第二十一話 ラビリンス

第21話 ラビリンス その一



 天使の羽が舞いあがり、悪魔の哄笑こうしょうが空間をゆるがす。


 龍郎にはわかった。

 二人の手がかさなった瞬間、これまで経験したことのないほど強大な魔法が発動したと。


 龍郎の力なのか、青蘭の力なのか、あるいは二人のなかにある賢者の石がオートマチックにその力を生んだのか。それは、わからない。

 ただ、一瞬にしてその力が時空をねじまげ、島を包みこんだことが感じとれた。


 爆風のような魔力の暴発。


 その一瞬がすぎたあと、気がつくと、龍郎は一人で立っていた。

 屋敷の玄関ホールだ。

 まだ火事になる前の贅をつくした瀟洒しょうしゃな内装だ。溶けくずれていた螺旋階段も、繊細なループを描いている。


(これは……時間を飛んだ、のか? それとも?)


 とにかく、まわりにいたはずの人たちはどこへ行ったんだろう?

 青蘭は?


(青蘭の誤解をとかないと)


 きっと青蘭は龍郎が心変わりしたと思ったのだ。絶望的な拒絶が瞳のなかに、かいまみえた。

 いったい、どうして、そんなふうに思えるのか。たった一日やそこらで、龍郎の想いが変わるだなんて?


(そんな軽い気持ちで、おまえを好きになったりしないよ。それくらい、わかるだろ?)


 広い屋敷のなかは無人のように静かだ。高い位置にある窓から澄んだ陽光がふりそそいでいる。早朝らしい。外から鳥の鳴き声が聞こえる。


 龍郎はさっきの子ども部屋をめざした。そのとき、前方から女が歩いてきた。地味な黒い服にエプロンをつけて、どこから見ても家政婦だ。むしろ、メイドと言ったほうが、しっくりくる。女は龍郎を見ても何も言わない。いや、もしかしたら、龍郎の姿が見えていないのかもしれない。屋敷のなかを見知らぬ男が歩いているのに、見向きもしないのだ。


 試しに女の前で手をふってみる。が、やはり、まったく反応しない。龍郎の姿が目に入っていないようだ。

 魔法で時間をさかのぼったのなら、今の龍郎は霊的な存在なのかもしれない。一般人には見えないということだ。


(まあ、それはそれで便利だけど)


 屋敷の住人に遭遇するたびに泥棒あつかいされたのでは、めんどうでしかたない。その心配はなさそうなので、安心して奥へ向かっていった。


 青蘭の部屋と思えるドアの前にたどりついた。距離と方向から、このへんだろう。ドアノブに手をかけると、霊的な存在のはずなのに、ドアをあけることができた。法則はわからないものの、人間には見えないが、物理的に影響をおよぼすことができるらしい。


 そっとドアのすきまから室内をのぞく。アメリカ映画で見るような、可愛い子ども部屋だ。青地に白いストライプと星の模様が入った壁紙。白い家具。部屋中にたくさんのぬいぐるみが置かれている。


(青蘭好みの部屋だ。やっぱり、以前の自分の子ども部屋が記憶のどこかに残ってるんだな)


 龍郎が入っていくと、青蘭はベッドのなかで寝息を立てていた。だが、探している青蘭ではなかった。それは、大人になった現在の青蘭ではなく、五歳の子どもの青蘭だ。大きなユニコーンのぬいぐるみを抱えている。


 あどけない顔だ。

 同時に、ビックリするぐらい綺麗な子どもだ。子どものくせに神秘的。妖精の子どもなら、こんなふうなのかもしれない。


(なんて幸せそうな寝顔だ。ずっと、このままなら、よかったのに)


 年齢より少し幼いようにも見えるが、おそらく、これは火事の直前の屋敷だ。青蘭はこのあと、地獄を味わうことになる。今が幸福そうなだけに、見るのがツライ。


 枕元に座り、青蘭の髪をなでる。

 このまま、この時間のなかからつれだしてやりたい。どうにかして、過去を変えることができるのなら。

 もし、その力が龍郎にあるのなら。


 切ない気持ちで見つめていると、青蘭は目をさました。お人形のように可愛らしい大きな瞳で、龍郎を見あげている。


(あれ? 見えてるかな?)


 龍郎の疑問に答えるように、青蘭が口をひらいた。


「お兄ちゃんは誰?」

「やっぱり、見えるんだ」

「セーラのお友達?」

「いいよ。友達になろう」

「うん」


 なんて、ひとなつっこいのだろう。

 今の青蘭とは大違いだ。

 本来の青蘭は、こんなふうに甘えん坊なのかもしれない。誰のふところにも、ひといきに飛びこんでくる。


「お兄ちゃんのお名前は?」

「龍郎だよ」

「たつろう兄ちゃんだね。ねえ、お兄ちゃん。遊びに行こう」


 青蘭は立ちあがると、パジャマのままベッドからとびおりた。龍郎の手をひいて走りだす。小さな手。この手をにぎったまま、どうにかして現在に戻ることができないだろうか?

 その方法を龍郎は模索する。


 廊下に出ると、さっきの家政婦が青蘭を見て金切り声をあげた。

「お嬢さま! いけませんよ。ちゃんとお着替えしないと。廊下を走るとおじいさまに叱られます」

「おじいさまはアメリカだよ」

「昨日の夜遅くに、こちらへ来られたんですよ」

「そうなの? じゃあ、いい子にする」

「そうですよ。ほら、着替えましょうね」

「うん」


 青蘭は残念そうに家政婦につれられて、もとの子ども部屋へ戻っていく。龍郎もついていった。でも、あいかわらず家政婦は龍郎に気づいていない。子どもなのにお仕着せではないテーラードの服を着せられて、青蘭はやっと自由になった。


「じゃあ、お嬢さま。朝ごはんを持ってきますね。待っててくださいね?」

「うん」


 家政婦が出ていくと、また龍郎の手をひいて部屋をぬけだす。なかなか要領がいい。


「お兄ちゃんも、セーラにしか見えないんだね」

「お兄ちゃんも? おれのほかにも、大人には見えない人がいるの?」

「うん。あのね。お友達。たまにしか来てくれないんだよ」

「そうなんだ」


 青蘭は霊感の鋭い子どもだったようだ。龍郎も幼時にそうだったというから、何か霊的なものが見えているのだろう。


「ねえ、たつろう兄ちゃん。こっち来て」

「どこへ?」

「いいもの見せてあげる。みんなにはナイショだよ?」

「うん。わかった」


 青蘭に手をひかれ、玄関ホールの螺旋階段をあがっていった。

 迷路のような屋敷だが、玄関の周辺だけは、なんとかわかる。


 しばらく進むと、青蘭は見るからに堅固な両扉の前で、あたりを見まわした。


「ここね。おばあさまが眠ってるんだよ」


 龍郎はドキリとした。

 問題の天使が、ここにいるらしい。

 謎の一画にたどりつけるだろうかと、ドキドキが止まらない。


 重い音を立てて、扉がひらいた。

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