第8話 忌魔島奇譚 その八



 龍郎の腕のなかに、すっぽりおさまって、青蘭は泣き続ける。

 こんな傷ついた彼女の姿を見るのはツライ。


(これからは、おれが守るよ。自分の命より、おまえのことを一番に思う)


 龍郎の決心は硬かった。


 それにしても、と青蘭の涙がおさまるまでのあいだに、龍郎は考えた。

 あのときの玉はなんだったのだろうかと。

 龍郎の手のなかに吸いこまれたのと同じような玉が、青蘭の体内にもある。

 あの青い光が発するたびに、とてつもない力の波動を感じた。

 あふれるような生命力の泉を。

 青蘭が子どものころに負った大火傷が治ったのも、あの力のせいではないかと思う。

 あれには不思議な力が宿っている。


(おれのなかの玉。青蘭のなかの玉。まったく同じものかどうかはわからないけど、惹かれるのはそのせいかもしれない)


 きっと、龍郎一人では生涯、何も起きなかった。青蘭の玉と呼びあったからだ。だから、龍郎にも大勢の人魚を一瞬で死滅させるような力がついたのだ。


 考えこんでいると、ようやく青蘭が泣きやんできた。

 いつまでも、こうしていたいが、脱走したことが人魚たちに知れ渡らないうちに島から逃げださなければならない。

 龍郎は抱きしめる腕をひらき、青蘭を離す。


「もう一人、牢のなかからつれださないといけない人がいるんだ。あのなかに人質にされてる男の子がいるはずなんだよ。ここで待っててくれないか?」


 ところが、青蘭が龍郎の服のすそをつかんで離さない。涙にぬれた目で龍郎を見つめてくる。瞳のなかに甘えるような潤みがあった。たよりきった子どもの仕草だ。

 カアッと頰がほてるのを龍郎は感じた。可愛い。これは破壊的な可愛さだ。


「青蘭……」

「龍郎さんのバカ」

「えーと……」

「ボクに裸でいろって言うの?」

「えっ? そこ?」

「なんだと思ったの?」

「いや……いいけど」

「ボクが君に甘えてるとでも思ったんですか?」

「えーと……」


 なんていうことだ。

 たったあれだけの時間で立ちなおっている。すっかり、いつもの高飛車な青蘭だ。


(あれだけのことがあったのに! 化け物にあんなことや、こんなことをされたのに! おれなら死んで侘びてるぞ)


 誰にだ? 誰に侘び?——と、自分で自分にツッコミを入れていると、クスッと青蘭が笑った。

 それは、龍郎が初めて見る青蘭の笑顔だった。

 龍郎をからかうときの小馬鹿にしたような笑みではない。他人を見くだすときの冷笑でも、うわべだけのとりすました笑みでもなかった。

 心から嬉しそうな、少し、はにかんだような……。


 違う。同じじゃない。

 いつもの青蘭じゃない。

 二人のあいだに流れる空気。

 そこには昨日まではなかった、たしかなつながりがある。わずかの違いかもしれないが、昨日と今日の境には天地ほどの差があった。

 目には見えないけれど、二人をつなぐ透明な糸のようなものを感じた。


「……待ってくれよ。着替えを入れてあったはずだから」


 龍郎はリュックのなかからTシャツと短パンをとりだした。荷物の大半は車に置きっぱなしだが、かろうじて寝巻きがわりの着替えを持っていた。

 重松に貰ったオニギリと水筒もとりだして、青蘭に渡す。

 青蘭はさほど空腹ではないようだった。水筒の麦茶はコップに出して飲んだが、握り飯はそのまま龍郎に返してくる。


「食っとかないと、もたないぞ。ここから逃げだすのにも体力が必要だろ?」

「心配ないよ。今は、エネルギーは充分たりている」


 それも、あの青白く発光した玉の力のせいかもしれない。あの光はとてつもない力を発していた。


 しょうがなく、俵形の大きな握り飯は、龍郎が美味しくいただいた。

 青蘭が服を着終わったので、Tシャツの上から龍郎のコートをかけてやる。


「じゃあ、行ってくる」

「待って。誰か来る」


 言われて耳をすますと、枯葉をふむ音が近づいてきた。

 あわてて身を隠そうとするより早く、樹間に香澄の姿を認める。


「あの人は大丈夫。協力者だ」

「ふうん」


 急に青蘭が龍郎の腕をつかんできたのは、妬いてくれたのだろうか?

 ちょっと嬉しい。


「よく牢屋に入れたわね」と、目の前まで歩みよって、香澄は声をかけてきた。


「鍵がかかってなかった」

「見張りがいなかった?」

「今なら見張りはいない。息子さんを助けだすなら急いだほうがいいですよ」

「そうね。全員で行くと目立ってしまう」

「青蘭、ここで待っててくれ。すぐに戻ってくるから」


 青蘭は迷うようだった。が、こくんとうなずく。

 龍郎は香澄と二人で牢屋にあともどりした。牢の前には、まだ人魚の姿はない。


「入口の鍵はかかってないんだが、問題はなかの鍵だな。個別に鍵がかけられてないといいんだが」

「とにかく行ってみましょう。なんで、こんなに手薄なのかわからないけど」


 それは、人魚たちが青蘭に夢中になっていたからだ。しかし、青蘭の名誉のために、それは言わないでおく。


「まあ、行ってみよう」


 扉はあいかわらず開いていた。龍郎たちが出ていったときのままのようだ。まだ青蘭が逃げだしたことを知られていないらしい。


 薄闇のなかへと慎重に忍びこむ。

 二度めなので、勝手はよくわかっていた。三つめの牢までは素通りする。なかの女たちに変化はない。

 一番奥の牢のなかには、きっとまだ人魚の死体が山積みになっているのだろう。

 しかし、そこまで行くことはなく、四つめの牢の前に来たときだ。香澄が牢を指さした。

「格子戸があいてる」


 そのとおりだった。

 格子戸が五センチほど開いている。よく見れば、奥のほうに人がうずくまっている。眠っているのか、頭から布をかぶり丸くなっている。


「香澄さん。ここで待っててください。外から誰も近づいてこないか見張っていて」

「ええ。わかった」


 龍郎は腰をかがめて格子戸をくぐった。人影にむかって歩いていく。

 捕まった女だろうか? それとも、香澄の息子か?


「君、大丈夫か? ここから出よう」

 龍郎が声をかけたときだ。

 背後でガチャリと錠のおりる音がした。


「えッ——?」


 ふりかえると、香澄が鍵を手に立っていた。

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