第20話 天使と悪魔 その四



 呆然としているうちに、島についた。

 まるでテーブルマウンテンのような、平たい崖の上に、中心だけ山が乗っかって盛りあがっている。それが、その島の印象だ。


 この島に、青蘭がいる。

 上陸する前に、すでに、そう感じた。

 青蘭は今、この島にいる。

 そして、龍郎の助けを求めている。

 なぜかはわからないが断言できる。

 きっと、二人のなかにある玉が呼びあっているからだ。


 それにしても、青蘭のなかにいるアンドロマリウスが祖父なら、もう一柱の魔王は何者なのだろう?

 アスモデウス——

 アンドロマリウスの恋人のはずだ。


 そんなことを思案しているうちに、船は接岸した。ちょうど、崖の下のところに波止場のようにつきだした岩があり、そこから崖に階段が刻まれている。


「じゃあ、冨樫さん。五日後に迎え、お願いします」


 冨樫はいったん何か言いたげな顔をした。が、ひらきかけた口をつぐみ、うなずく。


 船から荷物をおろすと、龍郎を先頭にして、崖をのぼっていった。崖は十五メートルほどだ。

 崖の上には、すぐ見えるところに大きな建物があった。病院のようだと、外見からわかる。青蘭が子どものころ入院していた施設だろう。


「誰の姿も見えないな」と、フレデリック神父がつぶやく。


 しかし、この島のどこかに青蘭がいることは、龍郎には感覚的にわかる。


 不穏な空気が島を満たしていた。

 嵐の前のような薄暗さだ。

 空は変わらず晴れ渡っているというのに。


 瘴気しょうきだ。

 これまでも何度か見かけた。

 強大な魔力を持つ魔神のいるところには、必ず、空間の歪みのようなものが生まれる。十数年やそこらでは、その歪みは消えない。


(この島に、かつて魔神がいた)


 とてつもない瘴気だ。

 これまで対峙したどの魔王より、ひずみが強い。立っているだけで、頭がクラクラする。


 フレデリック神父が述べた。

「とりあえず、あの病院へ行こう」


 たしかに、島のなかに建物らしきものは、そこしかない。中央の山が邪魔で、島の裏側が見えない。焼け跡は見あたらないから、きっと裏側のほうにあるのだ。


 建物に近づいていく。病院というより、診療所と言ったほうがいいのだろうか。比較的、こぢんまりしている。だが鉄筋コンクリートの立派な外観で、最新設備の個人医院のように見える。


 表口は自動ドアになっていた。

 送電が止まっているようで、もちろん、開かない。自動ドアの脇に、鉄の扉があった。そのドアノブに手をかけると、あっさりひらいた。


 外部に通じる窓が少ないせいか、内部は昼間でも薄暗い。


「青蘭。青蘭? いないのか?」


 声をかけながら、龍郎は歩いていく。

 玄関口にロビーがあり、そこにダンボール箱やクーラーボックスがいくつも置かれていた。なかは食料品だ。青蘭がここに来たという証だ。


 この荷物の山を見て、龍郎は青蘭が一人でないことを知った。青蘭が自分でこれを崖下から運んでくるはずがない。ここまでつれてきてくれた漁師に頼んだのかもしれないが、もしや、まだ最上といるのではないかと思う。


「おーい、青蘭!」


 大声で呼ぶと、どこからか声が届いた。なんだか悲鳴のようだ。


「青蘭?」


 あわてて、声のしたほうへ走っていく。地下へ通じる階段のようだ。龍郎は二、三段とばしでおりていく。そのあとを、神父たちがついてくる。


「フレデリックさん。あなたは、おれたちの食料をここに運んどいてくださいよ」

「冗談。青蘭が助けを求めているんだぞ?」

「青蘭はおれが守る」

「守れてないくせに?」


 つまらないやりとりにも苛立つ。


 しかし、地下の暗闇のなかで、助けを求めていたのは、青蘭ではなかった。

 むしろ、この人だと知っていれば、放置しておけばよかった。たとえ感情的に好まない人物でも、窮地におちいっているのを見れば、助けないわけにはいかなくなる。


 暗い地下の廊下のさきに、ドアが並んでいた。そのうちの一つがひらいていて、なかから喚き声が聞こえていた。なかをのぞけば、男が棚の前で腰をぬかしている。最上だ。やはり、青蘭にくっついて、この島まで来ていたのだ。


 まあいい、こいつから青蘭の居場所を聞きだそうと考え、近づいていった龍郎はギョッとした。最上が倒れているところの棚に陳列されているものを見て。


 よく見れば、まわりは似たような棚だらけだ。ホルマリン漬けのサンプル。

 ここは、そうしたものの保管庫のようだ。


 それにしても、ここに保管されているのは、はたしてなんだろう?


 青黒い鱗のついた肉片のようなもの。

 内臓から目玉が生えたようなもの。

 小さなトカゲとも、あるいは魚鱗状の皮膚の胎児にも見えるもの。

 鳥の片翼の先端に鋭い爪のついたもの……。

 吐き気のするような代物がたくさん置かれている。


「なんだ……コレ?」


 思わずつぶやくと、呆然としていた最上が心づいて、じりじりとあとずさる。

 龍郎は最上の胸ぐらをつかんだ。


「おい! あんた、これはなんなんだ?」

「し……知らない」

「知らないわけないだろ? だって、あんたは青蘭がここにいたころの医者だったそうじゃないか」

「ほんとに知らなかったんだ! おれは実験にまでは参加させてもらえなくて……前から気になってたから、覗いてみただけで……」


 青ざめてひきつった顔を見れば、嘘ではないらしい。


「実験って、なんだ?」

「だから、知らないよ。ただ……クローンは現代のホムンクルスだ——とかなんとか、柿谷かきたに教授が言ってたことがある」

「柿谷教授?」

「青蘭の主治医で、診療所の所長だった人だ」

「その人は今、どこにいるんだ?」

「知らない」


 青蘭は十六歳のときに、この診療所を閉鎖して出ていったらしい。そのときに解雇されたということだろう。


(この実験のこと、青蘭は知ってたんだろうか?)


 いったい誰が、誰のクローンを造ろうとしていたのか……。

 おそらくは、青蘭の祖父アーサー・マスコーヴィルの指示だったのだろう。

 それより、とにかく、青蘭の行方だ。


「青蘭はどこだ?」


 最上は首をふった。

「食料を運んでるうちに、一人でどっかに行っちまったよ。まったく、あいかわらず、あつかいづらいヤツだ」


 おおげさに両手をひろげて肩をすくめているので、なぐってやりたくなった。だが、こんなゲス野郎をなぐっても、なんにもならない。つかんでいた胸ぐらを離し、保管庫を出ようとした。


 が——


 どこからか、変な音がする。

 なんだろうか?

 ブツブツとつぶやくような、何かの発酵するかのような……。

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