第8話 忌魔島奇譚 その十一



 見おぼえのある景色をたどりながら、さっきの場所まで帰ると、心配していたとおり、青蘭はいなくなっていた。

 やはり、覇気につれされたのだろう。


 龍郎は困りはてた。

 いったい、今度はどこへ助けに行けばいいのだろう?

 さらわれ癖のある恋人だなんて、これからさき、やっていけるのだろうかと一抹の不安をおぼえる。


(そうか。祭りか。祭りのときに生贄を彼らの神に捧げるんだな。ということは、牢屋に囚われていたほかの生贄も祭壇につれていくはずだ)


 祭壇があるかどうかはわからないが、それに該当する場所は必ず存在するだろう。

 もう一度、牢を見張っていれば、青蘭のつれられていった場所もわかる。

 しかし、心配なのは日が傾いてきたことだ。夜になれば、龍郎は視界がきかなくなるし、人魚は夜行性だ。龍郎にとって、ますます不利になる。なんとか日没前に青蘭を救いだせればいいのだが。


 森のなかは急速に暗くなりつつある。

 山あいの落日が平地より早いように、うっそうとした森も日のかげるのが早い。暗闇が訪れる前に牢屋まで辿りつかないと迷子になってしまう。スマホを使えば電灯がわりにはなるが、重松との最後の連絡手段だ。スマホの電池は確実に確保しておきたかった。


(こんなことなら懐中電灯を入れとくんだったな。車のなかにはあるんだが)


 さほどの距離ではないのだが、暗くなってくると、森のなかはほんとに昼間と同じところかと思うほどに場所の特定が難しくなった。


 まもなく、完全に日が暮れた。

 すると、遠くのほうが、ぼうっと明るくなった。

 森のなかに、ぽかっとあいた、あの空間だ。牢屋だろうか?

 龍郎はそっちに向かって歩いていく。


 樹間に灯りが見えた。

 だが、まだあの明るく光る森のなかの空隙ではない。ひときわ黒く四角く夜空の藍色に浮きあがっているのは牢屋のようだ。ということは、あの明るい場所が祭壇か。


 龍郎の見た灯りは牢屋から出てくる人影が手にしたロウソクの火のようだ。

 ロウソクを持っているのは数人で、何も持たない少し小柄なその他大勢が、牢屋に捕まっていた生贄の女たちだろう。祭壇のある場所へつれていくのだ。


(人魚も灯りがないと見えないのかな? というより、贄の女が歩けないからかもな)


 暗闇のなかでは、わずかでも明かりは目立つ。これで追っていくのに苦労しなくてすむ。

 ぞろぞろと続く黒い人影を、木のかげに隠れながら追っていった。


 それにしても、森のなかが静かだ。

 昼間は聞こえた鳥の声も今はまったく聞こえない。まるで森じゅうが死に絶えたかのようだ。

 ふつう祭りと言えば、にぎやかなものだが、この島の祭りはあたりまえの祭礼とは違うのかもしれない。


 生贄を捧げる儀式——

 なんだか血なまぐさいものを感じる。


 つけていくと、目の前がしだいに明るんできた。ひらけた空間がある。

 そこは湖だった。

 森のなかにとつじょ宝石のように輝く青い湖が現れた。そうとうに大きい。だから森の木がとぎれて見えたのだ。


 湖が輝いて見えるのは、その周辺にたくさんのかがり火が焚かれているからだろうか?

 まるで湖じたいが光を発しているようだ。


 湖の前に草原があり、そこにかがり火が丸く円を描いている。

 円の中央には石の寝棺のようなものがあった。人間が一人よこになれる。あれが祭壇だろう。祭壇のまわりに生贄が集められている。


(いた! 青蘭だ)


 泣きわめく女たちにまじって、青蘭が立っていた。うしろ手に縛られている。しかし、体の自由を奪う拘束は、手首を縛るロープだけのようだ。

 Tシャツに短パンにトレンチコートという、とりとめない服装だが、超然とした立ち姿は古代の神殿の女神の像のように神々しい。


(青蘭。今、助けに行くぞ)


 何か策があるわけではなかった。

 武器もないし、人魚が一人でもいれば、簡単に救出はできない。

 しかし、それでも青蘭を守ると、龍郎は心に決めていた。

 ただ、できることなら、生贄だけを残して、人魚たちはこの場からいなくなってくれればいいのだが。


 季節外れの虫の声が、切れ切れに聴こえてくる。

 静かだと思えば、祭りらしいお囃子はやしのようなものが、いっさいないのだ。人魚の数も圧倒的に少ない。この祭りはほんとうに生贄を捧げるだけのものなのかもしれない。儀礼的なことは何も行われているようすがなかった。


 やがて、人魚の男たちは生贄を祭壇のよこに立てた木の杭につないだ。

 生贄は全部で十五、六人ばかり。

 そのすべてを手首を結ぶロープで杭に固定すると、静かに立ち去っていく。


 なんていう幸運だろうか。

 これなら、龍郎にでも生贄を逃がせる。青蘭だけでなく、とりあえず女たちの拘束をといて、どこかに身を隠しておくように伝えることはできる。重松の漁船では全員いっぺんに島の外へつれだすことはできない。何往復かすることになるが、ここに残しておくよりはマシだろう。夜のうちなら、人魚たちにも気づかれないかもしれない。

 そう考えて、龍郎は安心して祭壇へ近づいていった。


「青蘭」

 声をかけると、青蘭がふりかえる。

 龍郎を見て甘く微笑んだ。


 だが、そのときだ。

 青蘭の表情が変わる。


 そして、背後から声がした。

「来ると思ってたよ。まったく、繭子のやつ、自分に殺させてくれっていうから任せたのに」


 その声——覇気だ。

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