第8話 忌魔島奇譚 その五
森の中心——
ぽっかりと穴があいていた、あの場所か。
牢があるから、あんなふうに穴があいていたのだろうか?
ずいぶん大きな牢だ。それとも、牢以外にも、そこに何かがあるのか……。
龍郎はその方角をあおぎみるが、ここからでは何も見えない。うっそうとした木々が視界をさえぎっていた。
「あっちだな? 行こう」
龍郎が歩きだすと、香澄もついてくる。
なんだか原生林のような森だ。ような、ではなく、案外そうなのかもしれない。多様な種類の木々がかさなりあい、南国のような風景を形作っている。
龍郎は歩きながら、気になっていたことをたずねてみた。
「ところで、人魚たちがオオカミとか言ってたけど、ここにはオオカミが生息してるのかな? 君はコガミとか言ってた気もするな」
香澄の返事はなかった。ふりかえると、香澄の顔が青ざめて、ひきつっている。
「どうかしたの?」
「その名前をここでは出さないほうがいい」
「えっ?」
香澄は近くに落ちていた小枝をひろい、土の上に字を書いた。
大神——と。
「漢字で書くと、こうなるのよ」
オオカミというから、てっきり狼のことだと思っていた。こんな手つかずの森のなかになら、日本狼だって絶滅せずに生き残っているかもしれないと考えたが、しかし、まったくの別物だったらしい。
大神。大きな神。
ということは、コガミというのは、たぶん、小神、または子神と書くのだろう。
「そうか。青蘭が言っていた魔王クラスの悪魔って、それか」
やはり返事はないが、まちがいないだろう。
それは名前を呼ぶだけで住人に畏怖をもたらすもの。恐怖の権化ということだ。
そんなやつを相手に戦ったって、ただの人間の自分が対抗できるわけがない。青蘭を見つけたら、すぐに逃げだすしかないと、龍郎は思案した。
しだいに香澄は過敏になっていく。
足音さえたてないように注意をはらっているので、龍郎も話しかけるのをやめた。
無言のまま森のなかを歩いていくと、急に人の声が聞こえた。
あわてて木の幹に隠れて、周囲をうかがう。
男が二人、こっちに向かってくる。
小走りで急ぎながら、こそこそと小声で話をしている。
「……ほんとに? 士気たちが?」
「すげえ上物ひきあてたって。それで、今、みんなにはナイショで……してるって」
「えッ? でも、そんなことしていいのか? ニエは大神さまに……」
「いや、そうなんだけど、なんかスゴイんだってさ」
「なんだよ、それ。そんなことバレたら殺されるぞ。バチあたりだろう」
「いや、だから、とにかくスゴイんだってよ。みんなに知られる前に早く、おれたちも——」
すぐ近くの木のうしろに隠れる龍郎には気づかず、走っていった。
なんだろうか。気になる会話だった。
(牢の方角へ行った。牢ってことは、青蘭が……)
胸の底でザワザワとさざ波が立った。
もしかしたら、自分は遅すぎたのかもしれない。
龍郎は急いで、男たちのあとを追ってかけだした。
「待って。見つかったら大変よ。殺されるわ」
「じゃあ、あんたは、ここにいてくれ。おれだけで行く」
「慎重にって言ってるのよ」
ひきとめる香澄の手をふりはらい、さっきの男たちのあとを追う。
しばらくして、前方に建物が見えた。
たぶん、一人でここを見つけようとしていたら、それだけで何日もかかっていた。なんの目印もない森のまんなかに、ぽつんと建っている。
人魚たちの住居はどれもこれも粗末な木組みの家だった。竪穴式住居と大差ないていどだが、その建物はレンガ造りだ。大きさもわりとある。
ここに生贄を集めておくのだとすれば、五十人やそこらは閉じこめておけるだろう。
人魚たちにとっては大事な生贄だ。
見張りがついているだろうと思ったのに、外には誰もいない。
いちおう念入りにまわりを観察するものの、離れて見張っているわけでもなさそうだ。
思いきって近づいていくと、入口は分厚い木の扉がついている。いくらなんでも鍵がかかっているだろうと思ったが、ドアノブはまわった。
簡単すぎて、なにやら心配になってくる。罠ではないのか。
(それはないか。おれと青蘭が二人組みだってことは、香澄さんから連絡があって、ヤツらは知ってたはずだ。もしも、おれも捕まえるつもりなら、昨日まとめてつれていってる。わざわざ罠を張る必要がない)
繭子のことを考えても、彼らは腕力や体の頑健さでは、はるかに人間を凌駕している。人間を恐れる理由が彼らにはない。
龍郎が青蘭を助けに来るかもしれないと考えたとしても、それが自分たちの立場をおびやかすとは、これっぽっちも思っていないだろう。
(じゃあ、いったい、なんでだ?)
鍵をかけ忘れるほど、彼らがあわてたのか、それとも、鍵のことなんてどうでもよくなるほどに、何かに夢中になっているか……?
何かに……何に?
音を立てないように、ゆっくりとドアをひらく。
なかは暗い。
とうぜんのことながら、島には電気が通っていないだろう。だから、電灯はない。照明があるとしても、江戸時代さながらの
どうやら、ドアの向こうは長い廊下だ。廊下は外壁にそって続いている。壁に換気用の小さな四角い穴が等間隔に切ってある。そこからななめに差しこむ陽光が、かすかな光を牢のなかに投げかけていた。
廊下の長さは三十メートルほどか。
どこか遠くから声が聞こえる。
叫び声のようなものと、うめき声……。
それも一人や二人の声ではない。かなり大勢だ。ざわめきが風の音のようにレンガの壁に反響する。
外から鍵をかけられると困るので、ドアのすきまに木の枝をはさんでおいた。光が入りこむから逃げるときの目印にもなる。
龍郎は声のするほうへと歩きだした。
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