第8話 忌魔島奇譚 その九



「香澄さん!」


 あわてて龍郎は戸口のところまでかけもどる。が、無情に鉄格子の戸には鍵がかけられていた。

 香澄は申しわけなさそうな顔でつぶやいた。


「ごめんなさい……」

「なんで、こんなことするんだ?」

「こうしないと、みなとが殺されてしまうから」

 じりじりとあとずさりしながら香澄は告げる。


 そうだった。彼女は人魚の傀儡かいらいなのだ。人質の命を盾にとられれば、どんなことだってやってのける。香澄が悪いわけじゃない。悪いのは彼女を脅迫して卑怯な手を使わせる人魚だ。


 出入口のほうから黒い人影が入ってきた。かなり背が高い。龍郎だって一メートル百八十はあるが、それよりもさらに大きいだろう。二メートル近い。

 男は牢の前まで近づいてくると、香澄の手から鍵をむしりとり、乱暴につきとばした。

「おまえは外に出てろ」と、そっけなく命じる。


覇気はきさま。湊は——湊は無事なんですよね? どこにいるんですか? この人たちを捕まえたら、湊を返してくれるっておっしゃったじゃありませんか」

「ガキなら、ここだ」


 覇気という人魚は、そう言って、床に何かをほうりだした。龍郎と香澄のまんなかあたりに、ボトンと肉のかたまりが落ちる。


 つかのま、それがなんなのか理解に苦しみ、龍郎は肉塊を見つめた。鳩の胸肉みたいなブロック上の肉。なんで、こんなものが、ここに出現してきたのか? 話していたのは子どものことだったはず……。


 すると、覇気は冷酷な笑みを浮かべる。

「香澄。おまえ、おれたちを裏切ろうとしたな? だから、本来なら何も返してやらないところだ。だが、まあ、この男を捕まえることに協力した。だから、コレだけ返してやるよ」


 ガクガクふるえながら、香澄は肉のかたまりを凝視する。そこにわずかでも何かの面影が残っていないかを探すかのように。


「覇気……さま。まさか……まさか、これが……この肉が…………」


 覇気が哄笑こうしょうする。

「ああ。おまえの息子だよ。会いたかったんだろ? よかったな!」


 ヒイーッと、壊れた笛のような音が香澄の口からもれる。肉塊にかけよる香澄から、龍郎は目をそらした。


 残酷すぎる。

 わが子を思う母親に、この仕打ちはないだろ?

 おまえたちを……許さない。

 そう、硬く心に念じる。


 すると人魚の男は龍郎のその思考を読んだかのように、鉄格子の前に立った。


「おまえは、おれの弟を殺した。いいか? 死んだほうがマシだっておまえが乞い願うまで苦しめてやるからな」

「おまえの弟なんて知らない」

 覇気は鬼のような目で龍郎をにらみ、最奥の牢を指さす。

「殺しただろうが? おれたちの仲間を」

「ああ……あの人魚たち。でも、あれはおまえの仲間が、おれの大切な人を傷つけたからだ」


 覇気はいきなり鉄格子をこぶしで叩いた。ガン、と硬質な音が響く。しかし、鉄格子はビクともしない。


「きさまは絶対に殺す! 祭りが終わるのをそこで待ってろ!」


 言いすてて、覇気は香澄の手をとり、ひきずりながら立ち去っていった。

 どうやら、すぐには龍郎を殺さないらしい。彼らは祭りとやらで忙しいのかもしれない。


 困ったことになった。

 せっかく青蘭を助けだしたのに、今度は自分が捕まってしまった。まさか、今このときに青蘭にも危険が迫っていないだろうか? 香澄は青蘭の現在地を知っている。青蘭も人魚に……さっきの覇気という男に捕まると、どんな残虐な仕打ちを受けるかわからない。


 しかし、牢の出入口は一つだ。

 鉄格子の扉だけ。

 ここには鍵がかかり閉ざされている。あの怪力の人魚の力でも、折れも曲がりもしなかった格子だ。とても人間業では開けることができない。

 せめて青蘭に危険が迫っていることを知らせたいが、スマホは圏外だし、どうにもしようがない。

 途方にくれていると、背後から声がした。


「覇気が怒るのはしかたないわ。覇気と士気は同じ母親から生まれた双子だもの。わたしたちには双子や三つ子以外の兄弟はいないから、兄弟は特別なのよ」


 龍郎はあわててふりかえり、声のしたほうを見る。

 床によこたわっていた布をかぶったヒトガタのかたまりが、モゾモゾと動いている。てっきり、龍郎を牢のなかへおびきよせるための人形か何かだと思っていたのに。


 しかも、その声は今この場で聞くことが、決して歓迎できるものではない。

 なぜなら、それは知った人の声だから。


「義姉さん……」


 繭子だ。


「なんで、ここに……」

「あなたを待ってたのよ。きっと、ここに来ると思ったから」


 つまり、香澄を利用した覇気の作戦に、繭子も一枚かんでいたということだ。

 龍郎を今度こそ捕まえるためか?

 それとも、先日のことで恨んでいるのか?


「やっぱり、故郷に帰ってたんだな」

「怪我をしていたからよ。あなた、ヒドイ人ね。わたしに、こんなことをして」


 繭子は立ちあがり、近づいてくる。

 頭からかぶる布のせいで、姿がよく見えない。

 だが、全身が真っ黒に見えるほどの陽炎が繭子の全身を包んでいた。禍々しい負のオーラだ。

 一歩、また一歩と近づいてくる。

 やがて、繭子は龍郎の目の前に迫ると、おおっていた布をとりはらった。


「見て。これが、あなたのしたことよ」


 切れ長の涼しげな双眸の美しかった繭子の面差し。

 そのおもてを見て、龍郎は愕然がくぜんとした。

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