第二部 魔女のみる夢

第九話 魔女のみる夢

第9話 魔女のみる夢 その一



 ある日とつぜん、青蘭せいらが言った。

龍郎たつろうさん。教員免許は持っていますか?」


 二月。

 一年でもっとも寒い季節だ。

 今年は例年にくらべたら温暖な冬だが、それでも豪雪地帯では、かなりの積雪だった。


「えっ? なんで?」

「なんでも」


 龍郎は大学四回生。卒業式は三月だが、すでに卒業資格は満たし、今は自由のきく身だ。就職先が決まっていなければ、あわてふためいているところだが、それも青蘭に雇われたことで解決済みだ。


「まあ、持ってるけど」

「よかった。じゃあ、行こうか」

「えっ? どこへ?」

「聖マリアンヌ学園」

「ミッション系っぽい名前だなぁ。深窓の令嬢とかが通ってそうな女子校」

「まさに、そのとおりです。じゃあ、行きましょう!」

「な、なんで? ちょっと待って。準備するから!」


 青蘭と出会って三ヶ月あまり。

 その奇抜な言動や自分本位な性格にも、だいぶ慣らされた。人間、習慣というものは恐ろしい。わけも知らされず追いたてられても、体は勝手に動いて旅の支度を始めていた。


 青蘭の職業はオカルト関連専門の探偵。龍郎はその助手だ。


 前回、忌魔島から戻ったあと、月末に振りこまれたサラリーは、龍郎をおどろかせるに充分だった。

 青蘭が指二本を出して「これで」なんて言うから、てっきり二十万だと思ってたのに、じっさいに振りこまれた金額にはゼロが一つ多かったのだ。


 龍郎はアパートに帰ると、開口一番に叫んだ。

「青蘭、なんだ、これは!」

 残高照会した通帳をひらいて見せると、青蘭は申しわけなさそうに頭をさげた。

「ごめんなさい。そうですよね」

「おれをからかってるわけじゃないよな?」

「だから、ごめんなさい。やっぱり少なすぎましたよね」

「そう、少なすぎ——って! 逆だよ。こんなに受けとれないんだけど!」

 訴えると、青蘭の目は、とたんに変人を見るときのそれに変わった。


「なんでですか?」

「多すぎて怖い」

「でも、あなたはそれだけのことしてくれたでしょ?」

「まあ、そうかもしれないけど……」

「じゃあ、今回は特別手当として、もう三本つけようかと思ったけど、やめときます?」

「えっ? えーと……どうしよう」


 むざむざと貰えるはずの三百万を棒にふるのも、なんだか惜しい。いや、違う。おれは青蘭を助けたいから助けただけなんだ。決して金のためじゃない!


 そこまで思考をしぼりこむのに数分かかった。


「いらない。おれは自分の意思で助けただけなんだからな」

「ふうん? お金に興味ない人って、信用できないんですけど」

「おまえ……屈折してる」


 青蘭がどんな生きかたをしてきたのかが、まったくもって心配になる。

 幼いころに火事で両親や家族を亡くして天涯孤独になっている。当然のことながら苦労はしているだろう。


 ましてや、青蘭はその火事のときに大火傷を負い、生死の境をさまよった。そのときの恐怖とトラウマのせいで、解離性同一性障害を患っている……ことになっている。世間的には。


 それでなくても、この恐ろしいまでの美貌だけでも、招かなくてもいい災厄を招きかねない。


 きっと、龍郎が同情的な目をしていたに違いない。

 青蘭はちょっと不遜ふそんな仕草で、小さなあごをそびやかす。


「そう。なら、けっこう。言っとくけど、ボクに遠慮ならいらなかったんだけどな。ボクの母方の祖父はホテル王で、世界中で高級ホテルを経営してたんだ。ほかにもいろいろ手を出してたみたいだけどね。詳しくは知らない。弁護士に任せてたから。

 祖父が亡くなって、全部、ボクのものになった。祖父の一人娘であるボクの母が、すでに死んでいたからね。ボクが十八になったとき、それらの経営権をすべて売り払った。

 だから、総資産額は数兆円。どれだけ遊び暮らしても、ちょっと使いきれないかなって。祖父には、まだ隠し財産もたくさんあるみたいだし」


 素直に貰っておけばよかった……。

 どうりで龍郎のことを愚民呼ばわりするはずだ。


「素直に貰っとけばよかった。どうりで、おれのこと愚民とか言うんだ——って思ったろ?」


 なんでわかるんだろうか?

 それも悪魔の力か?


「違いますよ。あなたの考えてることくらい顔を見たらわかります」

「…………」


 というような会話が、数ヶ月前にあった。


 そして今、二人は荷物をトランクに詰めて、軽自動車に同乗している。中古の日本製の軽は、数兆円の資産を持つ青蘭にふさわしいとは言えないが、だからと言って、ロールスロイスの運転など、龍郎のほうが緊張してできない。


「それで、どこまで行くんだ?」

「とりあえず、Y県まで」

「えっ? そんな遠く?」

「そこの山奥にあるんですよね。聖マリアンヌ学園」

「なんで、そんなとこに行くんだ? 女子校だろ? おれ、なかへ入れないよ」

「だから、あなたに教員になってもらうんじゃないですか」

「えッ?」


 そのための教員免許か。

 やっと合点がいく。

 もちろん、学校に車で乗りつけたからって、教員になれるとは思わないが、絶対君主の青蘭の命令には逆らえない。


「なんで? その学校に悪魔でもいるの?」

 龍郎がたずねると、青蘭は窓の外を見ながら、小首をかしげる。

「行ってみないとわからないけど、いるかもしれないね」

「匂いでわかるんだろ?」

「あるていど近くないと気配は感じとれない。たとえば、M市内全域くらいならわかるよ」

「なるほど。じゃあ、なんで女子校なんかに?」


 ちらりと助手席の青蘭をながめる。

 どうでもいいことだが、以前は後部座席だったから、距離感はちぢまった。


 青蘭は景色をながめながら、じつは景色以外の何かを見ているかのようだ。自分の心象風景を見ているのかもしれない。


「祖父の話をしたでしょ?」

「莫大な遺産を遺してくれたおじいさんだろ?」

「祖父の経営していたホテルの一つを買いとった学園があるんですよ。学園じたいは全寮制で、生徒たちの宿舎は別にあるんだけど、保護者が面会日に泊まることができる専用のホテルにしたんです」

「金持ちだなぁ」

「まあ、裕福な家庭の子女しか入れない学校ではあるんだけど、最近、そこで不穏な噂があるらしいんですよね。その状況がどうも異常なので、悪魔が関連しているのかどうか調べに行くんです」


 不穏な噂と聞いただけで、またなのかと龍郎は思った。

 いよいよ、新しい事件の幕開けらしい。


 龍郎はたずねた。

「それで、どんなことが起こってるんだ?」

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