第9話 魔女のみる夢 その六



 橘笑波と話したい——そう思ったものの、昼休みが終わってしまった。

 そのあと、生徒たちは午後の授業があり教室へ帰っていった。

 龍郎はしかたなく、校舎のなかをぶらぶらする。

 校長先生の許可を得て、行方不明になったことのある生徒の名簿をもらおうかとも考えた。青蘭の名前を出せば、「じつは生徒たちの消失事件について調べにきたのです」と言っても協力してくれそうな気がする。


(えーと。校長室は、こっちだったかな?)


 迷いながら廊下を歩いていく。

 どこからか女の子たちの透きとおる歌声が聞こえてくる。ふだんはアレだが、歌声は天使のようだ。女子校の醍醐味だいごみを満喫した。


 廊下のかどをまがろうとしたときだ。

 行く手に人影が見える。

 スーツを着た男が一人の生徒と話している。いや、話しているというか……あれは、もしや、ラブシーンだろうか? いやにベタベタして、距離が近い。


 じっと見ていると、生徒の顔をのぞきこんでいた男が、すうっと頭をさげていき、口と口が接触した。

 未成年者に対する淫行ではないかと、龍郎はあわてた。が、とりあえず心を落ちつけてみる。


(そうだ。たしか、生徒の保護者や身内は教員がついていれば、学園内の視察ができたはずだ。もしかしたら、あの生徒の婚約者かもしれない!)


 きっとそうだろうと納得しかけていると、二人は離れた。

 龍郎が近づいていくと、男は教員の身分証を首からさげていた。フルネームは神崎かんざき真人まひとと記されている。

 生徒のほうは、坂本さかもと久遠くおんと書かれた学生証をさげている。三年生のようだ。

 信じられないが、教師が生徒に手を出す現場を目撃してしまった。


 神崎はなかなかのイケメンだ。ちょっと中性的な印象の細身の美形。

 龍郎を見て、さわやかに微笑んでみせる。生徒とキスしていた直後なのに、まったく動じたようすがない。正直、龍郎のほうがたじろいだ。


「は……初めまして」

「初めまして。新任の先生ですか?」

「はい。今日から一年A組の副担任になりました。本柳です。よろしくお願いします」

「僕は三年C組の担任の神崎です。よろしく」


 そう言って、神崎が手をさしだしてくる。さっきのはなんですかと聞きたいが、聞けない。ここは聞くべきだろうか?

 迷いながら手をとろうとしたときだ。神崎は急に顔をしかめて、さしだしていた手をおろした。どうかしたんだろうかと思っていると、久遠がふらりと倒れかけた。神崎がすかさず、久遠の手をつかむ。


「顔色が悪いね。大丈夫か?」

「すいません。ちょっと気分が……貧血かも」

「保健室に行こう」

 神崎は久遠と二人で歩きだす。


 淫行教師と保健室で二人きり……。

 なんだか、ほっとけない。

 龍郎も心配するふりをしてついていった。

 しかし、案ずることはなかった。保健室につくと、保健教諭が在室していた。若い女の先生だ。美人というよりは、ジプシーの娘みたいなふんいきの個性的な顔立ちをしている。

 美月みづきリーネという名前だ。自然体で素敵だなと龍郎は思った。


「坂本さん。どうしたの?」

「貧血みたいで……」

「ダイエットしてる?」

「えっと……ちょっと」

「過度なダイエットは禁物よ。ココアいれてあげるわ」


 話しているのを見て、龍郎は安心して保健室をあとにした。

 すると、あとから神崎がついてくる。

 二人きりになったので、龍郎は聞いてみた。

「さっき、坂本さんとキスしてませんでしたか?」

「まさか! コンタクトがズレたって言ってたから、見てあげてたんですよ」

「そんなふうには見えなかったけどな」


 神崎は「ハハハ」と笑い声をあげる。

「本柳さん。そんなに堅苦しいと、ここじゃ、うまくやっていけませんよ? あなただって一生、教員をやってるより、いい人生を送りたいでしょ?」

 ピアノを弾くような動きで手をふって、神崎は去っていった。

 どうやら逆玉狙いのようだ。たしかに顔はいいから、その気なら選びほうだいだろう。


 校長に報告すべきだろうか?

 しかし、龍郎が調べているのは生徒の行方不明事件だ。そこまで口出ししている余裕はない。


 ため息をついていると、背後で足音がした。ハッとしてふりかえる。

 男が立っていた。女子校だから、ここにいる男は基本的に教師だ。まるで生徒かと思うほど小柄だったが、たぶん教員なのだろう。遠目に身分証を首にかけておくための青いストラップが見えた。男はスマホを片手ににぎりしめ、逃げるように走っていく。


(スマホ? まさか、盗撮してたのかな?)


 なんだか教師たちのキャラが濃すぎる……。


 放置もできないので、龍郎は追ってみた。体力差のせいで、すぐに追いついた。相手は息を切らしているが、龍郎はこのままフルマラソンでもできる。


「今、盗撮してましたよね?」

「知らない!」

「いや、してましたよ。何、撮ってたんですか? 校長先生にバラしますよ?」


 すると、男はすぐに平伏した。権威に弱いタイプらしい。身分証には山根と書かれている。


「おれはただ……証拠を集めてただけだ」

「証拠?」

「そうだよ。神崎には気をつけろ」


 山根はすてゼリフを吐いて去っていった。どうやら、神崎先生の淫行をさぐっているようだ。


(まあ、あの先生には逆玉はムリだろうからな。ヤキモチ妬いてるのかな? とすると、教員どうしの足のひっぱりあいか)


 一見、平穏に見える女子校にも、いろいろあるのだ。

 龍郎は疲労を感じて、ホテルへと戻っていった。時刻は三時すぎだ。ちょっと休憩したい。


 ホテルにつながる渡り廊下まで来たとき、前を歩く二人の人物に気づいた。

 二人とも高そうなスーツを着た恰幅かっぷくのいい壮年の男だ。六十前後というところか。一人はひじょうに肥えており、もう一人はとても背が高い。ピンと耳がとがっている。うしろ姿だが日本人離れして見えた。


「では、よろしく頼むよ」

「はい。お任せくださいませ。話は順調に進んでおります」

「前々から男子校も作ってほしいという要望は高かったからな」

「さようですね。今のままでは女性しか……できないので」

「理事たちは懐柔できているんだろうね?」

「もちろんです」

 話しながら渡り廊下へと入っていった。


(なるほど。株主と学園の経営者ってところかな? 金持ちの女の子だけじゃなく、金持ちの男の子も通わせたいわけか。利潤は倍になるもんな)


 二人のあとを追うように渡り廊下を歩いていく。ホテル側の扉をあけ、ロビーに入ったときには、さっきの外人風の男は、エレベーターのなかへ消えていくところだった。


 まあ、男子校を増設する話題は行方不明には無関係だろう。


 龍郎もとなりのエレベーターに乗りこむ。最上階でおりたとき、薄暗い廊下の奥をよこぎっていく亡霊のような影を見た。ポニーテールをした少女の姿だ。聖マリアンヌの制服を着ていた。


(あれ……? 今の?)


 さっき神崎とキスしていた女の子だったような?

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