二十一回目の猫

@ns_ky_20151225

二十一回目の猫

 二十一を素因数分解してみた。三と七。三が七つか、七が三つか。わたしのばあいは七が三つだった。サーカスにいたからだ、いや、いるからだ? 表現として正確なのはどっちだろう。

 わたしはサーカスでピエロをしている、いた? どっちだ? まあいい。悪くない商売だ。こどもは笑ったりこわがったりするし、大人はペーソスがあるとかなんだとかかってに深読みして哲学者ぶっている。

 でもやっていることだけ切りとればただの狂気。そこがいい。わたしが人々の狂気をかわりに見せてやっているのだ。だからサーカスが巡業するとみんな正気をとりもどす。あしたからまた仕事という事実をうけとめられるようになる。

 狂気といったがほんものじゃない。もちろん。いうまでもないが、リボンをかけて安全に管理されている。テントから外には出ていかない狂気。真と偽を判定したら偽。にせの狂気。


 わたしはすっかりメイクを落とし、ロープの束に座って、継ぎの当たった股引の太ももに手帳を乗せ、インクのなくなりかけたボールペンでこれを書いている。その姿の哀れっぽいことといったら、これぞ世の大人たちの考えるオフのピエロだろう。

 酒は飲まない。意外かな? 実はわれわれピエロはあまり飲まない。薬もやらない。カフェインやニコチンですらいやがる奴もいる。つまり、ピエロの狂気は氷のような正気によって供されるものなのだ。


 さて、三が七つ、いや、七が三つの話だ。


 各地を巡業しているとさまざまなうわさを聞く。芸能人や政治家など有名人の醜聞。金儲けや逆に損した話。男、女、どっちでもない性についてのご高説。

 それから怪談。霊がどうした。化け物がでた。猟奇的殺人があった。

 伝説。言い伝え。禁忌。そう、禁忌。


 『猫が七度自分を跳び越えることが生涯に三回あったら死後吸血鬼になる』


 ロマあたりが発祥らしいが、ひねった表現であって、『盲亀の浮木』と同じく、ありえない、とか、めったにないというのが本来の意味だそうだ。なるほど、起こりそうにない。


 でも、起こった。ここはサーカスで、わたしはピエロ。調教師のおやつを盗むという寸劇で捕まり、罰としてトラとライオンの檻に入れられ、地面に縛り付けられる。おおげさにおびえるわたしを猛獣使いの鞭を合図に跳び越えていく。みんな笑い、同時に猛獣の妙技に感心する。

 そんなことを繰り返しているうちに、ロマの禁忌を踏んでしまった。まあ、たしかにトラもライオンも猫の仲間なのだろうが、言い伝えられたのはそういう猫ではないと思う。でもそうだったのだ。


 後は死ぬのが条件だが、それも達成した。馬糞で滑って転び、打ちどころが悪かった。扮装を解いているときだったのでだれも笑わなかった。ピエロの死としては失敗だ。


 気が付くと墓から這いだしていた。喉が渇いたので墓守に提供してもらった。

 しばらくするとまたサーカスが巡業してきたのでもぐりこんだ。どこにどんな隙間があり、どうしていれば人目につかないかはよく知っている。どのサーカスも似たようなものだ。とても都合がいい。サーカスがやってきた街でピエロメイクの者が風船をもって歩き回っても怪しまれない。


 でも寂しい。だからこうして書いておく。各地の墓場の石の間とかに隠しておく。だれかが見つけて読み、嘘だといって投げ捨ててもかまわない。だれかに知ってほしい。


 元ピエロがここにいるということ。

 そして、猫に自分を跳び越えさせるな、ということ。七が三つで天の国と縁が切れるから。


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