第一部 終章
終章
「お世話になりました。おかげで元気になりました」
一夜明けて、翌日。
龍郎と青蘭はならんで、重松家の玄関前に立っていた。
魔王と闘い、島の崩壊から命がけで逃げてきて、疲れはてて一昼夜、眠り続けてしまった。
今日になって、どうにかこうにか動けそうだ。
「うん。礼を言うのは、こっちのほうだ。兄ちゃん。ありがとよ」
そう言う重松のとなりには、春海が立っている。今日は長ズボンをはいているので、どこから見ても人間の少年だ。
春海の生涯は、決して平坦なものではないだろう。学校ではイジメの対象にもなりかねないし、大人になれば結婚相手を見つけるのにも苦労する。
それでも、この子は強く生きていくだろうと断言することができる。
春海の目は、今日の海のように澄んでいる。
「じゃあ、お元気で。春海くんも元気でな」
「うん。バイバイ。お兄ちゃん。また遊びに来てね」
「そうだな。そのうちには」
龍郎と青蘭は二人に手をふって、港まで歩きだす。
香澄はまだしばらく、重松家に泊まるようだ。きっと、春海に亡くなった自分の息子の姿をかさねているのだろう。それは、いつか必ず、彼女が生きていくための活力になるに違いない。
「なあ、青蘭。聞いてもいいか?」
二人きりになって、龍郎は聞いてみた。
コートは海水まみれになってしまったので、重松に捨ててもらうことにして置いてきた。でも、今日は風も春のように穏やかだ。
風に吹かれる青蘭の白皙も、昼寝中の猫みたいに心地よさげ。
「なんですか?」
「いろいろあるんだけど」
海沿いに続く迷路のような細い道。
前を歩いていた青蘭が立ち止まる。木の柵に手をかけて、海から龍郎へ視線を流した。
「まあ、そうでしょうね」
「おまえが普通の人にはない不思議な力を持っていることはわかった。じゃないと、あんな化け物を溶かして吸いこむなんてできない」
「人をゲテモノ喰いみたいに言わないでくださいよ」
「だって、そうだろ? 悪魔は悪魔を喰うんだって、おまえが言ったんじゃないか」
あるいは、青蘭は解離性同一性障害で、悪魔は青蘭が作りだした別人格。
悪魔に憑依されていると青蘭が思いこむことによって、通常では考えられない魔法をひきおこしているのではないか、と考えないでもなかった。
でも、悪魔がほんとにいるのか、青蘭の別人格なのかはともかく、青蘭が奇跡の力を有しているのは、まぎれもない真実だ。
それはもう疑いようがない。
おそらくは、あの光を発する玉のせいで。
「ボクは幼いころ火事にあって、生死の境をさまよったんです。そのとき、悪魔と契約したんだ。アンドロマリウスって魔王とね。彼の恋人のために新しい体が欲しいから、その器としてボクを選んだと、彼は言った。ボクは契約をかわした。
あいつはボクを生かし、ボクが窮地に陥ると助ける。でも、その代償として、ボクは体の一部を彼にさしだす。もう、どこまでがボクで、どこからがヤツのものなのか、ボクにもわからない」
そう言って、青蘭が前髪をかきあげると、ひたいのケロイドが以前に見たときより、ハッキリひとまわり小さくなっていた。
「あえて目に見える場所を残しているんだ。鏡でこれを見るたびに、まだボクはボクなんだと安心できる」
「じゃあ、あの大火傷が治ったのは、悪魔の力……」
「悪魔はボクのなかに、ある石を埋めた。君も見たでしょう? 賢者の石。ボクのなかで光る。あれに途方もない魔力があるんだよ」
賢者の石。
それは、魔術にくわしくない龍郎でも聞いたことがある。
たしか、錬金術で使う魔法の石だ。
鉛を黄金に変えたり、人造人間に生命を与えたりする媒体として使われる。
「ユダヤのソロモン王が持ってたって聞いたことがあるな。その石の力で動物の言葉を理解したとか」
「ソロモンが石の力で操ったのは動物じゃない。悪魔だ。ソロモンはその力で七十二柱の魔王を統べた」
「それは初めて聞いたけど」
「賢者の石は、もともと天界のものなんだ。天界には三つの賢者の石があった。快楽の玉と、苦痛の玉、そしてその二つが一つになった生命の玉だ。ボクのなかには、そのうちの快楽の玉が埋めこまれている。快楽の玉は、苦痛の玉と呼応する」
呼応する二つの玉。
苦痛と快楽。
青蘭のなかの玉と、龍郎のなかの玉は呼びあう。
がくぜんとして見つめていると、青蘭は微笑んだ。
「ずっと探していた。あなたが持っていたんだね。ボクに共鳴する“苦痛の玉”を」
これは定めだ。
青蘭と出会ったことは、これから始まる宿命への序曲にすぎない。
歯車のまわる音が聞こえる……。
第一部 完
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