それを愛と勘違いさせて

祐香

プロローグ

 全裸でベッドにうつぶせになったまま、右手を伸ばす。床に置いてある赤いバッグに手が触れた。それを掴んで引き寄せる。


 教科書やノートが入るサイズの、合皮でできた肩掛けバッグだ。通っている女子大には、ブランド物のバッグを使っている子が多い。私はというと、財布だけはシャネルで買ったが、普段身に着けている服もバッグも数千円から1万円程度で買ったものだ。


 どちらかというと裕福な家庭に生まれたと思う。今まで何不自由ない暮らしをしてきた。だからといって、必要のないものまで買い与えるような両親でもなかった。お金を稼いで物を買うことの大変さはしっかりと教えられてきたので、大学生になりカラオケBOXでアルバイトを始めてからは、自分で買える範囲の物を買うようにしている。


 バッグの中をゴソゴソと探ると、求めていたビニールの感触があった。それを引っ張り出す。百円ショップで買ったスケジュール帳だ。紙でできた冊子にビニールのカバーがかけられている。1月から始まる月ごとのカレンダーのみが入っているシンプルなスケジュール帳だが、1日の枠が大きめにできていて予定を書き込みやすいので毎年これを買っている。


 今日は、5月の…何日だっただろうか。大学でとっている講義は曜日ごとに把握しているので、体育のあった今日が水曜日だということはわかっている。となると、ゴールデンウイーク明けの最初の水曜日で、5月9日だ。


 スケジュール帳を見ながら今日が何日かを考えている間に、バッグの中を探っていた右手は三色ボールペンを見つけていた。青いペン先を出すと、5月9日の枠の右角に小さく丸を書く。5月の青丸は、2日、3日、4日、6日、9日と5個になった。


 スケジュール帳の最後のページを開く。名前や住所を書く欄がある。前のページをめくると、罫線けいせんが引かれておりメモができるようになっていた。


 りく健史たけしまこと隆一りゅういち海人かいと。このページには、1行にひとりずつ男の名前が書いてある。一番下の26行目まで書き終わると、また上に戻って次の列に書き並べていた。4行目に黒いペンで「しょう」と書き込む。


「お、翔でちょうど30人目か」


 そうつぶやいたのと同じタイミングで、風呂場から腰にタオルを巻いた翔が出てきた。スケジュール帳と三色ボールペンをバッグに投げ入れる。


「どした?」


「ん、別に。ちょっと明日の予定見ていただけ」


「そっか。夏紀なつきもシャワー浴びれば?」


「いや、いいよ。もう帰るし」


「え、今から帰るの? 終電間に合う? 泊まっていけばいいのに」


「大丈夫。明日、大学1限からだし。シャワーも家に帰ってから浴びる」


「大学なんて、うちから行けばいいじゃん」


「あー、でも家に明日必要なもの置いてきちゃったし。今日は帰るね」


「そっか。じゃあ、駅まで送るよ」


「いいよ、駅近いからひとりで行ける。翔、シャワー浴びたばかりだし風邪引くよ」


 翔と会話しながら、私はブラジャーをつけ、パンツをはき、白いワンピースを頭からストンと被った。そして、Gジャンを羽織る。5月上旬の札幌の夜には寒すぎる格好だ。もう0時近くなので、外は10℃あるかないかだろう。帰りがこんなに遅くなるのは計算外だった。なんとかこの格好で乗り切るしかない。


 私は、パンツ一丁で立ったまま缶ビールをゴクゴクと飲んでいる翔に近づいた。真正面に立つと首の後ろに手を回して背伸びをし、キスをする。そして、翔の目を見つめるとニコッと笑って言った。


「翔、それじゃあね。ご飯ごちそうさま」


「おう。気をつけて帰れよ。また連絡するわ」


「うん。駅ってマンション出て右だよね?」


「そう、右。で、まっすぐ行って、信号のところまた右ね」


 翔の言葉を背中で聞きながら、私は立ったままピンヒールのサンダルに足を入れる。いちいち座って履くのは面倒なので、つっかけるだけでいいデザインのサンダルが好きだ。


「うん、わかった。ありがとう。それじゃあね」


「夏紀」


「なに?」


「もう一回チューして」


 ドアを開けて玄関を出ようとする私に、翔がキスをせがむ。


「はいはい。これでいい? じゃあね、おやすみ。バイバイ」


 満足そうに笑顔で手を振る翔に、私も笑顔で手を振りながらドアをゆっくりと閉めた。反対の突き当りにあるエレベーターに向かってクルッと体を回転させ翔の部屋を背にすると、私は一瞬にして口角を下げた。


「あー、疲れた。楽しくもないのに笑顔を作るのって、顔の筋肉の疲労感半端ないな。明日、翔から連絡が来たらそれで終わり。あと少し。頑張ろう」


 私はそうつぶやくと、真顔でエレベーターのボタンを押した。

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