21回目の兄 ep7
arm1475
21回目の兄
「死んだ人間を量子化によって蘇らせることが出来るか」
死んだ人間を再現する。仮想現実技術の命題のひとつである。
仮想現実空間ではプレイヤー同士が相対的認識をするためにはそれぞれの「アイコン」が必要になる。VRの黎明期ではシステムが用意したデフォルメされたキャラクターを代替にしていたが、VROではワークギアを介して人間の脳内神経信号を読み取ることで、その対象者の
量子体を電脳空間に再現することにより人類は無限に広がる
VROを利用する上では記憶の
VROのワークギアは最新技術、最新素材の結晶である。特にメモリー部は旧来の半導体ではなく、新開発されたバイオマテリアルを導入したことで外部記憶容量が格段に増え、ワークギアへ完全複写することも可能としている。
人道上、人格の複製は規約でも禁止されているのだが、しかしその有用性を問う出来事は運営開始後から幾度も起きている。
「目覚めぬ兄をVROで蘇らせたい」
彼女の願いはそのひとつであったが、それは管理長には忘れられない出来事であった。
長時間勤務の過労で倒れて意識が戻らないまま1ヶ月が経ったというA氏(仮名)がいた。彼には同居する妹B嬢(仮名)以外肉親は不在である。
主治医の話では脳へのダメージが大きく、回復の見込みもないという。一時は安楽死も選択肢に入るほどの様態であったらしい。唯一の肉親を失う辛さを考えるとB嬢(仮名)にはそれを選ぶ勇気はなく、たまたまVROの仕様を知っていた医療班の医師により、VROを利用した回復案が提案された。脳死に至っていない植物人間状態の被検体の脳をトレースして量子化し、ワークギアを介して脳を刺激する。本来の使い方の逆で治療出来ないかということであった。
しかし管理長は技術班と協議し、結果それが難しいことを回答した。イレギュラーなタスクがVROの運営に支障を来すからでは無く、そもそも活性化していない脳をワークギアがトレース出来るのか、という疑問からであった。カーボンまみれのスパークプラグでエンジンが起動するのか、ということであった。
事態が一変したのは更なる調査の結果、A氏(仮名)の脳に僅かながらα波が検出された、つまり夢を見ている可能性があった事が判明してからだった。
その報告を受けたVRO運営側は、治療目的でのワークギアとVROの利用を許可し、同時に記憶の完全複写で構築した量子体の運用テストを試みることにした。初の試みではあるがしかし人道面ばかりでは無く、そこで得られる
ところがである。ワークギアで被検体の脳をトレースしても量子体が仮想空間に出現はしなかった。
原因は直ぐに判明した。やはり活性化していない脳ではトレースしても情報不足で量子体を構築することが出来なかったのだ。
技術班は治療の中止を提案したが。管理長は一度許可したことを簡単に撤回するのはどうかという考えから続行を選んだ。
曰く、不足しているなら補えば良い、と。
つまり、起動に必要な情報が不足しているなら周りからデータを補填してみればいいという案であった。近親者から見た対象者の人となりをデータ化し。トレースで不足している情報クラスタに都度
一見無謀かと思う策であるが、VROの通常運用における不測の事態への対応の一つに、誤情報をフィードバックされて記憶領域が改変されてしまった場合の修正で利用される記憶クラスタをバックアップから修復再構成する技術が転用出来る事が判ったからだ。
それはすぐさま行われた。B嬢(仮名)そして会社の同僚や私的な友人も動員し、起動に必要な情報を補填してトレースを続けた。
「20回。もう20回も試した。なのに、何故」
管理長は手詰まり感を覚えた。治療続行を提案したのは可能性があったからなのだが、それ以上に兄を蘇らせたいというB嬢(仮名)の願いを叶えたいという想いに応えられないもどかしさにVROの可能性すら幻想では無かったのかと思うようになってしまった。
これから21回目のトレースをするかどうか、運営長は久しぶりに会うB嬢(仮名)と面談して決めることにしていた。
そこで管理長はA氏(仮名)の肉親がもう一人増えていることを知る。
「ご結婚なされたとは聞いてませんでした」
「いえ、流行のシングルマザーですよ」
B嬢(仮名)はそう言って苦笑いしながら抱きかかえている赤子をあやしていた。
「お兄さんのこともあるのにそれはまた大変な道を……」
「私の決めたことです」
「お強いのですね」
「兄には心配かけたくなかったのでこの事は黙っていました。だからこそこの子の顔を見せてあげたいのです」
管理長は一瞬違和感を覚えたが直ぐに忘れた。今は21回目のトレースをどうするか相談する方が先であった。
「21回目ですか。はいお願いします」
即答だった。B嬢(仮名)の願いに揺るぎはない。必ず蘇ると信じているのだろう。
運営長は技術班から提出された、トレースを阻害する不特定要素のリストをもう一度チェックした。
脳からの記憶の完全複写は技術的には問題は無い。但し倫理的な問題は存在する。対象者のプライバシーを完全に暴露してしまうからである。故に量子体を作る上で最低限必要な、例えば不断の視野や四肢の状態、口癖や周囲への認識度などの情報は読み取るが、潜在意識や埋没した記憶などは基本的には当人の許可が無い場合は読み取らないよう配慮している。
しかし記憶の選択は意外にも量子体の再現を阻害する最大の要因となっており、今まで失敗しているのはやはりここにあるのでは無いかという結論が技術班から出されていた。
当然と言えば当然だな、と管理長は思った。複数の
やはり友人知人より、一緒に暮らしている家族の記憶の方が精度が高いのだ。管理長は身体を壊していたらしいB嬢(仮名)の本当の理由をやっと理解して、21回目のトレースで久しぶりに、そして精度の高い同調補完に協力を願った。
「同調補完……ですか」
「やはりご友人知人より親族の方との同調補完の方が精度が上がるのです。無論、社会性に生きる人間ですのでご家族にも内緒にしているモノがある以上、必ず成功するとは言い切れないのですが」
「内緒……」
B嬢(仮名)はそう言って沈黙した。兄の全ての知っているかどうか不安なのだろう。娘の顔を見つめていたB嬢(仮名)はやがて重い口を開いた。
「私もこの子の事を兄に黙っていたのですから、兄も私が知らない事もあるはずでしょう。もしそれが兄を蘇らせる阻害となっているかもしれないのなら哀しい話ですよね」
「それでもやってみる価値はありますよ」
「でもね」
「はい?」
「私は、いえ私たちは、早いうちに両親を亡くし幼い頃から二人だけで支え合って生きてきました。兄が私のために身体を壊すまで働いてしまったのは、私のためであると同時に、兄本人のエゴだと思うのです」
「……エゴ?」
「幼い頃から一緒だった私と兄は距離感など持ち合わせていなかった。せめて私が兄と同じくらい働ければ良かったのでしようが、年の差がある兄に頼りにするしか無かった。兄にとって私は兄の
所謂シスコンか、と管理長は思ったが流石に口にはしなかった。
「要はシスコンなんですよね兄は」
「あはは……」
「人は、何かを隠すことで他人との距離を作って自分でいようとする。兄の一部に過ぎなかった私は、しかし兄の全てを知らないのです」
B嬢(仮名)も可能性が低いことを察していて辛いのだろう、と管理長は思った。
「それが悔しい」
「はい?」
「私は私なんです。兄ではない。だから全てを把握されるのは正直堪らない」
「……」
B嬢(仮名)は娘の頭を優しく撫でた。
「だから私はこの子を孕んでいたことを黙っていました。ところが兄は倒れてしまった。この子のことを知らないままに――」
管理長は嫌な予感がした。即座に面談室に設置してある防犯カメラをオフにして室内に流れていたBGMを少し大きくした。
管理長が何かを察してとっさに配慮しているうちにB嬢(仮名)は涙を流していた。悔しそうに、この上なく哀しそうに。
「意識がある間にこの子の事を兄に伝えられなかった私の愚かさが悔しいんです! だから伝えてあげたかった! この子は兄の――」
管理長は咄嗟にB嬢(仮名)の口を手で塞いで神妙な面持ちを横に振った。
B嬢(仮名)は驚くが、赤子が声に驚いて泣き始めたので慌ててあやした。
赤子が泣き止んだ頃にはB嬢(仮名)も落ち着きを取り戻していた。管理長は安心するとため息をついた。
「今の事は聞かなかった事にします。次回のトレースではその情報はシンクロから外して置きます。コレが阻害していた理由なら、多分今度こそ――」
数ヶ月後、VRO運営事務局にある、VRO内とモニタを介して会話出来る親睦室へ親子連れが訪れた。目的はVRO内に設けられた医療施設でリハビリ中の父親に会いに来たのだが、楽しそうに会話している三人を管理室から管理長はモニターしながら複雑な思いに駆られていた。
今は子供用のワークギアはないが、そのうち完成したらこの親子はVROで触れあえるのだろう。速くその日が来ると良いな。と願いながら缶コーヒーを口にした。
おわり
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