第8話 忌魔島奇譚 その四



 龍郎は四苦八苦しながら間隙をぬけだし、やみくもに走った。

 人魚たちが追ってくる。

 すでに漁に出てしまった人魚も多いだろうが、まだ島内には多数の人魚が残っていた。

 うしろからだけでなく、前からも横からも、声を聞きつけて次々と人魚がやってくる。


 人魚たちは人間と同じで男女の比率は半々のようだ。おおむねは現代の洋服を着ている。たまに着物を着ているが、それは紋付はかまのような格式ばった和服ではなく、色あせて汚れた普段着としての着物だ。

 そういうのが、あっちこっちから顔を出して、人魚の町に迷いこんだ人間はどこかと、あたりを見まわしている。


「こっちだ! こっちにいる!」

水楼みずろう、おまえ、そっちまわれ!」

「人間は絶対、逃がすなよ!」

「でも、男だな。こんなヤツ、ニエにいたっけ?」

「昨日、士気たちが捕まえたんじゃないか?」

「女たちのオモチャだな」

「いいから捕まえろ。飽きたら食い物にできるだろ」


 前後から挟みうちにされて、龍郎は退路を断たれる。

 しかたなく、家のなかにとびこんだ。ありがたいことに、そこはすでに無人だった。住人の人魚は出かけているらしい。

 土間にわらや干し草が敷かれている。米を作っていないのだから、藁ではなくかやなのかもしれない。あとは水がめや木の箱のようなものが少量あるだけだ。衣服は壁にかけてある。土間の中央に囲炉裏いろりがあった。人魚も暖をとるらしい。


 ありがたいことに裏口があった。裏口の引戸をあけて、そこからとびだす。が、通りに出るかと思えば、また家のなかだ。どうやら家と家が戸口でつながっているようだ。

 立て続けに数軒の家のなかを通路がわりに走りぬける。最後の家にはかごのなかに赤ん坊がいた。顔は可愛いが、下半身が人間のそれではなかった。つぶらな瞳で龍郎を見あげ、ニコニコ笑いながら、触手をニュルニュル動かしている。

 龍郎は吐き気を抑えて、戸口からとびだす。やっと通りに出た。


「どこに行った?」

「あっちのほうだ」

「まだ近くにいるぞ」

 背後の家のなかから、そんな声が聞こえてくる。


 がむしゃらに走りまわっていると、ふいに腕をつかまれた。

「こっちよ」

 ふりかえると、女が立っていた。

「あッ。あんたは——」


 見おぼえのない女ではない。

 それは昨日、山の上の喫茶店にいた女店主だ。

 龍郎は初めて合点がいった。

 この女もグルだったのだ。龍郎や青蘭が人魚を探して近くの港をかぎまわっていると、この女が連絡したに違いない。だから、青蘭はさらわれたのだ。


「あんたが知らせたんだろ? おれたちが今から、あの村に行くって。だから——」

「そうよ。だから? それがわたしの役目。食肉として食べられないかわりに、わたしは連絡係として生かされているの」

「えっ? あんたは人魚じゃないのか?」

「わたしは人間。何年か前にさらわれて……」


 なるほど。そういうことか。

 あんなところに喫茶店なんて建てて、採算がとれるのかとあやぶんだが、もともと利益なんて求めていないのだ。あそこは人魚たちが人間の世界に建てた監視用の砦だ。


「なんで逃げないんだ? あんた、人間なんだろ? あそこからなら、どうにかして逃げられるだろうに」

「人質をとられてるのよ」

「ああ、そうか……」


 この女のせいで青蘭がさらわれてしまった。だが、この女も被害者なのだ。

 そう思うと責めることもできない。


「人質って?」

「それより、まずは逃げないと」


 女にうながされて、家の間のすきまを通っていった。女は住人しか知らない抜け道をよく知っていた。言われるがままに走っていると、やがて森の外れについた。樹木のなかへ入り、茂みに身をひそめると、やっと一息つける。


「ここなら、すぐには見つからないと思う。人魚たちは、ふだん、ここには近寄らないから」

「そうなんだ? 助けてくれて、ありがとう。あんた、名前は?」

香澄かすみよ。稲村香澄」

「おれは本柳龍郎。つれをとりもどしに来たんだ」


 香澄はため息をついた。

「わたしは、あなたまでまきこむつもりはなかったのよ。なのに、来てしまったのね」

「あたりまえだろ。大切な人をほっとけるわけない」

 ちょっと憤然とすると、香澄は苦い笑みを浮かべる。

「あの人、あなたの恋人なの?」


 龍郎は返事に窮した。

 今なら、友人くらいには言ってもいいと思う。だが、恋人かと言われれば、それは違う。惹かれているのはたしかだが、まだそこまで、おたがいのことを知っているわけじゃない。青蘭のそっけないそぶりが障壁になっているのも事実だ。友人を大事に思ったっていいじゃないかと、最後の抵抗をする。


「ただの……友達だよ」

「あら、そう。かわいそう」


 なんで、友達と恋人じゃないからって“かわいそう”なんだ。男女だからって、みんながみんな、恋人じゃないだろ?


 龍郎は納得いかない思いで、リュックのなかから、重松に渡された袋をとりだす。握り飯を一つほおばって、水筒のお茶を飲んだ。エネルギーを補給すると、生き返ったような心地になる。


「いる?」

 いちおう礼儀上、香澄にも聞いてみる。が、

「いらない。わたしは外に行けるから、いつでも食べられるもの」という答えが返ってきた。

「じゃあ、残りは青蘭に会ったときに食わせてやるよ」


 袋をもとどおりリュックに入れて背負いなおす。だまって、そのようすをながめている香澄に、龍郎はたずねてみた。


「あんたはなんで、おれを助けたんだ? 自分の責任だと感じたから、罪ほろぼしかな?」


 香澄はいったん、うなだれた。

 顔をあげたときには、決心をかためたような表情になっていた。


「あなたにお願いがあるの。わたしの子どもを、ここからつれだしてほしいの」

「あんたの子ども?」

「そうよ。わたしたちは家族でこの近くの浜辺で海水浴をしているときに、さらわれたの。島にはけっこう、たくさんの人間がいる。でも、それはみんな女よ。男は女のコガミが妊娠するための道具にされて、飽きられたら殺されて食用にされる。わたしの夫も殺された。でも、息子はまだ子どもだから、子どもを作れるようになるまでは生かされるわ。あと五、六年ね。そのあとは夫と同じように殺されて、食われるのよ。そんなこと……させたくないじゃない?」


 龍郎は胸が痛くなった。

 それはヒドイ話だ。

 自分も捕まれば、同様になるのだろうが、今は殺された香澄の夫のことや、彼女の家族のことを思うと、涙がこぼれた。


「なぜ、泣くの?」

「ごめん。いや、わかった。必ず、助けるよ。子どもを人質にされてるんだな? おれたちが逃げだすときに、必ずその子もつれていく」

「……ありがとう」


 感動しているのか、香澄はうつむいて顔をおおった。


「その子はどこにいるんだ?」

「わたしが逃げださないように牢に入れられているの」

「じゃあ、青蘭が捕まってる場所か。教えてくれ。牢って、どこにあるんだ?」


 香澄は森の中心を指さした。

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