第65話 試合開始
「それでは選手、整列!」
「はいっ!」
昼休みを終え、午後一時。
どうやら、試合が始まるらしい。それと同時に、見学者の数も随分と増えてきた。恐らく聖マリエンヌ女学院の生徒だろう女子や、栄玉学園から応援に来たのであろう生徒もいる。だが、その中でも異質なのは、厳しい雰囲気を醸し出している男性が多くいることだろうか。
恐らく、どこかの大学や社会人などの監督なのだと思う。
「はいはい、どいてどいてー」
「機材はいりまーす!」
そして、数台のテレビカメラやテレビ局のスタッフだと思う人たちに、明らかに何かの取材に来ているのだろうマスコミ関係者の姿も見える。やはり練習試合であるとはいえ、高校柔道界の至宝である和泉真里菜の取材に来たということだろう。
練習を見ていてもつまらなかったし、もっと遅く来ても良かったかな、って最初は思った。だけど、今は武道場の中に入れないほどの人でごった返している。前言撤回、早めに来て良かった。
「互いに、礼っ!」
五人ずつ、武道場の中央に並んで礼をする。
柔道とは礼に始まり礼に終わると聞く。まさにその、最初の姿がこれなのだろう。
重量級の西野さんと背の高い熊沢さんが重厚な雰囲気を醸し出している栄玉学園の面々に比べて、向こう――聖マリエンヌ女学院の方はというと、全く落ち着きが感じられなかった。
新設の柔道部ということだし、こういう試合をするのが初めてなのかもしれない。どことなく緊張しているのが窺える。
「正面に、礼っ!」
正面というのがどこを指すのか分からないが、何故か全員が90度右に向いて、そのまま礼をした。
その向こうにあるのは、神棚だ。あれが正面だと受け取った方が良いのだろうか。
そして、そんな風に礼をする所作も栄玉学園柔道部はこなれていて、聖マリエンヌ女学院柔道部の方は浮き足立っている。あくまで素人でしかない僕がそう感じるのだから、詳しい人からはどう見えるのだろう。
「では先鋒、前へ!」
「はいっ!」
「は、はいっ!」
熊沢さんと、相手の女生徒一人だけが残り、残りが赤い線の後ろの下がってゆく。
高校生の団体柔道における試合は、五人対五人で行われる。
一人ずつ前に出て戦い、その勝ち星を競うのだとか。試合の方法も二種類あり、勝った選手が残って次の選手と戦う勝ち抜き戦、先鋒は先鋒と、次鋒は次鋒と戦って最大五回までしか試合をしない点取り戦とある。
そして、今回の試合はどうやら点取り戦を採用しているらしい。
「はじめっ!」
「はぁぁぁぁぁっ!!」
審判の言葉と共に、熊沢さんが動く。
恐るべき速度で相手に肉薄し、相手の女生徒が襟を取ろうと伸ばした手を払いのけ、そのまま自分の組手にした。
残念なこと極まりないが、僕より背の高い熊沢さんだ。まぁ、僕が一般的な高校生男子よりも僅かに低い背丈だから仕方ないのだけれど。それは相手の女生徒のように、極めて一般的な女子の平均的身長である相手と比べると、二十センチは高い。
熊沢さんはそのまま、相手を引いて翻弄しながら足を掛けてゆく。
相手を引いて、そのまま自分の腰に乗せて、そのまま引き手で投げる――そんな熊沢さんの動きに、相手はついて行けずそのまま腰へと乗せられて。
激しく畳に打ちつけられる音と共に、相手の女生徒が畳の上に転がった。
「一本!」
審判が腕を上げると共に、熊沢さんが立ち上がる。
さすがの僕でも、柔道における「一本」が試合終了の言葉だということは知っている。つまり、ほんの僅かの交錯で熊沢さんが勝利したということだ。
僕にも見える位置に設置された、電子時計の数字は4:52だ。試合時間が五分だとして、僅かに八秒で決着がついた計算になる。
……え、強すぎない?
「さすがは熊沢奏多ですね」
「昨年、一年生にして全国三位は伊達ではありませんな。今年は、より技が極まっている気がします」
「うむ、やはりうちの大学に欲しい逸材……全日本選手権も、いいところまで行けるでしょう」
「あれだけの上背で、柔道をしている選手はあまりいませんからね。比べて相手の女生徒……まるで素人のように見えますが」
「まぁ、急造の柔道部だということですし、素人が混じっているんでしょう」
何故か、僕の隣でそんな風に話している背広の男性たち。
熊沢さんも有名人なのか。まぁ、確かに一年生で全国三位って、めちゃくちゃ凄いよね。
試合を終えて中央で礼をする熊沢さんは、さっき話した感じと全然違う。明るくてムードメーカーのように見える彼女だけれど、やはり試合になると違うということだろう。
これはますます、真里菜の試合が楽しみになってきた。
「栄玉学園はやはり、逸材揃いですね。今年は内川聡子の加入もありましたし、一年生にもかなり強い選手が揃っていますよ」
「西野絵梨花も昨年はベスト8ですし、今年は良いところまで行けるでしょう。ですが、うちの大学は重量級の選手は揃っていますからねぇ」
「やはり軽量級の選手の確保が必要ですね。そう考えると……」
「ええ、やはり……」
にやり、と隣の男性が笑みを浮かべるのが分かった。
そういうの、部外者の僕が聞いてもいいのかな。
あ、そんな風に話しているうちに、加奈子の試合が始まった。相手は先程と同じく、あまり動きにキレがあるように思えない。
対する加奈子はというと、こちらも割と緊張しているようだ。まぁ、テレビカメラとか来てるから緊張するのも仕方ないのかもしれないけれど。
でも、どれほど勇姿を見せたところでお前がテレビで放送されることはないよ、加奈子。
「うりゃあああああ!!!」
「ひっ――!」
加奈子が掛け声と共に、技を仕掛ける。
内川さんよりも軽量と思われる相手は、そんな加奈子の技に逆らうこともできずに、そのまま背中から畳に転がった。
あ、加奈子勝った。
でも、とりあえずそんな風に僕に向けてVサインしなくていいから、中央で礼をしなさい。
「欲しい逸材ですな」
「立ち居振る舞いからも、もう強さが滲み出ていますよ。今のうちの大学でも、誰も敵いそうにありません。最早、国内に敵なしだとか」
「だからこそ、わざわざやって来たのでしょうがね」
「やはり、日本は柔道大国ですからね。金メダルの数は世界でも随一です」
「なのに、わざわざこんな学校に入らなくても、と思いますがね」
「……?」
あれ。
加奈子のVサインを無視して、とりあえず隣の会話に耳を傾けているけど。
なんか、違う。
この人たち、何の話を――。
「あの年齢で、国内で敵なしですからね……末恐ろしいですよ。昨年の銀メダリスト、クラリス・ベニューグと非公式で試合をして勝ったとか」
「次のオリンピック代表は決まっているようなものですね。日本勢がどれほどやれることか」
「まぁ、57kg級は金メダルを取れないでしょうね。ただ、外国人とはいえ金メダリストを輩出した、という記録が残れば、我が校の名も知れ渡ることでしょう」
「おっと、うちの大学がいただきますよ。あれほどの才能、うちの大学に是非欲しい逸材ですからね」
その二人の、視線の先にいるのは。
今朝、僕が言葉を交わした金髪の少女――。
「相手は、和泉真里菜……国内最強を前に、どれだけ力を見せられますかね。まるで、ここでオリンピックが開催されているようだ」
「ええ……あの、ロザリー・ラコートには期待していますよ」
それは聖マリエンヌ女学院の選手の中で、唯一黒い帯を腰に巻いた。
ロザリー・ラコート――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます