第32話 瑠璃夢 その二



 最初に悲鳴が聞こえたのは二階だった。しかし、龍郎が邸内に駆けこんだときには、騒ぎは一階に移っていた。言い争うような叫び声が食堂のほうから響く。


 玄関ホールからでさえ、すでに血の匂いがかぎとれた。


 螺旋階段の途中に、誰かが倒れている。ぶらりと片手を手すりから出して、何度もひねったような変な体勢をしていることからも、すでに息をしていないことはわかった。


 廊下にも一人。

 廊下に倒れているのは老人だ。冬真の祖父である。この前はこの老人が銃を乱射していたが、今日はまた別の誰からしい。


 食堂に走っていく。

 ドアは開放されたままだ。

 そっと、なかをうかがうと、窓ぎわに女が二人、立っていた。格子の美しい窓を背景にして、二人の姿が黒く浮きだしている。龍郎からは女たちの横向きのシルエットが見えた。


 透子と瑠璃だ。

 今日もまた、透子が瑠璃を殺そうとしているのかと、龍郎は思った。助けにいこうと室内にとびこんで、ようやく気づいた。


 違う。

 狙われているのは瑠璃じゃない。

 猟銃を持っているのは、瑠璃のほうだ。


「瑠璃さん。やめるんだ!」


 龍郎が声をかけたときには遅く、銃声が一発、轟いた。

 黒い女の影が一つ、棒きれのように直立のまま倒れた。


 ハアハアと息をつく荒い音が聞こえる。


「瑠璃さん……やめるんだ。君にこんなことをしてほしくない」


 あるいは、すでに一家全員、皆殺しにしたあとかもしれないが、そう言わずにはいられなかった。


 瑠璃の憤りはもちろん、わかる。

 彼女が家族のなかで受けた虐待は、女ならとても許せないものだ。


 だが、今の瑠璃は青蘭でもある。

 青蘭に人を殺させたくない。

 身勝手な言いぶんだということは理解している。それでも、龍郎の一番は青蘭なのだから。


「瑠璃さん。やめてくれ。頼む」


 龍郎が近づこうとすると、瑠璃の体の向きが変わった。横顔のシルエットが見えなくなる。瑠璃が龍郎をふりかえったのだ。同時に銃口がこっちを向いた。


「瑠璃さん……」

「もう遅いの。みんな終わりにするのよ。ジャマをしないで」


 カランと瑠璃は猟銃をすてた。

 あきらめてくれたのかと一瞬、安堵した。が、瑠璃はすぐに、どこからか別の凶器をとりだした。かすかに刃のきらめきが闇に光った。


 龍郎はいっきに不安になる。


「瑠璃さん。それをどうするつもりだ?」


 龍郎を殺すつもりなら、猟銃を使えばいい。そうしないのは、標的が龍郎ではないからだ。猟銃では銃身が長すぎて、自分を狙うには適さない……。


「だから、終わりにするの」

「君が死ぬことはない。みんなが君を苦しめたんだ」

「……わたしね。あの木の下に大切なものを埋めたのよ。何度もよ? とても大切なものだったのに」

「何を埋めたの?」


 言いながら、龍郎はすきを見て少しずつ、近づいていく。なんとか、瑠璃の手の刃物を奪いとらなければ。


「来ないで。わたし、本気よ。あなたを傷つけてしまうかもしれない」

「おれが傷つくのはかまわない。君のためなら、おれはなんだってするよ」

「嘘よ。あなたは、わたしのこと覚えてなかった」

「……そうだね。でも、青蘭。君だって、おれのこと忘れてるんだ。おれのこと、思いだしてくれ」

「わたしは、あなたのこと、忘れたことなかった。兄と遊んでいる男の子のなかで、あなただけが、わたしに遊ぼうって言ってくれた。わたし、とても嬉しかった」

「それは瑠璃さんの記憶だろ? 青蘭。君は君のことを語れ」

「わたしは瑠璃よ」

「違う。君は青蘭だ。おれの大切な、この世でたった一人の人だ」


 とつぜん、瑠璃は叫んだ。


「違う! わたしは瑠璃よ。あの木の下に最初に埋めたのは十五のときだった。とても小さくて、醜い赤い肉のかたまり。でも、女の子だってわかった。なんとなくだけど。わたしの体から出てきたときに、急にかわいそうになったの。なんで、ちゃんと生んであげなかったんだろうって。憎い男の残した不浄の証。だけど、あの子にだって生きる権利はあったのにね」


 龍郎は言葉に詰まった。

 彼女が義父の勝久から受けていた暴力が形になれば、とうぜん、そういう結果になるだろう。


「……君がザクロの木の下に埋めた大切なものって、赤ん坊か?」


「まだ赤ちゃんとも言えない小さな胎児だった。生まれる前に母親のわたしに殺されてしまったの。なんてかわいそう。だから、ザクロの木の下に埋めてあげたの。だって、ザクロは鬼子母神に捧げるための供物でしょ。鬼子母神は子どもを守る神になったの。ザクロの木と一つになれば、きっと、あの子たちも女神のもとへ行って、救われると思って」


 女神への供物。

 異界からの捧げもの……。


「そういうことだったのか。だから、この屋敷が魔界に通じていたんだ。女王を守る魔法媒体の胎児は、みんな、君の……」


 瑠璃の心が呼んだせいなのか、あるいは魔界の住人のほうがその匂いをかぎつけて、そこに巣食ったのかはわからない。しかし、二者のあいだで、ある種の共鳴のようなものが働いたことで、たがいを呼びあう形になったのだろう。


「瑠璃さん。これは君の見る夢だ。毎夜、夢のなかで終わりを思い描いている。そして、現実に戻ろうとする青蘭の夢と混同しあっている」


「わからないわ。でも……もう、どうでもいいの」


 瑠璃はにぎりしめたナイフの切っ先を、自分の喉に向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る