第20話 天使と悪魔 その五



 あれ? この音、聞いたことがあるなと、龍郎は思った。


 テケリ・リ! テケリ・リ! テケテケテケ……。


(あっ! ショゴスだ。清美さんの持ってるショゴスが、こんなこと、つぶやいてた)


 この室内のどこかにショゴスがいるのだろうか? ショゴスはクトゥルフの邪神たちに仕える奉仕種族だ。それが、なぜ、こんなところに?


 気になって、声のするほうへ歩いていく。棚が並んでいて奥のほうは見通しが悪い。壁ぎわまで歩いていくと、その声はひときわ大きくなった。


 テケリ・リ!


 まるで「こっちだよ」と言われているようだ。


 その声に導かれるように、最奥部にある棚の前に立った。誰かに優しく手をにぎられるような感触があった。そこに、キラキラと輝く鳥の羽が一枚、瓶に入れられていた。星のまたたきのようにきらめく羽だ。たえず銀粉をあたり一帯にまきちらしているようにまばゆく輝いている。


 龍郎はその光に惹かれた。

 説明のつかない郷愁を感じた。

 青蘭を初めて見たときの心地にも似ている。


 無意識に手を伸ばしていた。

 龍郎がその瓶にふれた刹那せつな、ガラスは粉々にくだけちった。

 青白く光をふりまく羽が龍郎の熱にふれて、あわく雪のように溶けていく。溶けながら、多くの情報を龍郎のなかに流し入れてきた。


 とても短い一瞬だが、その瞬間、龍郎は現実とはまったく異なる映像を見た。それは、言わば“羽”の記憶だった。



 宇宙の景色が透けて見える不思議な宮殿のような場所で、大勢の天使たちが暮らしている。その風景。まぎれもなく天使の国だ。


 純白の肌と純白や白銀の髪、青やみどりの瞳の背の高い人々。背中に翼がある。いや、翼に似た器官なのかもしれない。光り輝くことで言葉にしなくても感情を表すことができる。

 とても美しい。


 そのなかで、ひときわ眉目秀麗な天使がいた。プラチナブロンドの巻毛とグリーンの瞳の天使。天使たちはどれも性別がわからないくらい麗美だが、彼の端麗さは群をぬいている。あまりに麗しいので、何か不吉な予兆にさえ思えるほどだ。


 彼には悩みがあった。

 いつも憂いていた。

 なぜなら、彼は——


 とつぜん、映像がとぎれた。

 めまぐるしく乱気流のように渦をまく。映像のスパイラルのなかで、多くの破滅的なものを見た。


 大戦。英雄の死。メシアの卵。ラグナロク。ラグナロク。神々の終焉しゅうえん


 そして、堕天した彼は肉体と魂を二つに裂かれ、追放の地にて深き眠りにつく。とこしえの愛をささやきながら……。



「おい? 龍郎くん?」


 肩に手を置かれ、声をかけられて、龍郎は我に返った。それでも、しばらく、自分でも意味不明な言葉の羅列られつが脳裏にあふれてきたが。


「多くの同胞の血と肉を吸い、やがてそれはメシアの卵となる。我ら原初のひずみを正さんがため。大いなるけがれし母を超越せし者をここに召喚する。二つの玉の完全となるとき、そは訪れる……またの名を苦痛の玉、快楽の玉。すなわち、汚穢おわいの母の右の目、左の目。過去と未来を映す瞳なり」


「龍郎くん? どうしたんだ? 正気か?」


 強くゆさぶられて、龍郎は心配げな表情のフレデリック神父に気づいた。同時に湯水のごとく流れでてきた言葉が、パタリと止まる。神の啓示はすぎさってしまった。


「……いえ、なんでも……ありません」


 なんでもないわけではなかったが、説明しがたい。まだ体がふるえる。

 誰かの記憶をむりやり詰めこまれて、頭がパンクしそうだ。


 ふらふらしながら、龍郎はフレデリック神父についていった。


「青蘭を助けに行くんだろう? しっかりしたまえ」

「ええ。そうですね……」


 冴子が龍郎の顔をのぞきこんでくる。

「龍郎。気分悪いの?」

 言いながら腕をくんできた。

 しかし、抵抗できない。


 そのまま、診療所を出ていった。

 最上もついてくるが、止める気力もなかった。


「龍郎くん。どこへ行くつもりだ?」とたずねてくる神父に、

「青蘭が火事にあった屋敷に」

 ひとこと返すのが、やっとである。


 それほど大きな島ではないが、中央が山になっている。迂回していくと、一時間ばかりもかかった。ちょうど診療所から対角線上の位置に、屋敷跡はあった。


 屋敷跡……とは言え、ほとんど何も残っていない。黒くすすけた壁が、さも瓦礫がれき然と荒地につき刺さっている。天井は崩れおちていた。散乱したガラスの破片。その破片も溶けくずれている。火事のすさまじさを語るには充分すぎるほどの景観だ。


「青蘭……」


 まだ頭のなかに誰かが話しかけてくるような圧迫感がある。

 あのブツブツとささやくような声が。

 激しい頭痛とめまいに耐えながら、龍郎は冴子に支えられて歩くのがやっとだ。が、青蘭の姿を必死に探す。


「青蘭。どこにいるんだ? 青蘭?」


 瓦礫のなかへよろめいていく。

 玄関のファサードは少し原形をとどめている。玄関をくぐると、広いホールだ。クラシカルな洋館の形をしていて、花模様のレース編みのような手すりのついた螺旋らせん階段が一部だけ溶け残っていた。しかし、二階から上はすべて崩れている。


 廊下は壁が倒れて完全にふさがれていた。今では地面を覆って草が生えている。


「青蘭? 青蘭! 返事をしてくれ」


 ようやく、一階の奥まったあたりで、うずくまる青蘭を見つけた。

 おそらく、そこはかつて子ども部屋だったのだろう。黒くただれた壁紙に星の模様が見える。


「青蘭」


 ほっとして、龍郎は歩みよった。

 だが、青蘭が龍郎を見て安堵したのも、つかのま。すぐに険しい表情になる。


「青蘭?」

「……やっぱり、そうなんだ。龍郎さんもいっしょだ。みんな、嘘つき」


 みるみるうちに涙がこぼれおちてくる。


「青蘭」


 龍郎が手を伸ばそうとすると、あとずさる。どうやら、冴子に腕を組まれた龍郎を見て、勘違いしたらしい。龍郎はあわてて、冴子の手をふりほどいた。


「違う。これは、誤解だ。今ちょっと気分が悪くて——」

「嘘つき!」


 ひきよせようとする龍郎の手と、つきはなそうとする青蘭の手がかさなる。


 その瞬間、何かが起こった。

 二人のあいだから閃光が走り、それは島全体を包みこんだ。




 了

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