Q13 スーパーマーケットに来たらどうする?


 スーパーの前でバイクを停めると、俺達はその入口へと向かった。


 「まずは俺から中に入るから、萌香ちゃんは離れないように後ろについて来て。もしシュクシャがたくさんいたら逃げるからそのつもりで」

 「は、はいっ」


 数匹程度なら俺が倒せば問題ないが、数が多い場合は萌香ちゃんの身が危険に晒されてしまう。すぐに引き返せるように意識しながら、サバイバルナイフを構えて入り口へと向かう。

 開けっ放しになっている自動ドアを通って店内へと入ると中は当然の如く荒れ果てており、商品やらガラスやら血痕やらが乱雑してひどい有様となっていた。

 まともな食材が見つかればいいけど。

 そんな懸念を抱きながら、俺は近くに落ちていた棒切れを拾ってスーパーの壁を軽く叩く。コーンと小気味の良い音が店内に響き渡るが、その音に反応する影はない。念のためもう一度、今度はより大きめの音で壁を叩いてみるが、やはりその音に反応する者はいなかった。


 「……うん、音に反応がないから、多分シュクシャはいないと思う。でも、万が一ってこともあるから警戒は解かないようにね」

 「わ、分かりました」


 緊張した面持ちで頷いた萌香ちゃんを伴って、荒れた店内を進んでいく。物が散乱している床に非常に歩きづらさを感じながら何か食べられそうな物がないか探していると、案外とすぐに目的のものを見つけることができた。


 「おぉ、この辺のものはまだいけそうだな」


 辺りに散らばっている缶詰のうちの一つを手に取る。多少缶のラベルが汚れてはいるが、中身を食べる分には何も問題ないだろう。

 缶詰の他にも、お菓子類や乾麺など、まだまだ食べることができそうなものが多く見受けられた。


 「いっぱいありますね!」


 萌香ちゃんの言葉も弾んでいる。


 「よし、それじゃあ早速だけど好きなの選んで食べちゃおうか。ここなら安全そうだし、お腹すいてるでしょ?」


 俺が萌香ちゃんにそう促すと、彼女はおずおずと口を開いた。


 「あの、その前にいいですか?」

 「ん、どうした?」

 「他の三人の分の食料を集めてもいいですか?きっとみんな、お腹を空かしていると思うんです」

 「ああ、もちろんいいよ。元々、いくつかは持ち出すつもりだったしな」

 「ありがとうございますっ!」


 近くに落ちていた売り物であったのであろうショッピングバッグを拾い上げると、萌香ちゃんは嬉しそうに食料やら水やらを詰め込んでいった。自分もかなりの空腹であるはずなのにまずは仲間の心配をするとは、よくできた娘である。ロリじゃなかったら本格的にハーレム要因として狙っていたことだろう。……数年後に備えて唾をつけておくべきか?

 身体を屈めてもそもそと食料を拾い上げている萌香ちゃんを眺めながらそんなことを考えていると、ふと突然彼女の動きが止まった。


 「え?」


 その声を漏らしたのが、俺だったか萌香ちゃんだったかは分からない。

 いつの間にか、彼女の目の前に髪の長い女が立っていたのだ。前髪の間からのぞかせる濁った魚のような、されど充血しているかのような真っ赤な目、血の通っていない鼠色の肌、肘から先が丸々なくなっている左腕。

 そんな容姿をした女、否、シュクシャが萌香ちゃんの目の前に立っていたのだ。萌香ちゃんは突然現れたシュクシャに驚き、ポカンと口を空けたまま固まっている。


 「萌香ちゃんっ!」


 俺は咄嗟に地面を蹴り上げて駆け出し、萌香ちゃんを庇うようにシュクシャとの間に割り込んだ。


 「こいつ、いつの間に来やがった!?」


 危なかった。

 何故か突っ立ったままで萌香ちゃんを見下ろしていたこのシュクシャだったが、こいつに一瞬で襲い掛かられていたら萌香ちゃんを助けることができなかっただろう。

 まさかずっと店内に潜んでいたのか?最初に鳴らしたあの音には反応しなかったのだろうか?そもそも、普通のシュクシャならその唸り声や足音で接近に気が付くことができるはずだ。だがこいつの場合はまるでそういった兆候がなかった。まさか、ここまでこっそり近づいて来たとでもいうのか?

 頭を埋め尽くす疑問は尽きないが、まずはこのシュクシャを早急に処理するべきだろう。

 真っ赤な瞳でこちらをただ見つめているシュクシャに対してナイフを構えて一歩を踏み出した瞬間、シュクシャが口を大きく開いた。


「ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ア˝˝ア˝ア˝ア˝!!!!」


 とても人の声帯から発せられたとは思えないような大絶叫が響き渡る。辺りに散らばっている商品がカタカタと揺れるほどのその絶叫を前に、俺も萌香ちゃんも思わず耳を塞いだ。

 数十秒間もの間続いたその咆哮は、シュクシャが口を閉じると共にようやく終わりを迎える。その瞬間、シュクシャは俺達に背を向けてスーパーの外へと走り去ってしまった。呆気にとられてその光景を眺めていることしかできないでいると、今度は変わって四方八方からドタドタと地鳴りのような足音が響き渡り始める。

 まさか。

 そんな思いを抱いた時にはもう手遅れだった。


 「「「あ゛ぁ゛あ゛ア゛ぁ゛ア゛あ゛あ゛」」」


 正面入り口から、割れた窓から、あちこちから大量のシュクシャ達がスーパーの中になだれ込んできたのだ。

 さっきの叫び声で周囲のシュクシャ達を呼び寄せたのかっ!?

 これまでに見たことも聞いたこともないような事例を前に驚くが、今はそんなことを考えている場合ではない。


 「りゅ、隆二さんっ!」


 仲間の為に集めた食料の入ったショッピングバッグを両手で抱えた萌香ちゃんが、身体を震わせて俺のことを見上げている。

 そうだ。彼女のことを守らなければ。

 慌ててサバイバルナイフを構えて周囲を見渡した俺は、思わず息をのんだ。

 俺達の周りを取り囲んでいるシュクシャの数は十や二十ではない。昨夜の家に群がってきたのと同じくらいか、下手したらそれ以上の数のシュクシャに包囲されているのだ。そして昨日とは違い、ここはシュクシャが一方向からのみ向かってくる狭い廊下ではなく、全方位から襲いかかって来るスーパーの中心だ。

 このままここで戦闘を行ったとしても、萌香ちゃんを守り切ることは不可能だ。頭の中で、そんな残酷な結論が導き出される。

 絶望的だった。はっきり言って、この状況を切り抜けられるビジョンが一切浮かんでこなかった。では、萌香ちゃんのことを諦めるのか?俺の側で震えているこの少女がシュクシャ共に喰われているのを、黙って見ているというのか?ありえない。そんなことはありえない。ではどうすればいい?どうすれば少女を助けられる?

 考えている時間はなかった。


 「萌香ちゃん捕まって!」

 「ふぇっ!?」


 ナイフをしまい、俺は萌香ちゃんをお姫様抱っこの要領で抱きかかえる。萌香ちゃんは一瞬驚いた顔をし見せたものの、すぐにバッグを大事そうに抱えながら俺の胸にギュッとしがみついてきた。


 「走るぞっ!手離すなよっ!!」


 萌香ちゃんを抱えたまま、俺は走り出した。

 現状、俺の頭には何も名案などは浮かんでいない。何も思いついていないまま、俺はとにかく走り出したのだ。


 「ぃ゛だい゛があ゛い゛あ゛ぁ゛」

 「ふんっ!」


 近づいてきた最初のシュクシャを蹴り飛ばしつつ、周囲の状況を素早く確認する。四方八方どこを見ても、シュクシャ、シュクシャ、シュクシャだ。迷っている時間はない。少しでも立ち止まれば、その瞬間にシュクシャが群がってきて腕の中の萌香ちゃんが喰われてしまうだろう。

 一瞬の間で視界に入れた情報を精査し、俺は少しでもシュクシャの数が少ないと感じた方へと向かって走る。


 「おりゃあ!」


 再び目の前のシュクシャを蹴り飛ばすと、そのよろけたシュクシャの肩辺りを踏み台として高く跳躍する。人ひとり分くらいの高さに飛び上がった俺は、そのまま連なっているシュクシャ達の頭を踏み台として前に跳んだ。頭を踏んづけている真下のシュクシャの手に捕まるよりも速く、次のシュクシャの頭上へと乗り移る。そんな動きを繰り返すことで、空中を駆けるようにして前へと進んでいく。

 狙ってやった動きではなかった。何とかして懸命に前に進もうした意思と、この身体能力が噛み合わさって生まれた奇跡的な動きだったのだ。

 勢いそのままシュクシャ達の頭上を飛び越えて地面に降りると同時に、回し蹴りを放って目の前のシュクシャを上へと蹴り上げる。飛ばされたシュクシャはそのまま前方上部の窓ガラスへと激突し、ガラスを破壊しながら外へと飛び出して行った。


 「はあぁぁぁ!」


 そのシュクシャの後を追うように、俺は全力で割れた上方の窓に向かって跳躍する。あの窓を超えれば、外にでることが出来るのだ。


 「っ!」


 だが、わずかに飛距離が足りなかった。

 この身体能力を以てしても、萌香ちゃんを抱えた状態での跳躍では窓の高さまで到達することが出来なかったのだ。窓を見上げた状態のまま、俺はシュクシャ達の待ち構えている床へと吸い寄せられるように落ちていく。

 だが、俺は諦めなかった。


 「お、りゅああ!」


 左手により強い力を込めて萌香ちゃんを抱え、咄嗟に右手を上へと突き上げる。出された右手は見事窓枠を掴むことに成功するが、割れたガラスの破片が掌に突き刺さり激痛が走った。

 激しい痛みに顔をしかめながらも、俺は渾身の力で身体を引き上げる。

 二人分の重さをささえる右腕、身体の挙上を助ける背中、上へと反動をつけるための足。上方へと上がるための全ての筋肉を総動員して、窓枠へとよじ登る。

 そしてそのまま、俺はスーパーの外へと飛び出した。

 右手から鮮血がドクドクと流れ出てくるが、その傷の痛みを憂いている余裕はない。外に出た俺達を待ち構えていたのは、店内と同じように四方から迫り来る大量のシュクシャ達だったのだ。


 「くそっ!」


 俺は再び走り出す。


 「隆二さんっ、下してください!自分で走れますから!」

 「駄目だ!」


 萌香ちゃんを下ろしたところで、彼女が俺の走るスピードについてこられるわけがない。それならば、こうして抱えておいた方が彼女を守りやすいだろう。萌香ちゃんもそのことを内心では分かっているのか、悔しさと申し訳なさを合わせたような複雑な表情で唇を噛んでいる。

 路上を走り続ける俺の額からは汗がこぼれ落ち、ぜぇぜぇと呼吸は荒くなっていく。このままでは、奴らから逃げ切ることなど不可能だ。

 バイクの元まで行くか?だめだ、シュクシャが多すぎてとてもじゃないけど近寄れない。

 解決策は浮かばないまま、俺は萌香ちゃんをシュクシャから守るために体力を削って走り続ける。

 どうすれば……どうすれば…………。


 「……隆二さん」


 ふと、腕の中から声がした。


 「もう、いいですから」


 一瞬、萌香ちゃんが何を言っているのか分からなかった。


 「私のこと置いて行ってください。隆二さんだけなら、逃げられるでしょ?」


 萌香ちゃんはまるで自分が怖くないことをアピールするかのように、懸命にその口角を上げて笑顔を作っていた。だが、そんな彼女の目には一杯の涙が溜まっている。


 「この食料を持って行ってください。私のために、ありがとうございました」


 目から涙を零し、声を震わせながらも懸命に笑顔を作ってそう言う彼女。


 「……んな」

 「え?」

 「ざっけんな!!」


 俺は叫んでいた。


 「見捨てねぇ!絶対に置いて行ったりしねぇ!」


 俺だけなら逃げられるだろだって?そりゃそうだよっ、俺は襲われないんだからな!

 今こうやって必死こいて俺が走っているのは、全てこの腕の中の少女を守るためなのだから!

 諦めない。絶対に諦めたりしない。

 俺の読んできた物語の主人公たちは、絶対にここで諦めたりはしない。ここで諦めるような男が、ハーレムなど作れてたまるものかっ!


 「うおぉああああ!」


 叫び声を上げて、言うことを聞かなくなってきた足を懸命に動かす。

 どうした?こんなところでへばるのか?希望通りになったじゃないか!妄想していた通りに、何の苦労も掛けずに特別な力チートを手に入れたじゃないか!その癖して、こんなところでへばるわけにはいかないだろっ!その癖して、美少女を助けないわけにはいなかいだろっ!!

 懸命に自分を鼓舞して走り続ける。


 「っ!」


 その時、俺の視界にある物が飛び込んでくる。それは、路上に停まっている一台の車だった。その瞬間、俺は何か考えがあるわけでもなしに車に向かって進路を定める。とにかく現状を打破する糸口を探していた俺は、視界に現れたそれにすがるしかないのだ。

 どうするっ?あの車に入って運転して逃げるか?免許すら持っていない俺が?そもそも、キーが車内にかかっているとは限らないし、扉が開く保証もないっ。それなら車の上に飛び乗るか?いや、そんなことをしても袋小路になるだけだっ。

 足を動かしながら必死に考えを巡らせる。車が目前に迫っても、解決策は浮かんでこない。更に、動きが鈍くなってきた俺のすぐ後ろまでシュクシャが追い付いて来ている。

 もう一刻の猶予もなかった。


 「頼むっ!」


 俺は目の前の車の後方部分、トランクの取手口に向かって手を伸ばす。扉ではなくトランクに手を伸ばしたのに、何か深い理由があるわけではない。単純に一秒でも時間が惜しく、まっすぐ進んでたどり着いたのが車の後方部分だったのだ。

 くぼみに指をはめ込み、グッと力を籠めつつそれを上に持ち上げる。

 パカリ。

 俺の動作に抵抗することなく、トランクの蓋が見事に開いた。


 「この中で待ってて!」

 「えっ!?」


 トランクの中に萌香ちゃんを放り込むと、そのまま蓋に手をかける。


 「りゅ、隆二さ」

 

 バタンッ

 驚いた顔でこちらに手を伸ばそうとした萌香ちゃんを無視して、俺はトランクの蓋を完全に閉めきった。

 その瞬間、追い付いてきたシュクシャ達が俺を避けるような形でトランクに群がってバンバンと車を叩き始める。だが、俺がここで取手口を守っている限りは問題ないだろう。今は、本の少しだけ休憩時間が欲しかったのだ。


 「はぁ……はぁ……何とか、なったな」


 トランクに寄りかかるような姿勢で息を整える。

 少しの間そうしていた俺は改めてふぅと一つ息を吐くと、群がるシュクシャ達の頭に向かってサバイバルナイフを振り上げたのだった。


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