートカットの青蘭。実体ではない。ほんのり光を帯びた魂の青蘭が。


「……龍郎さん。どんなに離れていても、魂が呼びあう。ボクらは、つがいの鳥だ」

「そうだね。青蘭。どんなに遠く離れていても、君を想う」


 両手の指をからめあうと、ふわりと浮遊感に包まれた。

 つかのま、目をとじていた。

 まぶたをあげると、目の前に青蘭が立っている。しかし、そこはもう現実世界ではない。螺旋の巣のなかだ。賢者の塔か幽閉の塔の内部だとわかる。


「青蘭」

「うん」


 これでもう何度めか。

 抱きしめあい、再会を喜ぶのは。

 今後こそ——今度こそ、青蘭をつれ帰る。


 龍郎はそう決意した。


「行ってくる。子どもたちの塔の魔法媒体を破壊する」

「うん。ボクもいっしょに行く」

「わかったよ。おれたちは、いつもいっしょだ。生きるときも、死ぬときも」


 個室をぬけだすと、やはり四方の塔の内部だ。ゆるいスロープが螺旋を描いている。


「ここは……」

「賢者の塔だよ。龍郎さん、五の世界で魔法媒体を壊したあと失神しただろ? だから、ボクがここまで運んでおいたんだ」

「ここは六の世界だよな?」

「うん。でも、昨日の続きでもある。昨日から急に七つの世界がつながったんだ。架け橋を通って、自由に行き来できる」

「架け橋?」

「屋上に行けばわかる」


 青蘭が言うので、とりあえず、屋上へ行ってみた。

 途中でサンダリンに出会わないかとヒヤヒヤしたが、彼の姿はなかった。片翼を失ったとき、そうとう出血していた。かなりの重傷だったはずだ。戦闘どころではないのかもしれない。


 屋上への扉が見えてきた。

 そう言えば、昨日はこの出入口近くの変な機械を止めたのだった。ドアをあけて覗いてみると、なかの機械は完全に停止していた。龍郎が動かしたスイッチは、もう見あたらなくなっている。一回だけしか稼働と停止の切り替えができない仕組みだったのかもしれない。


「たぶん、ここが七つの世界の架け橋を封鎖するための機械だったんだと思う」と、青蘭がささやく。

「そうか。おれが停止させたから、七つの世界での行き来が可能になったのか」

「だから、七つの世界すべてでのボクの記憶が明瞭になったんだ」

「なるほど。でも、七つの世界を分断しておくことが、女王にとっては重要だったはず。そんな大事なとこにしては、ずいぶん守りが手薄だなぁ」

「七つの世界を守る門番が、サボってるからじゃないの?」

「門番?」


 龍郎はうなった。

 やっと納得がいった。

 門番とは、つまりルリムだ。

 龍郎が彼女と手を組んだから、ルリムは龍郎のすることに見て見ぬふりをしたのだ。


「清美さんの言ったとおりだったな。でも、利害が一致してるうちは信用してもいいってことだった。つまり、利害が反したら裏切るかもしれないってことだ。共闘がどこまで続けられるかわからない。とにかく、急いで残りの魔法媒体を破壊し、女王を倒そう」


 うなずきあって、屋上への扉をあける。屋上は昨日、龍郎が媒体を破壊したので、中央の台座が壊れていた。


「あの赤ん坊……瑠璃さんが埋めた子どもだったんだ」


 人になる前にこの世から葬り去られた哀れな我が子の供養のために、鬼子母神に捧げられた。その思いが女王を守る媒体に利用された。


 哀れな赤子。

 でも、魔界で邪神の魔法媒体にされているより、本来の形で無に帰すほうがいい。だからこそ、瑠璃も成仏させてやってくれと願ったのだ。


「残る媒体は二つ。子どもたちの塔と、幽閉の塔のそれか」


 幽閉の塔はまだ崩壊していない。しかし、神父を信じるなら、彼がきっとやっとくれるはず。

 龍郎は子どもたちの塔の媒体を破壊しに行かなければならない。


 可能だろうか?

 塔の屋上には、昨日とはまったく違う景色が広がっていた。


 ウンカのように、大勢の戦闘天使が、ビッシリと屋上を埋めつくしている。


 その向こう、中央にそびえる女王の塔へと、光の橋がいくつも伸びていた。




 了

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