第17話 空き家の怪 その四



 ほこりをかぶった床の間。

 掛軸は色あせた山水画が飾られ、下に香炉が置かれていた。茶室のような丸い窓の近くには、竹の花入れがかけられている。が、そこに活けられた花はない。長いこと放置されているのだと、ひとめでわかる。


 その床の間に、目を疑うものがあった。

 髪の毛だ。それも、遺髪のようにもとどりでしばった髪の束。

 ギョッとするには充分な代物だ。


「うわっ。なんだ、これ。まさか、前の住人が置いていったのかな?」


 龍郎は床の間に近づいて、それを観察した。何年前からこの家が無住になったのかわからないが、髪の毛はたった今、切りおとしたばかりのように瑞々みずみずしい。


 その髪を手にとってみようとしたとき、急に背中がザワザワした。髪の毛の十センチ前で手が止まる。

 ブツ、ブツ、ブツ——と、指で障子に穴をあけるように、空間をやぶって邪気がしみだしてくるようだ。


 イヤな予感がして、龍郎は手をひっこめた。すると、髪の毛の束は、すっと消えた。目の錯覚だったのかと疑うほどに、あとかたもない。


「清美さん。今の、見たよね?」

「み……見ました」


 では、龍郎だけに見えた幻ではない。

 やはり、何かいる。


 室内を調べてみたが、ほかに怪しいものはなかった。

 廊下に出ると、暗闇のさきに、ふっと何かがよぎっていったように見えた。


 龍郎はあわてて、あとを追う。


「ああっ、待ってくださいよぉ」

 清美が背中にぶつかってきた。

 しょうがないので、龍郎は手を伸ばす。

「はい。手」

「……青蘭さんに悪いと思いつつも、遠慮なくつながせてもらいます! 怖いです!」


 手間どってしまったせいか、廊下のつきあたりに来たときには、もう何も見あたらなかった。

 ただ、そこにある襖をあけると、なかは板の間で、古い西洋机や椅子がある。壁には書棚が並んでいる。書斎だ。明治時代の文豪の部屋のようである。


「何もないな」

「ないですね」

「しょうがない。もとの部屋に帰って、もう寝ようか」


 探検のおかげで十時をすぎていた。

 まだまだ眠いとは言えないが、さっきよりはマシだ。ムリすれば寝られそうな気がしなくもない。


 もとの八畳間に戻って、それぞれの寝袋にもぐりこむ。


「じゃあ、ランプはつけっぱなしにしとくから。おやすみ。清美さん」

「夜中にトイレ行きたくなったら起こしますからねぇ」

「うん。そうだね。ここのトイレ、くみとりじゃないよなぁ? あっ、でも水洗だったら、むしろ流れないか。水道止まってる」

「に……庭でしますか?」

「清美さん。それ、女の人が言いだすことじゃない」


 清美と話していると、なんだか、たいていのことは深刻な問題じゃないような気がしてくる。清美と人生を送るパートナーは、さぞや楽しい毎日を送ることだろう。そういう意味では、とても稀有「けう》な存在だ。尊敬に値する。


「清美さんと話してると飽きないなぁ」


 くすくす笑っていると、清美が急に真剣な声音で言う。


「龍郎さん。さっきは言えなかったんですが、おばあちゃんがムチャなこと言って、すいません。なんか、お二人に迷惑かけてるなぁって思ってはいるんですよ。わたしだけ、なんの力もないし。もしものときには、わたしのことはポイッとほっといてくださればいいので、思う存分、青蘭さんを助けに行ってください」


 そう言われると、かえって申しわけない。青蘭はもちろん救いたいし、清美のこともできるかぎり助けたい。でも、現に龍郎の体は一つしかなく、どちらか一人を選ばなければならないときが、いつか来ないとはかぎらないのだ。


「……ごめん。清美さん。おれ——」


 清美はあわてたようだ。

「いいんですよ。好きな人を助けたいのは、あたりまえのことですから。ほんと、遠慮しないでくださいね。龍郎さんは、いい人で、すごく優しいから、気をつけないと女の人に勘違いされちゃいますよ?」


 ほんとに優しかったら、どちらかを見捨てるような選択はしないんじゃないだろうかと疑問に思う。

 どちらも助けられるほど、龍郎が強くなればいいのだ。でも、その自信がない。


「……おやすみ」


 声をかけて、目をとじた。

 将来のことを考えているうちに、いつしか眠っていた。


 どこからか音がする。

 カタカタ。カタカタと。


(なんだろう? あの音。寝られないじゃないか……)


 浅い眠りのなかで寝ぼけたことを考えている。しだいに音は大きくなる。


 カタカタカタ。カタッ、カタカタ——


(もう、なんなんだ!)


 龍郎は起きあがろうとして、ハッとした。体が動かない。意識は覚醒しているのに、体が鉄塊に変わってしまったかのように重い。金縛りだ。目をあけようとするが、まぶたもあがらない。


 どうにか呪縛をふりきろうと、龍郎があがいていると、とつぜん誰かに髪をつかまれた。それも両手でだ。最近、忙しくて、なかなか髪を切りに行けなかったから襟足が伸びてしまっていた。にぎりしめるだけの長さはある。


 まさか、清美がつかんでいるのだろうか?


 見てみたいが、あいかわらず目もあけられないし、首も動かせない。


 すると、何者かが髪を持ちあげて、龍郎の体をふりまわしだした。右、左、右、左——左右に激しく揺さぶられて、龍郎の体が宙に浮く。髪がひきちぎれそうだ。説明のつかない状況に恐怖をおぼえる。


 龍郎はあせった。

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