甘美なる烙印

まきや

第1話



 荒野の一点に光が集まる。


 絢爛豪華な『ルエブン・ヘメルうるわしの都』を治めるのは、神々しい美しさと知性を備えたスペリア上位者たち。


 同じ街に住んでいるリコたち「インフェリア下位者」は、上位者に姿が似ている。けれど容姿の美しさや寿命の短さなど、種としての能力は、スペリアよりも格段に劣っていた。


 インフェリアは社会的にも弱者だ。貴族であるスペリアに生殺与奪せいさつよだつの権利を握られており、奴隷の扱いを受けていた。


 ほとんどのインフェリアは大人になる前に亡くなってしまう。そのなかでリコは運良く20歳を迎えることができた。


 しかし成人したインフェリアは全員、過酷な試練を受ける。都市の処理場に集められてまもなく、その残酷な儀式が始まる。


 スペリアの衛兵に慈悲の心はない。鬼の表情で『廿ヴァン』の形をした燃える烙印を、成人したリコたちの首もとに焼きつけ始めた。血と皮の焼け焦げた匂いが、あたりに異臭となって漂った。


 血が止まる暇も与えず、スペリアはリコたちを街の外門に連れて行った。そして無手のまま、荒野へと放り出した。


 この恐ろしい行事は、成人を迎えるインフェリアには避けられない運命だった。


 その理由はスペリアの王が独断で決めた法にある。下位者は20歳を境に、容姿が衰えていく種族だと定めていた。上位者は美しくない者を徹底的に嫌う習慣があった。


 ちなみにスペリアには千年を越える寿命があり、その間も美しさが衰えることはない。しかしインフェリアは20歳から肉体の衰えがはじまり、約50年で自然の寿命を終える。


 スペリアが定めた律によって、今年もインフェリアが街から追放された。対象者は8名。そのうち女性が2名、残りは男性だった。


 街の外に広がる荒野は、昼と夜の寒暖差が激しい過酷な環境だった。


 下位者たちはただひたすら前に進んだ。食料や水は自分たちで探すしかない。数日もすると、体力の無い弱い者が次々と倒れていった。


 リコの歩みは遅れていた。双子の姉であるミアを背負っていたからだ。二人は追放された者たちの最後尾を進んでいた。


 病気がちだった姉のミアが成人できたのは、生まれもった才能のおかげだ。


 ミアはインフェリアの中でも、類いまれなる美貌の持ち主だった。幼少の頃にスペリアの貴族に見初められ、屋敷の中で守られながら20年を生かされてきた。


 しかしスペリアの法は絶対であり、双子の姉から貴族の庇護は無くなった。


 街の外の世界は、病弱な少女にとってなお過酷だった。気候の厳しい変化が、じわじわとミアの生命力を削り取っていく。


 姉を何とか姉を守りたかったコウは、追放される前日に水と薬を巧妙に外壁のくぼみに隠しておいた。


 持ち出せたのはわずかな量でしかない。それでもコウは一日でも長く姉を生かしたかった。


「コウ! それは食い物か?」


 万事休すだった。皆から離れて歩いていたことを、同朋に疑われてしまった。


「おいおい、水もあるじゃねえか! お前ら女の武器を使って、気取ったスペリアどもから盗んでいやがったな!」


 抵抗は意味がなかった。コウは戻ってきた男たちに殴られ、吹き飛んだ。姉のために用意したパンや薬水やくすいは、全て奪われてしまった。


 コウは悔しさに涙を流した。ミアが震える手を伸ばして、赤くなった妹の頬をさすった。


「馬鹿な男たち……コウ、見て。あの人たち、ひもじ空き過ぎて、薬と水の区別もつかないんだわ。私の薬は常人には劇薬だというのに……」


 久しぶりの食料にありついた男たちの、歓喜の声が聞こえる。しかし騒ぎ声はだんだんと小さくなっていき、やがて酸素を求める喘ぎ声に変わった。


 やがて不毛な大地に立っているのは、コウとミアだけになった。



 すべての希望が消え失せた。コウの膝が地面に落ちた。


「薬が……食べ物も飲み物も、何もないよ!」


「いいの、私はもともと長くは生きられないから。ねえ、コウ。私の話をしっかり聞いて。この荒野のずっと先にインフェリアが暮らす街があるというわ。そこにたどり着いたら、あなたは奴隷のインフェリアじゃなく、ひとりの『人間』になれるかもしれない」


「姉さん、それって育ての親たちが言っていた、ただのうわさ話でしょ?」


「違うの。これは事実よ。私が仕えていたスペリアの貴族の屋敷に、とびきり不細工なめかけがいてね。彼女が教えてくれた。


『私は昔インフェリアだった。でもいまは地位のあるスペリアの妻のひとりよ。こんな顔でも夫を夢中にしたのよ。あなた、その理由を知りたい?』


 彼女は喉元をめくって私に烙印を見せつけた。【廿ヴァン】の文字の上に、一本の青い横線が重ねて彫られていた。


『この文字、わかる? これで読み方が【カン】に変わるの……単に廿に棒をひとつ足しただけ。それだけでこの烙印は、特別な力を発揮するのよ。


 他のインフェリアと同じく、成人した私は烙印を付けられ、街を放り出された。その後はいろんな運が味方したのね。1年かけて荒野をさまよい、最後にある場所にたどり着いた。


 そこは生き延びた追放者たちが作った街で、年老いたインフェリアたちが住んでいた。彼らは上位者から自分たちを守る賢い手段を見つけ出していた。それがこのしるし


 女は再び自分の烙印を指し示した。


『この文字には、スペリアの美的感覚を惑わす【甘い】効果がある。これをつけた下位者を見たスペリアは、マタタビを見た猫のようにメロメロになるのよ! 相手がどんな醜男でも醜女でも、最高の美って奴を感じるらしいわ。皮肉よね。自分たちが考えた法律のせいで、馬鹿にしていた奴隷の種族に踊らされるなんて!


 この烙印のおかげで、インフェリアの街が上位者に滅ぼされることは無くなった。私のようにスペリアの妻にだってなれるわ。とにかく、あなたも生き延びたいなら、死ぬ気で荒野を渡りなさいってこと』」


 喋り疲れたのか、双子の姉は激しく咳き込んだ。口を押さえた手が血だらけになっていた。


 ミアは横になって、静かに目を閉じた。


「さあ、もう行って。私が迎えられない21回目の誕生日は、コウが越えてみせて。そしてその烙印に廿一にじゅういちの時を刻みなさい」




(甘美なる烙印     おわり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

甘美なる烙印 まきや @t_makiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ