第2話 妖怪二口女 その三
「兄さん。何してんだ?」
「睡眠薬。寝てしまったら、調べられるだろ」
まさか、義理とは言え、姉の秘密の場所を弟に見ろというのか。
「兄さん。それは……」
「信じてないんだろ? 見ればわかるから」
気は進まないが、兄を納得させるには、それしかないのかもしれない。どうせ、人間のあんなところに歯が生えているわけないのだし、兄を病院につれていくためには必要な通過儀礼だと、龍郎はわりきることにした。
「わかった。じゃあ、なんにもなかったら、兄さん、病院に行ってくれよ。おれが『ない』と言ったら、兄さんもおれの言葉を信じてくれ」
「……ああ」
そういう運びになった。
座敷にもどってきた義姉は疑いもせず、睡眠薬入りのビールを飲みほした。
宴もたけなわとなり、やがて薬の効いた義姉はその場で酔いつぶれ、眠ってしまった。都合のいいことに、青蘭も畳によこたわり、寝入っている。
いいか、やるぞと、兄が目で訴えかける。
いまだに乗り気ではないが、ここまで来たら、しかたない。龍郎は覚悟をきめた。
兄が兄嫁のスカートをめくりあげ、下着をおろす。
結果から言えば、龍郎は目を疑うことになった。兄嫁に申しわけないとか、そんなことを言ってる場合じゃなかった。常識では考えられないものを見て、龍郎はぼうぜんと、それに見入った。
「な……なんだ、これ」
「だろ? だから言ったろ? ほんとにあるんだよ。歯が」
たしかに兄の言うとおりだ。
義姉のそこには歯が生えている。
乳歯のような小さな白い歯が、ぐるっと輪をかこっていた。
「き……奇形? そうだ。きっと、特殊な病気なんだよ。目から水晶の涙が出てくる女の子とかテレビで見たことある。皮膚の一部かなんかが角質化してるのかも」
「奇形……そうか。そうかもな」
兄はむしろ、龍郎の出した答えに安堵したようだった。ほっと息をついている。しかし、そのとき、青蘭が起きあがってきた。
「奇形じゃありません。この女は悪魔です」
どうやら、狸寝入りだったらしい。
また、ややこしいことを言いだした。これ以上、話をかきまわさないでほしいと、龍郎は願った。
「悪魔?」と、たずねる兄に、青蘭は端的に言いはなった。
「そう。悪魔。ボクがここに来たのは、こいつの……悪魔の匂いに気づいたからです」
「悪魔に匂いがあるのか?」
「匂いというか、気配というかね。ボクはそういうのに敏感なんだ」
そう言って、青蘭は目をふせた。
宇宙の闇を飲みこんだように神秘的な瞳に、物悲しげな色がくるめく。
この人は胸の奥底に、誰にも言えない深い苦しみをかかえているのではないかと思う。
龍郎が見つめていると、視線に気づいたのか、青蘭は目をあげ、つんとすまし顔を作った。どんな表情もお人形のようだ。それも、とびきり耽美で高価なビスクドール。
「君たちは七つの大罪という言葉を知っているか?」
反問してくるので、龍郎は考えた。
「聖書に書かれてる人間の基本的な罪、みたいなものだったかな?」
「じっさいに聖書のなかでは、それについて言及されてはいない。七つの大罪のもとになったのは、四世紀にエジプトの修道士エヴァグリオスの唱えた『人間一般の八つの想念』だ。貪食、淫蕩、強欲、悲嘆、怒り、怠惰、自惚れ、傲慢の八つの感情。これらは人間を悪の道に走らせる。つまり、悪徳、悪の権化。過度に溺れれば、悪魔を呼びよせる。悪魔を具現化させる邪念にほかならない」
龍郎は思いだした。
電車のなかで見た異様な一幕を。
あのとき、青蘭はスーツケースの男を“貪食”だと言った。
「悪魔って、まさか、人間の邪念が形をとったものなのか?」
「悪魔は現実に存在する。邪念はそれらを呼びよせるトリガーでしかない」
これがもし昨日の夜なら、龍郎は青蘭の話を信じなかっただろう。誇大妄想狂の空想だとしか思わなかった。
しかし、アレを見てしまった。
人間を次々、飲みこんで食べてしまうスーツケースを。
そして、ありえない場所に歯の生えた兄嫁を。
「この女は中位の淫蕩だ」と、青蘭は桜色の爪のさきを、兄嫁にむける。
「退治したほうがいい。今なら意識を失っている。ふつうの人間のおまえたちにでも倒せるだろう」
「退治って、何するんだ?」
「もちろん、殺すんだ」
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