第55話 異変
六月も後半となり、僕と愛莉は半同棲状態となっていた。
愛莉は、母子家庭で育ったこともあり家事全般は得意だった。特に料理は、一人暮らしでロクなものを食べていなかった僕にとっては、とてもありがたかった。
その日も、愛莉が作った料理を囲んで僕たちは夕食をとっていた。
「ねえ、愛莉。夏休みになったら、どこか旅行しない?」
「う……ん、そうね……」
どこか、愛莉の様子がおかしい。ここ数日は食欲もないみたいで、どこか気だるそうでもある。
「愛莉……、大丈夫? 具合悪いの?」
愛莉は、弱々しい笑いを見せながら、無言で首を横に振る。
「ちょっと、胃の調子が良くなくて……」とそこまで言って、急に立ち上がり、トイレへと駆け込んだ。
「愛莉?」
トイレから、愛莉の苦しそうな声が聞こえた。
「愛莉、どうしたの?」心配になり、トイレへと様子を見に行くと、洗面台に向かって嘔吐している。
「愛莉、大丈夫? 顔が真っ青だ」
「ご、ゴメン……、今日はもう、帰る」
「え? じゃあ、送っていくよ」
「いいよ、一人で帰れるよ」
愛莉はそう言うが、とても大丈夫そうには見えない。
「ダメだ! 僕は愛莉を大切にするって言ったんだ。こんな状態で一人で帰せられないよ」
「分かった。じゃあ、家まで送っていって」
「お母さんは? 今日も仕事かな?」
「母さんは……、どうだろう? 分からない」
僕は、愛莉を一人にしておくのは心配だったが、愛莉の家に泊めてもらう訳にもいかない。せめて、ギリギリまで愛莉の家に留まろうと考えた。
「ちょっと、片付けるから待ってて」
僕は急いで食べかけの料理を冷蔵庫に保管し、とりあえず出かけられるだけの身支度を済ませた。
その間も、愛莉は辛そうにしている。本当にどうしてしまったのだろう? 僕の胸の中で不安が大きくなっていった。
愛莉の家は、僕の最寄り駅より更に郊外で、電車を乗り継いで30分ほどだ。
幸い、電車はそれほど混雑していなかったが、座れる状態ではなく、顔色の悪い愛莉を見るにつれ、やはり一人で帰らせなくて良かったと思った。
愛莉の家の最寄り駅に着いたが、愛莉は電車を降りると、ベンチに座り込んでしまった。
「愛莉、なにか飲みものを買ってこようか?」
「うん、お水をお願い」
愛莉に水を渡して、彼女が動けるようになるまで、僕もベンチに座って待った。
(もし、愛莉が酷い病気だったら、どうしよう?)
どんどん大きくなっていく不安に押しつぶされそうになるが、僕がうろたえていると愛莉まで不安になる。僕は、あえて明るい話題をふる。
「夏休みさ、僕の故郷まで旅行しない?」
愛莉は、さっきまで項垂れていたが、顔をあげて僕を見つめた。
「もしかして、家族に紹介してくれるの?」
「うん、僕の初めてのカノジョだってね。きっと親が大喜びすると思う。なにせ高校時代まで女の子に全く縁がなかったから 笑」
「あはは、大学デビューして二股三股かけてましたって、言いつけちゃおうかな」
「そ……、それは、内緒で 笑」
愛莉と付き合い始めて、僕は佳那、綾乃との関係を断っていた。もちろん、簡単にはいかなかったが、二人とも大人の対応をしてくれた。
綾乃とは、身体の関係は無くなったが、カテマッチの運営ではパート-ナーとしての関係は続いている。
「圭の故郷に……、行ってみたい……」
愛莉がつぶやいたが、僕は、過去に同じような情景に出会っている事を思い出した。
愛莉のつぶやきが、どこか悲しげで、それは江の島でデートした時の小梢を思い出させた。
(大丈夫だ。 あの時とは状況が違う)
僕は、愛莉までもが僕の元から居なくなってしまうのではないかと、言いようのない不安に襲われる。
「やっと落ち着いた。 そろそろ行こうか」
愛莉はベンチから立ち上がり、僕に手を差し伸べた。僕は愛莉の細くて白い手を握り、立ち上がるが、その反動で愛莉が僕に引き寄せられる。
僕は、駅のホームで愛莉を抱きしめた。
大きく膨れ上がった不安という風船を圧し潰すかのように、強く抱きしめる。
「圭……、苦しいよ。 どうしたの?」
「ゴメン、なんでもない。行こうか」
ホームの階段を上り、改札へ出ると、東京にしては夜空が開けていた。
「圭、ちょっと、ドラッグストアへ寄りたいんだけど」
「ああ、良いよ。胃薬でも買うの?」
「まあ、そんなトコ」
駅前には、コンビニやドラッグストア、それに飲食関係のお店が数件ある。愛梨はドラッグストアの前で立ち止まると『一人で買い物する』と言って、僕を表に待たせた。
暫くしてドラッグストアから愛莉は紙袋を持って出てきた。
「ごめんね、待たせちゃって」
「ううん、ちょっとだし、全然待った内に入らない」
「そういや、圭が私の家に来るのって初めてだったね」
「そうだね、お母さんが居たら挨拶できるのにな」
「あはは、母さんに会ったらビックリすると思うよ」
クスクスっと、この日初めて愛莉は心から笑った様だった。
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