第28話 三の世界 その二



 近づいてくる。

 腐臭のような邪悪の香りをふんぷんと、あたり一帯にまきちらしながら、ソレが来る。


 地響きとともに、地面が揺れた。


 龍郎たち三人は玉座のうしろに入りこんで身をひそめる。脚の部分だけでも五メートルはある。人間が隠れるには、もってこいだ。


 青蘭が懐中電灯のスイッチを切った。

 あたりは闇に包まれる。

 それでも、あの透視のような力で、うっすらと周囲が見える。


 ズシン。ズシン。グシッ。ズズズ……。


 巨大なものが移動する音が、すぐそばにまでやってきた。


 地面が振動するたびに、体がゆさぶられる。急カーブの続く山道を全速力のスポーツカーで暴走しているような感覚だろうか。右に左に突きあげられそうになるのを、玉座の脚にしがみついて、なんとか持ちこたえた。


 ようやく、闇のなかから大きな黒い影が姿を現した。ルリム・シャイコースは巨大な蛆と聞いていたから、龍郎は醜悪な邪神の出現に心構えした。どんなものを見ても悲鳴をあげないよう、グッと歯をかみしめ、唇をひきむすぶ。


 だが、しだいに明るんでくる視界のなかで、ほのかに見える姿は予想に反していた。思っていたより異質ではない。もちろん、その体高は高すぎるし、カラーリングも異様。現実世界では決して存在するはずのないものだ。


 しかし、それでも、それは人と言えた。巨人である。身長が十メートル以上あるものの、姿形は人間とほとんど変わらない。


 ただ、肌が深海生物のように青白く、かすかに静脈が透けて見える。髪も白く、真紅の双眸だけが異様に目をひく。


 ゼラチンのような半透明の肌色のせいで、容貌の見分けがつきにくい。しかし、どこかで見たことがあるような気がした。誰かに似ている。


(誰だろう? 気になる)


 むしょうに胸の奥が騒いだ。

 この巨人の女が誰に似ているのかわかれば、この世界のありかたへの重要なヒントになる——そんな気がしてならない。


 女王はゆっくりと近づいてきて、地鳴りを響かせながら玉座に座った。おかげで顔が見えなくなった。玉座の脚のあいだから、ドレスのすそと、かかとだけが覗いている。


(この巨人の女が女王か。こいつが、ルリム・シャイコース本体。こいつを倒せば、三の世界の魔法が解ける)


 龍郎は青蘭の白皙はくせきを透かし見た。青蘭も龍郎を見つめていた。やろう、今しかないと、目で語りながら、うなずきあう。


 ところが、そのときだ。


 ガツン、ガツン、ガツンと一定のリズムで振動が伝わってきた。女王の歩行ほどの激震ではないが、それなりに背筋に響く。見あげると、女王が玉座のひじかけの部分を指で叩いている。

 どうやら、イライラしているようだ。


 なんだろうか?

 ようすがおかしい。


 しかし、これは好機だ。

 女王のまわりに戦闘天使がいない。

 いかにクトゥルフの邪神でも、快楽の玉、苦痛の玉の共鳴力を得たアンドロマリウスなら、粉砕して消化できる。


(青蘭。準備はいい?)

(いいよ。アンドロマリウスが目を覚ました)


 たがいの目を見かわしただけで意思が通じる。これも精神体として存在している恩恵だろう。


 手をつないだまま、そっと、玉座の下を歩いていく。女王に気づかれないまま、足元まで行ければ、あとはアンドロマリウスが女王を滅するだろう。女王の足に青蘭の手がふれさえすれば……。


 ガツン。ガツン。カツ、カツ、カツ——


 あの音なら、女王が龍郎たちの立てる物音に気づくことは、まずない。


 龍郎は青蘭の手をひいてダッシュをかけた。女王のかかとが目の前に迫る。かかとの高さだけでも一メートル近くある。外しようのない的だ。


「アンドロマリウス。取引きだ。ルリム・シャイコースを倒せ」

「どこをくれる?」

「すい臓を三分の一なら?」

「すい臓はもう全部、おれのもんだ」

「じゃあ、胃袋を四分の一」

「……まあ、いいだろ」


 青蘭がアンドロマリウスとの契約を結ぶ。その瞬間に青蘭の体が青白く光った。


 龍郎の意識も青蘭と一体になっていくのを感じる。膨大なパワーがふくらんでいく。


 これなら、やれる。

 そう、確信したときだ。


 青蘭の手が女王のかかとにふれた瞬間、龍郎たちは岩壁のところまで、数十メートルも弾きとばされた。まるで目に見えない壁にぶちあたったかのように。その壁が青蘭の攻撃を反射したみたいだった。攻撃が強いほどカウンターの威力も激しいのだと、感覚的に悟った。


「青蘭……」


 青蘭はどうなっただろうか?


 頭を強く打ち、龍郎自身も、今にも失神してしまいそうだ。必死につないでいた手のさきを見る。


 青蘭は気を失っている。

 壁がやわらかいおかげで、骨折などはしなくてすんだが、全身を強打した衝撃で脳しんとうを起こしたようだ。


「青……蘭……」


 離れた手をもう一度つなごうと伸ばす。


 しかし、その前に巨大な何かが鼻先をよぎった。女王の指だと気づくのに数秒かかった。半濁した白い大蛇のような二本の指が、青蘭を軽々とつまみあげる。


 女王は玉座から立ちあがり、嬉々とした目で青蘭を持ちあげると、ゆっくり、自分の頭の上へ——


 大きく、女王の口がひらく。


「やめ……ろ! やめろぉーッ!」


 青蘭の体が、つるんと、女王の口のなかへ……。

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