第9話 魔女のみる夢 その五



 深窓の令嬢たちはとても品よく、おとなしく、穏やかだ。規律正しいホームルーム。教師の声だけが響く授業。

 なんて慎ましく優雅な生き物だろうか。大和撫子が絶滅したなんて、やっぱりデマだったんだなと、龍郎は午前中いっぱい、教室のすみで授業を見学しながら感動をかみしめた。


(これぞ、少女。これぞ、お嬢さま。清純派!)


 しかし、その感動も昼休みまでだった。


 授業終了のチャイムが鳴り、やっと昼休みだ。午後からは見学せずに自由に動きまわろうと思いながら、龍郎は立ちあがった。欠席している生徒の椅子を借りて座っていたのだが、そのとたん、龍郎のまわりに、わッと人だかりができた。あまりにも一瞬でできた黒い壁に、龍郎は呆然とする。


「先生! 彼女はいますか?」


 えッ? 開口一番がソレ?——と、戸惑っていると、矢継ぎ早に、

「恋人ですよ! いるんですか? いないんですか?」

「いるでしょ。美人ですか?」

「美人だよね。本柳先生、イケメンだもん」

「だよねぇ。いいなぁ。彼女の写真、見せてぇ」と、さわぎだす。

 勝手に龍郎のポケットに手を入れてスマホをとりだそうとするので、これには周章狼狽しゅうしょうろうばいした。


「ちょ……待って、君たち。スマホはダメダメ。彼女いないし」

「えっ? いないんだ!」

「ヤッター!」

「じゃあ、好きなタイプは?」

「えーと、ほっとけない感じの人かな……」

「芸能人で言うと?」

「オリビア・ハッセーとか。ロミオとジュリエットのときの」

「誰それ? 知らない」

「先生、趣味悪い」

「悪くないよ! すごく可愛いんだよ。儚くてね。守ってあげたくなるよ」

「ああ……そういう系か」

「絶滅危惧種だねぇ」

「ねぇ」

「うちの学校で言うと、宮野内みやのうち先輩かなぁ?」

「ああ、だねぇ」

「じゃあさ。先生、好きな人はいるの?」

「えッ?」


 硬直した龍郎を見て、少女たちは瞬時に悟ったらしかった。


「なんだぁ。好きな人はいるんだぁ」

「ちぇー」

「残念!」

「ええっ、どんな人ぉ? どんな人ぉ?」

「教えてー。先生!」


 ちっとも慎ましくなかった。

 むしろ、かしましい。


「……先生。昼飯食いに行ってもいいかな?」

「あっ、学食、案内してあげるよー」

「いや、あの……」


 女の子たちの輪に囲まれて一階にある学食へ移動する。学食は生徒たちの寝起きする寮と学校のあいだにあった。校舎からも寮からも、すぐに行ける距離だ。校舎も壮麗だが、学食もホテルの内装のように美しい。


 食事はビュッフェスタイルで、生徒と教員は無料で食事ができる。と言っても、生徒の食費は学費にふくまれている。金持ちの子どもたちのおこぼれで教員の食費が浮いている、という現状のようだ。

 隣接するホテルの朝食と同じ水準の料理だった。ホテルのシェフが作っているか、あるいはシェフの監修で専門の料理人が作っているかだろう。昼間からA5ランクの和牛のステーキや、ウニやマグロの大トロを堪能した。


 そのまわりで、女の子たちはずっと、かしましい。

 一年生なので、みんなまだ十五か十六歳だ。お嬢さま育ちのせいか、年より幼い感じがする。


 クラスの中心になっているのは、はたはた工業の社長令嬢、畑中はたなか美玲みれいのようだ。小柄で丸っこくて、元気いっぱい。そばかすもあるし、ツインテールをしてるので小学生のようだ。


 美玲の親友が、すらっと背の高い豊橋とよはし明音あかね。化粧品のネット販売で急激に年商を伸ばしているビューティフルライフという化粧品会社の社長令嬢だ。もう少し育てば美人になるかもしれないが、今はまだガリガリである。


 美玲とちょっと張りあってるふうなのが、鈴木すずき花凛かりん

 花凛は名前のとおり、花のように可愛らしい美少女だ。華麗な花というよりは、清楚な白百合の風情で、アイドルにでもなれそうだ。母は誰でもが知っている大御所女優と聞いて納得した。


 ほかにもたくさんの生徒がいたが、みんな、どこそこの社長の娘とか、有名人の娘とか、議員の娘とか、そんな社会的地位も金もある家庭の子女だった。


(うーん。この子たちの誰かをひっかけたら逆玉の輿……いやいや、そんなことしないけど)


 しかし、悪い大人なら、そんなふうに考えるかもしれない。生徒の行方不明事件に、彼女たちの家庭環境は影響していないのだろうか?


 少女たちのさえずりのような会話を聞きながら、ひたすら高級食材に舌鼓を打っていると、学食に遅れて一人の生徒がやってきた。

 龍郎が目をひかれたのは、それが受け持ちの一年A組の生徒だったからだ。たしか、名前は、たちばな笑波えなみと言った。

 ルックスはまあ普通だが、日本でも屈指の一流財閥の筆頭株主の令嬢だという。


「あの子は仲間に入れてあげないの?」と、龍郎は少女たちのおしゃべりをさえぎって聞いてみた。


 すると、ふりかえって笑波の姿を確認した美玲が、ツインテールをぷるんぷるんと左右にふった。

「別にイジメて仲間外れにしてるわけじゃないよ? エナが自分から離れていったんだよね」

 すぐさま、数人がうなずく。

「エナ、一人のほうが落ちつくんだって」

「なんか、前と違うもんね。前はみんなと話したのに」

「なんか、エナと話してるとお母さんと話してるみたいな気がする」

「あんなに好きだったアニメも見なくなったし」

「つきあいづらい……かな」


 少女たちはイジメているつもりはないようだ。やってることはクラスでハブにしてるようなものだが、この年の微妙な人間関係には、むやみと口を出すまいと、龍郎は思った。しょせん、臨時雇いの偽物教師だ。


 しかし、そのとき、美玲が気になることを言った。

「やっぱり、消えてるときに、なんかあったのかも。エナ、あれから変わっちゃったし」

「えっ? 消えた?」

「うん。先生、知らない? うちの学校、今、ヤバイんだよ。生徒がたまに消えるんだ。エナも前に一回いなくなったんだよね」


 橘笑波はじっさいに行方不明になった生徒なのだ。これは、話してみたい。

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